[コメント]角田幹夫氏:第1に、ここで触れられている女性祭祀集団の具体的な形態はいかなるものであるのか、第2に、カミオロシ=託宣の言葉の情報伝達性はどの程度のものなのか、第3に、これは2番目の問題とも関係するが、ここで言う「公と私」というのは、言語論的にみた場合の日常性・非日常性ないし論理性・非論理性とはどう関わるのか、第4に、東北農村の社会構造はこれらの問題とどう関わるのか、という点についてお聞きしたい。
[返答]平山:女性祭祀集団にはその規模・形態についてかなりのヴァリエーションがある。オシラサマ・オコナイサマの祭祀集団に関しては、宮城県北部と岩手県南部の海岸地方ではかなり大きなものであり、庄内地方では相対的に小さいと言える。カミサマアソバセについては、実施されてこなかった宮城県内陸部を除く全ての地域で比較的規模が大きいものである。次に、カミオロシ=託宣の情報伝達性は極めて高く、韻律性の有無を問わずはっきりと内容を聞き取ることが出来るため、参加者はメモを取ったりしていく。この点については、どの地方も大きな差はない。これと関連する第3の問題について言えば、彼女らの発話は極めて論理的なものであるが、韻律を伴う、及び格調が高い、という点で日常的なものとは言い難い。最後に、村落構造との関係については、これまでさんざん調べてきた結果、殆ど何も言えない事を見出してしまっている。言及しなかったのはそのためである。
[議論]
Q:「韻律性」とは、厳密にはどういうことなのか?
A:これについては聞いて頂くのが手っ取り早いのであるが、要は日常会話的な声調とは相対的にかなりの隔たりを持つ、音程の上げ下げとリズムの変化を伴う事、と理解して欲しい。
Q:「公的・私的」については、どうなのか?
A:シャマニズム研究などで用いられる一般的な意味(辞書的な意味)で用いている。
Q:「間接的な聞き取り」で立論するのは正当なのか?
A:巫女が既に亡くなっている例、また儀礼が行われていない例が多々あり、そのような調査法以外にどうしようもないとも言える。但し、最も重要な事例については実際に参与観察しているし、聞き取り調査を行ったのも、それぞれの巫女に頻繁に接触していた人々なので、さほどの問題は無いだろう。(後記:考えてみれば、そもそも「間接的でない聞き取り」など存在するのだろうか?今後は誤解を招き易い「間接的な」という形容動詞は省くことにしたい。)
Q:結論部については、韻律性と感情、非韻律性と政治性を結びつけるような説明も考え得るのではないか?
A:川田順造が挙げているような対極的な事例も存在するので、敢えてそちらには議論を持っていっていない。
Q:同じく結論部は、庄内地方の数名の巫女が戦略的に非韻律的な託宣を編み出した、と言っているようにも取れる。この報告のような記号論的説明、あるいは上の質問に含まれる心理学的・機能論的な説明の代替案として、行為遂行性を問題にしているようにも思うのだが?
A:その通りである。但し、戦略的、とまで言えるかどうかについては疑問であり、そのために本報告では記号論的な説明に留める事にした。重要なのは、あくまでも<差異>である。
(以上・文責平山)