Sam Mendes監督作品 American Beauty
最近観た中では秀逸な作品。隙がないこともないのだけれど、それを補って余りある俳優陣の見事な演技、及び監督の演出には脱帽。本作のテーマは基本的にmagnoliaとも通底する、家族ないしコミュニティ/コミュニケーションの崩壊である。あの作品に比べると、主要な家族が2世帯、主要な登場人物も8人に絞り込まれていて、そのためか一人一人の人物造形も誠にきっちりと描くことが出来ているように思われ、確かに「変な話」ではあるのだけれど、妙なリアリティないしは説得力がある。感傷に流れていかないのもとても良い事である(主人公の妻を演じるAnnette Beningの演技ないし演出はちと大げさ。これも「隙」の一つかも知れない。勿論、アクセント、と見なすことも出来なくはない。)。主人公(Kevin Spacy)の作品の構成上さして意味があるとは思われない「死」も極めてあっさりと描かれる。先ほど「隙がある」と述べたが、それはこの主人公の死にまつわる事柄で、その死に際し、どう見ても世代的に隔絶した(それがテーマなのです。)隣に住む18歳の少年(Wes Bently)と共通の世界観を述べてしまうのは不味いのではないか、という事である。「死においては平等」、とでも言いたいのだろうか。でもなあ。ヴェトナム戦争世代とその子供達では、死に対する認識はかけ離れていると思うのだけれど。如何なものだろう。ただ、冴えない中年男性である主人公のモノローグで始まる本作品は(その前にワンシーンあるけれど無視。)、視点がどんどん別の登場人物に移動していき、もう一人の重要な登場人物であるヴィデオ・マニア少年による、作者の「映画」に対する思いの告白とも取れるようなモノローグで一つのクライマックスを迎える訳で、そう考えると、この監督はこの二人に自己を投影しているのだから、共通した世界観を語る、というのもさして問題ではないのかも知れないことになる。しかし、そこまでメタ・レヴェルで考えれば納得出来ても、あくまで素朴な鑑賞者として観る限り、不自然さは否めないだろう。以下余談。主人公の無意味でしかも極めて間の悪い死からは北野武監督を、ヴィデオを撮り続ける少年からは王家衛監督を、主人公のコミカルな演技からは周防正行監督を、同性愛ネタからは大島渚監督を、主人公の予告された死からはBilly Wilder監督を想起する事は、恐らく正しい事なのだろう。既に用いられた技法の引用、借用、変奏を駆使してオリジナリティ溢れる作品を造り上げたスタッフの力量を、賞賛したいと思う。(2000/05/25)