メイベル・チャン監督作品『玻璃之城』
1970年初頭と1996年大晦日から翌年7月1日迄(以上、太陽暦)の香港・ロンドンを舞台とする、親子二世代の極めてピュアで切ない恋の物語。「村上春樹と吉本ばななを足して二で割ったような」、と言ってしまっては元も子もないのだけれど、そうなのだから仕方がない。親の世代の恋は村上風、子供達は吉本風、という事になる。

さて、英語タイトルのCity of Glassは、私が敬愛してやまないユダヤ系アメリカ人Paul Austerの同名小説(記念すべきデビュウ作にして「ニュー・ヨーク三部作」の第一弾である。角川文庫から『シティ・オブ・グラス』のタイトルで邦訳が出ている。ここで言う、<city>とはニュー・ヨークの事。ちなみに、第二作『幽霊たち』は新潮文庫から、第三作『鍵のかかった部屋』は白水社uブックスからそれぞれ邦訳が出ている。三部作なのに、このバラバラさにはあきれてしまう。ああ、すごい横道…。)から取られているのだと思うのだが(全然違ったりして。)、内容上の結び付きは皆無に近い(やっぱり違うのかな?何しろ、途轍もなくポスト・モダンな小説だからなあ。)。

本映画のタイトルにある「玻璃(ガラス)の城」とは香港(広東語・英語では「ホンコン」と発音される。この映画の中でも、同様である。北京語では「シャンガン」となる。本作においては、広東語、英語、北京語という三つの言語を巡る極めて政治的な問題がクローズ・アップされている。)のこと。同監督の前作『宋家的三姉妹』でも重要な場面で用いられていた<飛行機に乗る>というモティーフは、本作では更にふんだんに盛り込まれて、空前の発展を遂げた大都市・香港の文字通り「ガラス張り」のビル群をひたすら空中俯瞰で写しまくる。この辺りに、レオン・ライ扮する、フランスに留学し成功した建築家となる主人公・ラファエル、あるいはまた監督であるメイベル・チャン自身がそうである所謂「植民地エリート」の中華人民共和国への(あるいは逆に/同時に英国への?)ある種の当てつけを読み取ってしまったのは、穿ちすぎだろうか?

この点に関しては、メインの舞台の一つであるLady Ho Tung Hall(何東夫人女子寮)の取り壊しを巡るエピソードの中で、その新装改訂版らしき建築物の模型(これは香港大学の新キャンパスなのかも知れない。)に対してある人物(デレクだった?)が吐く、「嘆かわしい。」とか何とかという台詞があったりするので、メイベル・チャンの立場は実のところかなり微妙なものであるようにも読める。「繁栄(「反英」と変換されてしまった。結構笑える。)はしたものの…。」、という慨嘆ともかつての香港への郷愁ともつかぬ感情が、「玻璃の城」という「美しくもあり壊れ易くもあり」を含意している筈のタイトルに如実に反映(今度は「繁栄」と変換された。くどいって?)しているのであろう。

そうそう、本作は結局のところ、恰も故ダイアナ元英皇太子妃の如く(絶対に意識している。していないはずがない。義母エリザベス女王も元夫チャールズ皇太子も、この映画にはちゃんと登場する。)、ロンドン橋(広東語では「康橋」と言うらしい。)付近での暴走行為によって死んでしまったラファエルとヴィヴィアン(演ずるのはスー・チー。)に対する、それぞれの息子と娘であるデイヴィッド(ダニエル・ン)とスージー(ニコラ・チェン)が共同で行う「喪の仕事」を描いたもの、という風に要約出来てしまうものなのである(当然想起されねばならないのは、永瀬正敏主演、Fridrik Thor Fridriksson監督のアイスランド映画、Cold Feverである。同作品は、私の記憶する限りにおいては、主人公の永瀬がアイスランドで起きた飛行機事故で死んだものと思われる、つまりは遺体が見つからず、行方不明扱いの両親の弔いのためにアイスランドまで出向く、というロード・ムーヴィである。そういや、永瀬君は『喪の仕事』という映画にも出ていたな。こちらは未見。また長い横道…。)。ここには、繰り返しになるけれど「今日の香港」なるものに対する、熱烈な思い入れと、ある種「こうではなかったはず…。」というような慨嘆という、対立する感情の交錯が、表れているように思うのだが…。いかがなものであろうか。

最後に一つだけ難点を挙げておく。親世代二人の一連の恋物語に関する描写ないし記述は、基本的にラファエルの親友であるデレク(ヴィンセント・コク。ちなみに、この人のキャラって、完全に周防正行映画における田口浩正と同じである。いい味出してます。)が、残された二人の子供達に対して、自分の知り得た事実を語っていく、という風に始まった筈なのだが、どう考えてもこの人が立ち会っていたとは考えられない場面が多々ある。超若造りのレオン・ライと、台湾出身で目下売り出し中の女優スー・チーが余りにも魅力的なので途中でどうでも良くなってしまったのだが、映画の語り口としては、可成りズサンなのではなかろうかと、後になって思うことシキリなのであった。(2000/07/29)