Jim Jarmusch監督作品 Ghost Dog:The Way of the Samurai

本作をイタリア系アメリカ人の殺し屋を主人公とする映画Leonのアフリカ系アメリカ人版、とみる向きも多いのだろうけれど、Jarmuschはそんなに単純な変奏を奏でたりはしない。私見では、これまでの作品群において「監督・小津安二郎」への偏愛ぶりを遺憾なく発揮してきたJarmuschの最新作である本作は、かなりあからさまな黒澤明へのオマージュである。しかし、所謂黒澤節にも、Jarmusch特有の変奏が加えられているから、話はそう単純ではない。つまり、本作は基本的にはこれまでの作品同様、適度に抑制された泣き笑いありのそれこそ小津的文体で構成されているのだけれど、ここに黒澤アウトロー時代劇テイストが加わり、更にはそれが決してカッコいいものではなくあくまでもコミカルに用いられているのである。何とも七面倒くさい構図を持った作品である。 さて、この作品の最も面白い点は、三船敏郎とは全く似ても似つかない容姿を持つForest Whitaker扮する主人公ゴースト・ドッグの人物造型だろう。彼は剣術の稽古も積んでいるのに、殺害には銃しか用いない。黒澤映画だと場合によっては刀で銃に勝ってしまうんだけど、ゴースト・ドッグは冷静沈着で抜け目なし、かつまた最新テクノロジーから本映画の中心モチーフである『葉隠』にまでも通暁する最強のインテリ殺し屋という設定なのだから、刀などという非合理的かつ非効率的かつ安全性に乏しい殺害手段は選択しない。そんな彼だけれど、何故か『葉隠』をバイブルのようにみなして生活の指針としており、一度受けた恩には一生報いるそれこそ「犬」のような態度を貫き、挙げ句の果てには「犬死に」してしまう。これって、実は近代合理主義思想、及び近代科学を摂取し、「先進国」の仲間入りを果たしたのにもかかわらず、企業への滅私奉公を怠らず、「過労死」(そろそろ死語になってきた。)してしまう哀れな「日本人サラリーマン」への揶揄なのか?いやいや、そうではなく、Jarmuschは基本的に「日本」贔屓な人なので、揶揄なんてとんでもないことで、それこそが「美しい」、とでもいいたいのかも知れない。滅私奉公(すごい言葉だ。)というのはある種の達観がないと出来ないことだからね。恐らくJarmuschは芥川龍之介を引き合いに出しつつ、三島由紀夫にまで言及したかったのだろうけれど、それは言わずもがな。あえて表に出さない美学には感動を覚えてしまう。しかし、余計なことを付け加えてしまうと、芥川は分かるけれど、『葉隠』が英訳されているとは恐れ入りました。流行にはなっていないと思うのだけれど、いかがなのでしょう。 なお、ゴースト・ドッグと対峙する白人イタリア系マフィア一味がアメリカ製の古典的アニメーション作品を四六時中観ている、というのが楽しい。インテリ・アフリカ系アメリカ人殺し屋と、あんまり賢くない白人マフィアとの対比、という図式ですね。極めて政治的だ。もう一つ、多分ハイチ系のアイスクリーム売りがフランス語(あるいはクレオール語?)しか使えず、それでも英語(「アメリカ語」の方がいいのか?)しか使えないゴースト・ドッグ等とのコミュニケーションが何となく出来てしまう、というのも楽しい。「以心伝心」という語をJarmuschは知っているのだろうか?絶対知っているよね。それはそうと、アメリカ合州国は超多言語国家なのである。この事実は再認識されなければならない。アメリカ人なら英語ないしアメリカ語が使えるとは限らないのだ。(ああ、また余計なことを…。) 最後に、本作の撮影担当はあのRobby Muller(uはウームラオト。)。最初の航空撮影からして素晴らしい。名前が出る前に「あっ、これってまた…。」と認識させてしまう驚くべき技術とセンスを持つMullerは、私見では世界最高の映画撮影者だと思う。本作は、その美し過ぎる映像を観るだけでも価値があります。殆どため息もの。ラップを基調としたThe RZAによるサウンド・トラックも素晴らしいのだけれど、もうやめよう。また、長くなってしまった。(2000/01/11)