John Cameron Mitchell監督作品 Hedwig and the Angry Inch 2002.09(2001)
劇場で観ておくべきだった大変優れた作品。あの年は忙しかったから、致し方ない。それは兎も角、本作はオフ・ブロードウェイ・ミュージカルの傑作を映像化したもの。監督は主役の性転換ロック歌手・Hedwigを演じているJohn Cameron Mitchellという「男性」(なのか?って、そういうことはどうでも良いのかも。)なのだが、物凄い才能の持ち主である。
短い映画ながら話は結構複雑である。統一前の東ドイツという意味深な場所に住む元「男性」の主人公Hansel(後にHedwigと名乗ることに。)はとある事情で性転換手術を受けるのだが失敗し、その男性器が1インチ残ってしまう羽目に。これが「彼or彼女」が後に作るバンド名「怒れる1インチ」の由来。やがてアメリカ合州国はカンサス州に移り住んだHedwigはとある家にて「メイド」として働くことになる。
でもって、これまた意味深な名前を持つそこの息子Tommy Gnosis(英語圏では「ノウシス」と発音される。)と恋に落ちたHedwigは、自らバンド活動を始めるとともに彼にロックンロールの作法を教える。Hedwigと別離したTommy Gnosisがメジャーになる中、Hedwigの方はさっぱり売れず困窮。Tommy Gnosisの大ヒット曲、「愛の起源 The Origin of Love」(この曲と、背景に流れるアニメーションが素晴らしい。)が実のところ二人の共作であることから、Hedwigはその著作権の所有を主張するのだが…。というお話。
Hedwig自身とその周囲でセクシュアリティやジェンダー・アイデンティティの「幻想」が攪乱され、ぶち壊れていく様は、誠にすがすがしいものでさえある。といって、この映画の中では結局のところヘテロ・セクシャリズム(異性愛主義)の普遍性幻想とでもいうものが保持されていることも付け加えておく。主題歌とも言える「愛の起源」にしても、“Gnosis”というもちろんグノーシス主義を意味する語の使い方にしても、表明されているのはやはりヘテロ・セクシャリズムなのである。
そうそう、はじめの方で述べた通り主人公は統一前の、というよりも分裂後の東ドイツという意味深な場所において生れ育つのだが、要するにこのことが暗示し、かつまた「愛の起源」の中で率直な形で歌われる如く、世界そのものやそこに住むものは原初において分裂し、分裂した両者はいつの日か一体化を果たすべく活動・存在しており、そこにこそ「愛」が生じる、というイメージが作品を貫いているわけだ。深いですね。
まあ、そういう哲学的、神話的含意を深読みする作業も面白いと思うのだが、作中で使われる楽曲群や美術・衣装・所作その他もろもろが誠に強烈なインパクトと高い完成度を持っていて、実に優れたミュージカル映画となっていることは間違いないところ。取り敢えずこれは、必見の作品だろう。兎に角一度観て欲しいと思う。以上。(2003/06/26)