Werner Herzog監督作品 Invincible(邦題『神に選ばれし無敵の男』
かつてはジャーマン・ニュー・シネマの旗手と呼ばれていたWerner Herzog監督が、あの名優にして怪優なTim Rothを半主演(実質的な主演は、今のところこの作品にしか出ていないらしいJouko Ahola。)に迎えて放つ、独・英合作による約130分に及ぶ大作映画。
以下、「実話に基づく」というこの映画のあらすじを。時はナチ台頭直前の1932年、東ポーランドの田舎町に住むユダヤ系怪力鍛冶屋・Zishe Breitbart(Jouko Ahola)は、ある日この町にふと立ち寄った興行師に見初められベルリンのErik Jan Hanussen(Tim Roth)なる「千里眼の持ち主」を自称する人物が運営する「オカルト・ハウス」に怪力芸人として就職。初めのうちはゲルマン神話の英雄“シーグフリート”などに擬せられていた彼だが、やがて自分はユダヤ人であることを「カミング・アウト」。ユダヤの怪力英雄“サムソン”としてベルリン市内のユダヤ系住民に絶大な支持を得ることに。
とは言え、元々このオカルト・ハウスの常連層の多くがナチ党員であり、更にはHanussenがやがて到来するはずのHitler政権に「オカルト相」として就任することを夢見ていたりすることから話は混迷の一途を辿る。そんな中、カミング・アウトしたのにもかかわらずZisheを雇い続けたHanussenの正体が明らかになり(まあ、誰でも途中で気付くのだけれど…。)、オカルト・ハウスは解体。Zisheは地元に帰り、ナチ台頭とユダヤ人迫害の開始を予言の後、破傷風で死ぬ。
一見したところ、「外連味を欠く」、とか「長すぎる」、とか「テーマが判然としない」等々の批判を受けそうな作品だけれど(Yahoo!Japanへの投稿においてもそういう意見が多数。)、ごく私的には、この映画の中心テーマとして私個人が勝手に措定する「カミング・アウト」という今日でもキータームとして用いられることに多い事柄を、1930年代という時代設定のもとに描いたのはなかなかに画期的なことではないか、と思った次第。
ついでに言えば、全編を流れるあのゲルマン神話をテーマとしたオペラを大量に創り出したR.Wagnerの手になるような管弦楽曲と、更にあからさまには、Zisheが紆余曲折を経て最終的に体現することになるユダヤの英雄的ないし預言者的意匠からは、Herzog監督が実のところ「現代の神話」のようなものを創りたかったのではないか、ということを想像させられるのである。確かに、まだるっこしいところもある映画だけれど、以上のような深みのあるテーマは、よく見ればきちんと描かれているし、かつまた追求されていることを述べておきたい。
なお、より大きな問題は、この映画で使われている言語がほぼ全て英語であり、それと関連して何でまた東ポーランドに住むユダヤ系青年がいきなりベルリンで普通に生活出来るのかが良く分からない、というところなのだけれど、その辺どうなってるんでしょう?
話を戻して、と。よく見ればちゃんと分かるはずのテーマの重厚さ、深遠さもさることながら、この映画を観る者誰しもが、Hanussenが透視を行なう部屋の水槽に漂うクラゲだの、クリスマス島で撮影されたとおぼしきカニの大群といった海の生き物達のなんとも神秘的でグロテスクなところもある映像には目を奪われることになるだろう、と述べておく。特に後者は圧巻。この島、かつて英国による大規模な核実験が行なわれたところだったと記憶するのだけれど、それであんなに増殖したのではないでしょうね…。と、関係ないところに話が行きそうなのでこの辺で終わる。(2003/06/18)