Mohsen Makhmalbaf監督作品 Kandahar
周知の通りタリバーン(Taliban)制圧下のアフガニスタン(Afghanistan)はカンダハール(Kandahar)に赴いたカナダ在住の女性ジャーナリストが、現地で見たその現状を描いたこの作品、イラン国籍のMohsen Makhmalbaf監督が恐らくは意図的にやっているのだろうその政治性ないしは扇情的メッセージ性の「希薄さ」が私にはかえって強い印象をもたらしたのであった。
そうそう、この作品内ではブルカ(burka)をかぶることで素顔を抹消された成人女性達や、長引く内戦状況下で仕掛けられた地雷により手足を失った男性達が数多く描かれるのだけれど、その描写には「どうです、この悲惨さ。」、「みなさん、あなた自身がこの国の人々に対して<何が出来るのか>、今一度考えてください。」といった押しつけがましさは一切存在せず、それはある種微妙な距離感を保った淡泊なものでさえあるのだ。
それでもって、こういう感情表現を極力抑えた演出だからこそ、我々観る側はそれによってかえってちょっと前までの、そして昨年来の空爆とつい昨日の地震により更に深く傷ついたかに見えるアフガニスタンの文字通り「悲惨」なのであろう状況を、強く刻み込まれ、一時の、そしてその場限りの感情の昂揚によって、それこそ一時的かつ場当たり的に募金をして済ませるようなことではなく、もっと別の次元で「何が出来るのか?」を後々まで考えることになるのである。
とは言え、そういうある意味物凄くストイックで(禁欲主義を強制されている社会をなるべく主観を交えないで描いているわけだから当たり前、ということになろうか。そんな中で、食べるものや金銭、あるいは失った手足に替わるものへの切望は、それなりに濃厚さをもって表現されていて、その点がこの作品を極めてシニカルなものにしている。)、そんなわけもあって圧倒的なまでの静謐さを湛えた作品である故、「眠くてしょうがなかった」のも事実である(ごめんなさい…。)。まあ、それはおくとして、新聞で見る白黒写真では分からないブルカが持つ想像以上のカラフルさと、「国境なき医師団」のキャンプ地にパラシュートで投下される青空と砂漠を背景とした「舞い降りる義足」の映像は、文字通り私の脳裏に深く刻み込まれたのであった。
しかし、「0911テロ」から「アフガニスタン戦争」に至る一連の動きが持つ、キリスト教社会とイスラム教社会という、「異なった暦法=時間軸を持った社会同士の対決」、という図式は、出渕裕という人が監督をしている某アニメーション作品にも反映しているのだが、この話はまた別の機会に、ということにしよう。以上。(2002/03/28)