岩井俊二監督作品 『リリイ・シュシュのすべて』
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1990年代の日本映画を代表する2本と言っても良いだろう『Love Letter』、『スワロウ・テイル』を創った岩井俊二監督による待望の新作。作品全編にみなぎる「力」は今回も相変わらず途轍もないもので、ただただ、圧倒される。何とも、荒々しくも扇情的な、佳品である。
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この作品で描かれる「世界」はひたすらに絶望的で暗澹たるもの。栃木県は足利市に住む中学生の主人公・「雄一」は剣道部に所属(これは私の中学生時代と同じ。)。両親は再婚組、即ち父親は義父。入学時に同じ剣道部に入り、親友だと思った「星野」は、夏休みを利用した沖縄旅行を経て1999年9月1日に突如暴走をはじめ、その後雄一は星野の支配下に置かれることになる。「いじめ」「援助交際」「レイプ」「自殺」といった非道理かつ理不尽かつ暴力的な「終わりなき日常」が続く中、最後に至って「殺人」事件が起き、映画は「終わり」とは決して言い得ない終結に向かう。
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さて、上記のような、終わることのない悲惨極まる「日常」からの唯一の逃げ場所として雄一が見出したのは謎多き女性ヴォーカリスト「リリイ・シュシュ」(以下、映画内で使われる標準的な表記に従って「リリイ」とする。)と「インターネット」。岩井俊二によるこの映画の脚本自体が、既にウェブ上で公開されていた同氏の小説であり、同時にまた、このウェブ小説自体が、BBS上で閲覧者が行なった投稿からアイディアやあるいはテクストそのものをインタラクティヴな形で借りていることも一応述べておきたいのだが、それは置くとして、雄一は「リリイ」が前に在籍したバンドの名前である「フィリア」というハンドル・ネームで「リリイ」のファン・サイトを構築。チャット・ルームの管理者としての雄一はこのサイトを通じて知り合った「リリイ」ファン達と、心を通わせる。しかし…。まあ、ここから先は言及しないでおこう。
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以下、若干の突っ込みを。その一。映画の中では、「フィリア」が管理するチャット・ルームで行なわれている「会話」が明朝体で画面中央に打ち出され続けるのだけれど、これがいわゆる「精神世界」ネタに近づいていることはおくとして、同時にキータイピングの音が聞こえていて、どうもこれが短すぎるのがとても気になった。タイピング自体もそうなのだが、更に言うと「変換・確定」なんてことをやっていると、絶対にああはいかないのである。今もそれを実感しながら入力している次第。その二。主人公・星野ら一行は夏休みに秋葉原の駐車場でチョロまかした資金を元に西表島に行くのだけれど(ちなみに、本作で大フィーチャーされるClaude Debussyの楽曲のタイトルでもあり、Debussyへのオマージュであるという「リリイ」のニュー・アルバム『呼吸』に含まれる楽曲のタイトルでもある『アラベスク』をもじった同じく「リリイ」の『アラグスク』という曲に感銘し、沖縄県竹富町にある「新城(あらぐすく)島」に近い西表島に行こうとする中学生たち、という話のもっていき方は、何とも凄いと思う。)、この場面で現地の人々が「ウチナーグチ」(琉球方言)をしゃべっていて、ちゃんと字幕を付けているのにも関わらず、栃木県人であるはずの登場人物の大部分が、「標準語」(東京方言)をしゃべっていて、字幕が付いていないのは何故なのかが分からなかった。つまり、『スワロウ・テイル』において、多言語(日本語・英語・広東語・台湾語・北京語その他でよろしいのかな?)が交錯する状況を見事に描いた岩井俊二が、本作において「使用言語」に関して余り神経を使っていないのが解せない、ということである。
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まあ、それらの点は本作の持つ「力」に比べれば誠に些細なものとも言える。小林武史による楽曲も素晴らしいし、篠田昇による撮影も見事なもの。そして何よりも、多感で危険な14歳という微妙な年齢の少年、という困難な役柄を、自己相対化を成し遂げることによって見事に演じきった(というより、素のまま、なのかも知れないけれど…。)市原隼人(雄一役)/忍成修吾(星野役)の二人の演技には、とりあえず賞賛を贈りたいと思う。
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ついでだけれど、ウェブ上にある「リリイ・シュシュ」関連サイトは誠に面白い(「リリイ・シュシュ」で検索をかけてみましょう。)。現実とは何か、ということを、思わず考えさせられてしまう。それらを眺めつつ、この映画・原作本・ウェブ小説・サウンドトラックCD・そのうち出てくるDVDなども含めて、この作品が何とも壮大な企画だということを再認識した次第。以上。(2001/10/13)