Philip Kaufman監督作品 Quills
The Unbearable Lightness of Being(1988)を撮ったPhilip Kaufman監督が贈る、Doug Wrightの舞台劇脚本に基づいた、サディズムの語源ともなった近代文学史上最も重要な作家の一人であるMarquis de Sade(Geoffrey Rushが見事な演技をみせる。)の悲惨な晩年をあくまでもフィクシャスに語り紡ぐなかなかの秀作。

物語の舞台は1800年前後のフランスはシャラントン・アサイラム(保護施設とでも訳されるだろうか。いわゆる「アジール」と同一語源を持つ言葉である。)。Joaquin Phoenix演ずるAbbe Coulmier神父(この人物は、精神疾患の治療に絵画療法や音楽療法を取り入れている、人権擁護に理解のある治療者を兼務している、という設定になっているのだが、こんな治療法がこの当時あったとは思えず、この辺りの時代考証にやや難があるのは否めない。)が責任者を担当する、カトリック教会の付属施設である同アサイラム=精神病棟に監禁され執筆活動を禁じられたSadeが、国家による言論封殺と闘い、弊れる迄を描く。

私としては、ポルノグラフィは既にカウンター・カルチャーとしての使命を終えていると思うのだけれど、1800年前後において、あのような書物を出版することによって、文学が近代国家との闘争手段であることを身を以て体現してしまったSadeの偉業を改めて振り返ることは、誠に意義深いものと考える。何しろ、Sadeが書いた小説ほどの毒はないこの「真面目」な映画ですら、R-15の指定を受けざるを得ない状況は、私には耐え難いからである(まさに、unbearable…。)。

なお、上で「さほどの毒はない」と述べたけれど、ラストのどんでん返しはそれなりの毒を含んでいて、私をして「ほうー。」とうならせるものであったことも付け加えておこう。まあ、結局本作もそれに含まれるのだろういわゆるプログラム・ピクチャにはよくあるパターン、と言ってしまえば何のことはないのだけれど…。

出演は上記の他にKate Winslet(精神病棟の小間使い)、Michael Caine(暴力的な治療を旨とする「精神科医」。この呼び方は時代考証的に正しいのかな?)という豪華極まりないもの。これまでSadeを語る際にクロース・アップされがちだったSade侯爵夫人の影が薄いのが(ちょい役で出てくる程度。)、新味と言えば新味な作品である。(2001/06/26)