Volker Schlöndorff監督作品 Der Unhold
邦題は『魔王』。欧米では1996年に公開され、ようやく日本でも日の目を見たこの素晴らしい作品は、フランスの作家ミシェル・トゥルニエ(Michel Tournier)の小説Le Roi des Aulnes(原書は1975年刊行。邦訳は、これまた大幅に遅れて、ごく最近植田祐次訳により、『魔王』という題をつけられてみすず書房から2001.07に出版された。)を原作として、ドイツの映画監督フォルカー・シュレンドルフ(Volker Schlndörff)が映像化したもの。ついでながら、音楽は英国の作曲家マイケル・ナイマン(Micheal Nyman)が担当し、主演はアメリカはイリノイ州出身の怪優ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)という誠に豪華なもの。
舞台は第2次世界大戦下のヨーロッパ。少年時代にとある事件から「自分は運命に守られている」、という認識を持つに至った主人公・アベルは、成人した後、しがない自動車修理工となっている。再びある事件に巻き込まれた彼は、東部戦線に送られ、ドイツ軍の捕虜となり、収容所で強制労働をさせられる羽目に陥るのだが、それでもなお「運命に守られ」ながら、ヒトラー・ユーゲントの訓練施設において、施設および少年達の管理を助けつつ、新たな戦力たる少年を「勧誘」(=少年を送り出す側からみればほとんど誘拐ということになる。)するものとして、しぶとく生きていく。戦争が終結に向かい、物語は破局を迎えるのだが、その辺のところは省略しよう。
以下、ごく簡単に個人的な感想を。私にとって「魔王」と言えばF.P.シューベルト(Franz Peter Schubelt)の歌曲『魔王』(Erlkönig)ということになる(結構練習したッス。当然ピアノ伴奏の方も。)。J.W.V.ゲーテ(Johann Wolfgang Von Goethe)作詞によるこの歌曲、周知の通り「魔王」とは子供に災厄をもたらすものとして描かれている訳で、この映画ないし原作小説もこれを踏まえていることは言うまでもない。ただし、マルコヴィッチ演ずる主人公・アベルは、あくまでも別段特殊な能力を持つわけでもない、あくまでもしがない一自動車修理工なのであって、更には、彼自身は前述した少年時代のある事件がどうやらトラウマになっていて、それ故に「子供達を守る」という使命感を内包しているのだけれど、それに基づく行動が、図らずも結局は「子供さらい」になってしまう、という誠に皮肉な図式になっているのである。
そうそう、考えてみれば、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)を含むナチ党員にせよ、ナチ統治下のドイツ市民にせよ、別段自覚的な「悪意」を持ってあのようなこと、即ち「ホロコースト」と呼ばれるユダヤ人その他の大量虐殺をしていたわけではなく、それはむしろ「善意」から出た行為であったはず。まあ、言ってみればこの辺が人の世の「難しさ」なわけで、とりわけより複雑化した近代社会において、意図と結果(=事後的な検証による。)が全く正反対になることは往々にしてみられる事柄なのであり、原作者はその辺りの機微を言説化することを、「意図」しているのかな、などと考えた次第。

以上、だらだらと述べてきたが、何はともあれ、完成から5年を経て日本国内でもようやく日本語字幕付きで鑑賞可能になったこの一大傑作叙事詩的大河ドラマを、原作本とともに是非ともご賞味のほど、と述べて終わりにしたい。(2001/10/04)