Lars von Trier監督作品 『アンティクライスト』
2010年春のカンヌ国際映画祭でパルム・ドゥオルにノミネート、主演のシャルロット・ゲンズブール(Charlotte Gainsbourg)が見事最優秀女優賞に輝くという快挙を成し遂げた、デンマーク出身の鬼才ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier)が作り上げた誠に凄まじいとしか言いようのない映画、である。
映画はG.F.ヘンデルが書いた極めて美しいアリア"Lascia ch'io pianga"で幕を開ける。同曲をBGMとして繰り広げられる夜の営みの最中に、その子供(Storm Acheche Sahlstrøm。正確な発音が分かりません。)が窓から転落死するという事態に陥った夫(ウィレム・デフォー=Willem Dafoe)と妻(C.ゲンズブール)が主な登場人物。と言うか、この映画、実はこの3人しかクレジットされていないのだが、それはさておいて、と。
ショックから精神に異常を来した妻を病院から引き取ったセラピストでもある夫は、かつて訪れた際に何かが起こったと思われる「エデン」と呼ばれる森にある崩れかかった山荘に彼女を連れて再び赴くことになる。しかし、妻の錯乱は更に度合いを増し、やがて夫は一連の出来事の背後にあるものを認識し始める。現代のアダムとイヴとも見なせる二人に、一体どんな結末が訪れるのだろうか、というお話である。
基本的にクリスチャンではなく、専門的な勉強をしたことがあるわけではない私にとってはある意味非常に難解、な作品ではある。もしかしたら、たとえクリスチャンであっても、読み解きにくいものなのかも知れないのだけれど、そうでないのでなおさら、なのではないかと思う。
取り敢えず私には、意味ありげに登場する動物たちが一体何を意味しているのかももう一つピンと来ないし、どうやら魔女裁判や性器切除儀礼といったようなものに代表される女性の受難史(断っておくと、後者についてはそうじゃない、という見方もあるにはある。)みたいなものが背景にあるらしいことは分かるのだが、それをこの監督なり原作者がどう評価しているのかがもう一つ明確に理解できなかったりする。例えば夫妻の会話がフェミニスト神学を含めてのいわゆる神学問答、になっていれば私でもいくらかは論理的に把握できるのかも知れないが必ずしもそうじゃないところがこの映画の難しいところだろうか。
もう一つ付け加えると、実はこの作品、終盤は見方によっては殆どホラー映画で、それを含めてこの映画、全般に今ひとつ理知的じゃない、と言うか、あるいは情念めいたものを意図的にかそうでないのかは不明だがもう一つコントロールし切れていないかする積もりがない感じが否めないところに若干の問題は感じたりもしたのは事実である。考えてみるとこれまでのトリアー映画は大体こんな具合だったのだけれど、この作品のようなタイトルからしても神学と密接に関わるテーマを扱う以上もう少し理知的であって欲しい、あるいはあるべきじゃないのか、と思うのは私だけではないのではなかろうか。
それらのことを勘案してこの映画、どう評価して良いのか分からなくなってしまいそうなのだが、ラストに示される献辞をみるまでもなく明らかにA.タルコフスキー(Andrei Arsenyevich Tarkovsky。キリル文字表記は面倒なのでやめておきます。)を意識し(特に彼の遺作『サクリファイス』とこの映画との関係は非常に深いものである。)、D.リンチ(David Lynch)を意識し(動物群、そしてなんと言ってもあの山荘!)、ということだけは明白で、偉大な先人達の意を汲んで、ということはほぼ果たしている、とは思った次第。C.ゲンズブールの演技もさることながら、トリアー監督の映画作家としての妥協無きあり方にこそ凄まじさを感じざるを得ないのである。以上。(2011/04/01)