筒井康隆著『巨船ベラス・レトラス』文藝春秋、2007.03

筒井康隆の小説を単行本で読むのなんて、なんて久しぶりなことなのだろう、などと思いながらボチボチと読了。思えばあの「断筆宣言」からの復帰後に書かれた作品を全く読んでいないという事実に気付いて最近『邪眼鳥』辺りから読み出してはいたところなのではある。まあ、すぐに追いつけるものと思われる。
さてさて、本書は『文學界』に2005年から2006年にかけて連載されていた長編小説が単行本化されたもの。タイトルにある「ベラス・レトラス」というのはスペイン語の'bellas letras'、即ち「純文学」のこと。メタ・フィクショナルな体裁をとりつつ、どこかにモデルがいると覚しき小説家や詩人、あるいは編集者といった登場人物達が「文学の終焉」を巡って議論を戦わせる、というような内容になっている。
この本でなされていることをごく私的にまとめてしまうなら次のようになる。まず最初に、文学、中でも純文学なんてものは最早誰も書いていないのだし、なんてことまでは言わないけれど、現実問題として真面目に文学しているのが笙野頼子位しかいないことだの、今日では別段文学作品として成立していなくても芥川賞はとれてしまうという状況が存在することだの、そういうことについて何だかもやもや感みたいなものがあってそこに一石を投じてみせた、というのが一つ。
そしてまた、そうなってしまった最大の要因とも言えるし、あるいはそうなってしまったことがそういうものを勃興させたとも言える結構前からあったノベルス=新書ものやら、こちらは割と最近出てきたライト・ノベルやらネット小説といったものが、よりラディカルな形で文学を終焉させつつある、という悲観的な認識と、そういうものでもなくて、そういったものの中から、あるいはその中にはきちんと「文学」が生まれ継承されていくはず、という楽観との両面が示されているのが一つ(ついでながら、私個人は楽観視してます。)。
次に、サラッとやっているのだけれど結構重要な要素として、「断筆宣言」をする発端となった「言葉狩り」問題について、その後の思考をまとめて提示する、というのが一つ。
最後に、どうやら北宋社という水道橋にある出版社が筒井康隆氏に無断でその作品をアンソロジイに収録したり短編集として編集して出版したり、さらにひどいことにその件に関してうだうだ言い訳をしたりダンマリを決め込んだりするばかりで結局印税等々が全く支払われていない、という事件があったようで(詳しくはこちらを参照のこと。)、同社とその社長に対し社会的制裁を加えるべく実名入りで糾弾している(このパートが一番面白かったのは内緒、になってないな…)、というのが一つ。他にもあるのだけれど大まかに言うとこんな感じになるだろう。
筒井自身の作品である『虚構船団』を思わせる「虚構の船」を舞台にしているところや、故ロバート・アルトマン(Robert Altman)の最早古典と化しつつある映画群を思わせる群像劇にもなっていたりするところに興味をひかれたのだが、それらのことに加えてそもそもメタ・フィクションという形式もまた実のところ最早目新しいものではなくむしろノスタルジアさえ感じさせるものだったりするのも事実。実は近代小説の起源とも称されることが多い『ドン・キホーテ』すらがメタ・フィクションだったりするのだけれど、終焉を論じるにあたり自覚的にか無自覚的にか起源へと遡航しているところに、作品としての面白さが存在するのではないかと考えたのである。以上。(2007/07/18)