R.マリー・シェーファー著『世界の調律 サウンドスケープとはなにか』平凡社ライブラリー、2006.05(1977→1986)

カナダの作曲家であるR.マリー・シェーファー(R.Murray Schafer)の主著にして、サウンドスケープ理論の教科書とも言える著書の文庫版である。原題はThe Tuning of the World。翻訳は鳥越けい子・小川博司・庄野泰子・田中直子・若尾裕による。1986年に単行本で出ていたが、このたび平凡社ライブラリーからの刊行、となった。
〈サウンドスケープ〉とは、「耳でとらえた風景」のこと。サウンドスケープ思想では、人と音とのかかわり、そしてまた雑音から音楽までを、通史として、あるいは物理的・心理的・社会的などの多面的な観点から理論化し、更には〈サウンドスケープ・デザイン〉という文化的実践にまで結びつけることが意図される。本書はその壮大なる理論の、入門編にしてその時点での総括、という内容を持つ。
実のところ単行本も持っているのだが、何しろ重い本なので持ち運べるサイズになったことは喜ばしい。画期的な内容を持つと同時に、今日の世界を考えるうえで今なお重要な示唆を多々含む本書が、これを機会に更に広く読まれることを願ってやまない。以上。(2006/06/15)

舞城王太郎著『熊の場所』講談社文庫、2006.02(2002)

ミステリ作品でデビュウを飾った福井県出身の作家・舞城王太郎による、基本的には純文学な短編3作から成る第1短編集。第1篇と第3篇は舞城によって福井県下に仮設された西暁(にしあかつき)を、第2篇は調布を舞台にしている。だからなんだ、と言われても困るのだが…。
さてさて、暴力的でポップな作風を基調とする、個人的には中上健次、村上春樹、村上龍、高橋源一郎等々の影響が極めて濃い、と考えているこの作家だけれど、講談社が刊行している文芸誌『群像』に掲載された2篇と、本書のもとになった単行本用に書き下ろされた1篇を読むと、ますますその印象が強まった次第。
何らかのジャンルに収めて理解しようとするような努力はほぼ無意味な作品ばかりなのだが、途轍もない密度を持ち、それでいて疾走感溢れる文体で書かれたどの作品も間違いなく面白いし、こちらは今後の流れによって判断が変わると思うのだが、現時点で私はこの作家の存在というのは文学史的に意味があると考えているほどなので、是非ご一読のほど。以上。(2006/06/24)

桜庭一樹著『ブルースカイ』ハヤカワ文庫、2005.10

気鋭の作家・桜庭一樹による、ハヤカワ文庫オリジナル、すなわち書き下ろし作品。ライトノベル畑から登場し、このところ凄まじいペースでジャンル横断気味な作品を矢継ぎ早に刊行している同著者だが、これはれっきとしたSF作品。
物語は三部構成。第一部の舞台は西暦1627年のドイツ。魔女狩りが横行する暗黒の時代。そんな中、10歳の少女マリーは、どこからともなく現われた〈アンチ・キリスト〉に出会い、その悲惨な境遇からの脱出を試みる。第二部の舞台は西暦2022年のシンガポール。CGクリエイタの青年ディッキーは、某ゲームのために作られたゴシックワールド内でとある少女と邂逅する。第三部の舞台は西暦2007年の日本。ある女子高校生による最後の三日間が綴られる。
当然三つの物語は互いに関連する。その間をつなぐのは、青空と少女。この作品は桜庭一樹による「少女なるもの」に捧げられたオマージュであり、かつまた著者が追求し続けてきたゲーム感覚とゴシック趣味が適度に融合した、佳品であると思う。惜しいのは、第一部の密度が濃すぎるために、第二部、第三部がやや希薄に感じられる点。三部構成にしたことがもう一つ活かし切れていない、のである。出来れば、倍くらいのページ数で、徹頭徹尾分厚い記述を貫き通して欲しかった、と思う。以上。(2006/07/05)

石持浅海著『月の扉』光文社文庫、2006.04(2003)

愛媛県出身の作家・石持浅海(いしもち・あさみ)による『アイルランドの薔薇』に続く第2長編である。元本はカッパ・ノベルス。日本推理作家協会賞の候補作ともなった作品で、各種ランキングでは軒並み上位を占めた。
那覇空港でハイジャック事件が起こる。240人の乗客を人質にした犯人グループ3人の要求は、先に逮捕された彼らの師匠=石嶺孝志を空港まで連れてこい、というものだった。緊張が高まる中、飛行機のトイレで乗客の一人が不可解な死に方をする。犯人は、そしてその目的は何か。はたまた、ハイジャック事件の行く先は、というお話。
緊張感に満ちた筆致が素晴らしく、そしてまた非常に良く考えられたミステリで、大いに楽しめた次第。ここまでやるか?、という突っ込みはありそうなのだが、ここまでやるほどのカリスマ、という前提で話が作り込まれているわけで、その点は別に気にする必要はあるまい。ロジックと抒情性が良いバランスで組み合わされた傑作である。以上。(2006/07/07)

有栖川有栖著『スイス時計の謎』講談社文庫、2006.05(2003)

1998年から2003年までに発表された「火村+有栖」もの4作品を収録した本格ミステリの短中編集。本人もあとがきに書いているように、エラリー・クイーンでもここまで直球勝負はしない、というような本格ミステリの粋を更に極めたとでも言うべき国名シリーズの名を冠した表題作をはじめとして、極めて論理的で端正な「誰が殺したか?」「どうやって殺したか?」を中心問題とする全くもって筆致にぶれのない作品集となっている。
個々の作品について色々書きたいこともあるのだが、まあ、取り敢えず読んでください、とやや投げやりな態度を取ることをお許し頂きたい。なお、この本を読むのと並行して観に行ったテリー・ギリアムの映画『ローズ・イン・タイドランド』が『不思議の国のアリス』を基本モティーフというか元ネタとして使っていて、この辺りの偶然性は、確かに良くあることとは言いながらなかなか面白いものだな、と考えたのだった。以上。(2006/07/11)

ラリイ・ニーヴン著 小隅黎訳『リングワールドの玉座』ハヤカワ文庫、2006.04(1996→1998)

1970年代から80年代前半位までには実に絶大な人気を誇っていたハードSFの旗手ラリイ・ニーヴン( Larry Niven )が1996年に完成させた「リングワールド」連作の第3弾、ということになる。前作を読んだのが20年位前の話なので、正直どういう流れだったのかを殆ど忘れていて、読み終わってから言っても仕方ないところもあるのだけれど、これは正直第1作から読み直さないと理解するのが大変な本である。もう本棚のどこにあるんだか分からなくなっていて、それは不可能と言わざるを得ないのだが…。まあ、611-613頁に前2作の要約があるので、それをざっと見てから本体に入られると良いだろう。
それは措くとして、今回もニーヴンが作り上げた「ノウンスペース・シリーズ」の主要登場人物であるルイス・ウーを主人公として、地球の公転軌道より少々大きめの直径を持つリング状建造物の中で、主としてヒトに近い知的生物達の種族間関係や抗争みたいなものを活写しつつ(これが前半の中心プロット)、それと並行してリングワールドに迫る幾つかの危機とそれへの「対応」(これが後半の中心プロット)を波瀾万丈の筆致で描いている。「プロテクター」と呼ばれるヒトの変異体に付けられることになる固有名詞などはなかなかに絶妙なテイストを醸し出している。
ちなみに、既に第4作も日本語訳されていて、早川書房からこの5月に刊行されている。注文を入れたので、まもなく到着すると思うのだが、こちらの書評も近々掲載する予定である。以上。(2006/07/29)