ロバート・J・ソウヤー著、内田昌之訳『ホミニッド ―原人―』ハヤカワ文庫、2005.02(2002)
Canadaの作家ロバート・J・ソウヤー(Robert J. Sawyer)によるヒューゴー賞受賞の並行世界ものSF長編。クロマニヨン人が絶滅しネアンデルタール人が現生人類となった並行世界とこっちの世界がひょんなことで繋がり、ある量子物理学者が、現象として見れば、向こうの世界では突如消滅したこと、こっちの世界から見れば突如出現したことで双方の世界で生じるすったもんだを描いた傑作である。
基本的に狩猟採集社会のまま産業社会に突入し、量子コンピュータを作り出すテクノロジーまでをも発達させた、という前提で描かれるネアンデルタール人の社会というものの描写がとても面白い。この作家はそうして別の、そして良く似た社会を緻密に構築し描写してみせることにより、我々の社会や文化というものを見事に相対化している。動物行動学や霊長類学の成果をさりげなく、そしてとても分かりやすい形で紛れ込ませているので、そういうものについての勉強にもなると思う。個人的には、疫病と性分化についての記述が面白かった。
並行世界に住む別の動物=ネアンデルタール人がほぼ同時期にこっちと同じくらいの技術力を持つことなんてあり得るのか?という疑問も生じたわけだけれど、多分並行世界なんていうのは山のように存在している、という仮定で、そのうちの二つがたまたま同じくらいの技術を発達させたために両者が繋がってしまった、でもってその二つの世界についての物語なのだから問題ないのだろう。その辺の事情は既に邦訳が出ている続編でより詳しく書かれることになると思う。以上。(2006/02/22)
ロバート・J・ソウヤー著、内田昌之訳『ヒューマン ―人類―』ハヤカワ文庫、2005.06(2003)
上に挙げた作品の続編。この第二部では、恒常的なつながりを持つようになったネアンデルタール社会とこっちの社会という両者間の、いわば仲介役のような役目を担うことになった本作品の主人公であるネアンデルタールの物理学者・ポンターが、第一作から登場していたもう一人の主人公であるこちら側の女性生物学者・メアリと恋仲となり、さらにはこっちの社会の不満分子に付け狙われる、といったような出来事が描かれる。
第三部の中心テーマになるのだろう地磁気の逆転現象と、それについて関心を持つどうにも怪しいアメリカ政府直属の人物が登場し、それと平行してこっちの世界の持つ暴力性が向こうの人々に知らしめられるような事件が勃発して話は緊迫感を帯びたものになっていくのだけれど、この第二部が持つ最大のポイントは第一部冒頭でメアリが遭遇した暴力事件の顛末ということになる。
要するに第二部の中心プロットというのは、一方は現実に存在し、もう一方はあくまでも小説内の存在に過ぎないとは言え実にうまく構築された価値観や倫理観の異なる二つの社会を対照することで、性犯罪を含めた暴力そのものや、それを行使する者たち、あるいはそれを引き起こす大きな要因の一つである現実の中にある諸問題への対処法というものが、果たして今のままで良いのか、という問いかけをするのと同時に、一つのある意味で究極的な代替案も示すという仕掛けになっているわけだ。
もちろん、この第二部で描かれる「目には目を」的な代替案というのにも色々と問題があって、ことはさほど単純ではないのも事実である。でもって、私見ではこの作者は、その行為の妥当性について逡巡するポンター、という描写を断片化してこの第二部のあちこちに挟み込むという手法で、この問題の複雑さ、難しさを読者にうまく伝え得ている、と考えた次第。そして話は第三部へ。以上。(2006/03/09)
ロバート・J・ソウヤー著、内田昌之訳『ハイブリッド ―新種―』ハヤカワ文庫、2005.10(2003)
上の作品の更なる続編。メアリとポンターが種の境界を越える恋を実らせ、やがて二人はとあるテクノロジを用いてこっちの人類とネアンデルタールの「ハイブリッド」を創ることを決意し、はたまたそういうメインの話と平行して第二部で登場した人物がとあるヤバイ計画を実行に移したり、更には地磁気の逆転現象がこれまたとあるヤバイ現象を引き起こしたりといったような、大まかに言って三つのプロットが絡み合いながらも実にうまい具合に整理されて大団円を迎える、という内容。
これで一応このシリーズも完結、ということになるのだが、最後まで読んだ印象から言えば、要はこの作品、基本的にはCanada人である超リベラリストのソウヤーが、覇権主義やら暴力の正当視、はたまた人種差別やら宗教差別(そもそもネアンデルタール世界には人種や宗教が存在しない。)やら性差別といったことを基本的に払拭してしまっているという前提のネアンデルタール社会を描くことで、それとは対照的な、敢えて「アメリカ的な」と言ってしまって良いかもしれない諸々の事象をほぼ全否定するがために作り上げたもの、ということになってしまうのだろう。
こういう、ユートピア小説と考えて良い作品の出来不出来というのは、結局のところ我々の社会が抱えている問題に対する代替案みたいなものを、それが見事に成立し得ることを示すような世界なり社会なりを小説の中でいかにきっちりと構築し得ているか、というところにかかっていると思う。人口は少ないとは言えとんでもなく巨大なネアンデルタール社会が何故に上のようなことを成し遂げたのか、という点について、もっと深い省察がなされ、より精密な記述が加えられるべきだったかも知れないが、それはないものねだりだろうか。
技術面についての記述が実にきめ細かいし、あるいはまたそういうことを一切抜きにしても実に読んでいて楽しい小説で、この作者のストーリィ・テリングのうまさには感服したのだが、それでもなお何だか尻切れトンボな描かれ方をされている地磁気の逆転現象についてのプロットがいまいち物語全体に面白味を加え得ていないこと、第二部から登場してきた悪役が最終的には余りにも類型的な犯罪行為に走ってしまうことなどについてはやや疑問が残った次第。まあ、それを措いても、この三部作が、例えば私が専攻してきた人類学という学問がその第1の問いとして立てるべき「人類とは何か?」という問題を考える上で、実に色々な洞察に満ちた寓話的物語であることは事実である。以上。(2006/03/14)
連城三紀彦著『戻り川心中』光文社文庫、2006.01(1980→1983)
連城三紀彦による、日本推理小説史に燦然と輝く作品集の再刊である。本書には、〈花葬〉シリーズと呼ばれる連作のうち5編を収録。解説は千街晶之が担当している。
時は大正時代。歌人・苑田岳葉(そのだ・がくよう)は二度の心中未遂事件において二人の女性を死なせ、その成り行きを歌に遺して自ら命を絶った。岳葉が遺した歌には、ある重大な秘密が隠されていたのだが、それは…。(「戻り川心中」)
ご存知の通り、このつとに有名な表題作は日本推理作家協会賞を受賞し、映画化、ドラマ化等々までもがなされた。いまさら、という感じで今回初めて読んだのだが、余りの凄さに愕然。短い作品ながら、途方もない巧緻と、この作家特有の美意識が見事にマッチした、まさに不朽の名作。この再刊を機会に、是非手に取っていただきたいと思う。以上。(2006/03/19)
奥田英朗著『イン・ザ・プール』文春文庫、2006.03(2002)
「ひであき」と読んではいけない奥田英朗(ひでお)による〈伊良部一郎〉シリーズの第1弾文庫版である。第2弾『空中ブランコ』が直木賞を受賞したことは記憶に新しい。そちらも間もなく文庫化されるのであろう。
伊良部総合病院の地下にある神経科の医師・伊良部一郎の元には、奇妙な病歴の患者たちが訪れてくる。プール依存症、陰茎硬直症などなど…。異端の精神科医である伊良部は、果たしてそれが治療とか医療行為と言えるのか、というようなやり方で彼らと向き合い、物事は何となく解決していく、という流れ。
いやはや、面白いことを思いつくものだ、と感心することしきり。キャラクタ造形や人間観察の深さは、さすがに直木賞作家、といったところである。心の底から大いに楽しめた次第。以上。(2006/03/30)
二階堂黎人著『増加博士と目減卿』講談社文庫、2006.03(2002)
ディクスン・カー(Dickson Carr)をこよなく愛する二階堂黎人による短中篇3作からなる作品集。ディクスン・カーの作品に出てくる人物がちょっとだけ名前を変えて謎解き役になっている関係上(何だか分からない人は本書を読んで下さい。)、どの作品にも密室殺人事件の起こる本格ミステリの趣向は盛り込まれている。まあ、それはそうなのだが、いずれの作品もその登場人物は自分が二階堂黎人の書いている小説の登場人物であることを知っている、ということを前提にしているメタ・ミステリで、更に言えばかなり読者に対する「オチョクリ」を含んだものでもある。
さてさて、メタ・ミステリにも色々な形式があるわけだけれど、そこでは「読者とは何か」、だの、「作者とは何か」、だの、「作品とは何か」、だのといった問いが発せられるのは共通項と言って良いだろう。この作品集も読者をオチョクッているようで、その実ちゃんと本格ミステリの作法を守っていたり、それが守られているからこそ上記のような問いへの回答をきちんと示し得ていたり、と、なかなかに奥の深い作品群となっていることを述べておきたい。以上。(2006/04/23)
桐野夏生著『ダーク (上)(下)』講談社文庫、2006.04(2002)
直木賞作家・桐野夏生による、「村野ミロ」シリーズ第5作にして恐らくは最後となる作品の文庫版である。単行本は1冊だったが、文庫では上下二分冊での刊行となった。
出所を心待ちにしていた男が獄中で自殺。4年後にその事実を知った村野ミロは探偵を辞め、事実を隠していた養父・村野善三を殺すため北海道に渡る。養父の内妻である久恵、ミロの親友であるホモセクシュアルの隣人、ミロを見守り続けてきた老いたヤクザ。ミロと関わった者たちが、彼女の行方を追い始める。逃避行の果てにミロは何を見出すのか…、というお話。
デビュウ作から登場し、ある意味桐野夏生の分身とも言える村野ミロが、堕ちていく。しかも、徹底的に、これでもか、というくらいに。そんな、自傷行為にさえ見える展開により賛否両論を巻き起こしたこの作品だが、その後の多作ぶりを見る限り、「リセット」のために書いた、というのはかなり真実に近いのではないかと思う。後に、桐野作品の転換点、と言われるようになるのではないかと思う、何とも凄まじい作品である。以上。(2006/05/14)
高野和明著『K・Nの悲劇』講談社文庫、2006.02(2003)
2001年に江戸川乱歩賞受賞作『13階段』(講談社文庫)でデビュウした高野和明による、第3長編である。解説は吉野仁が担当している。
仕事で成功した夫との、高層マンションでの新しい生活が始まり、夏樹果波は幸せを噛みしめていた。しかし、予期せぬ妊娠が発覚し、中絶を決意した瞬間から、果波と夫の苦難は始まる。彼女の中には、別の女が棲みついたらしいのだが、それは精神の病なのか、死霊の憑依なのか。棲みついた「何者か」との戦いの行方はいかに、というお話。
これも、ある意味「タイムリミットもの」、ということになるだろう。デビュウ以来、タイムリミットものを書き続けることで独自性を発揮してきたこの作家による、ちょっと柔らかい感じのホラー、あるいはサスペンス、になっている。このスタイルで、どこまで突っ走れるか、是非とも続けていってほしいと思う。以上。(2006/05/15)
横山秀夫著『第三の時効』集英社文庫、2006.03(2003)
『半落ち』(2002)、『クライマーズ・ハイ』(2003)などで知られる作家・横山秀夫による、2003年発表の連作短編集文庫版である。元々は『小説すばる』に掲載されていたもの、となる。第16回山本周五郎賞候補作にして、TVドラマにもなった作品で、もう一つ言うと「F県警強行犯シリーズ」の第1作目、でもある。解説は池上冬樹が担当している。
時効の発生は事件発生から15年と定められている。しかし、容疑者が事件後海外に滞在したため、7日間のタイムラグが生じた。F県警の捜査官たちは、この間に何とか容疑者を追いつめようと画策するのだが…、というお話。
へえ〜、こんな決まりがあるなんて、というところも面白かったのだが、物語の終末には更にそれどころではない驚きが待ち受けている。警察小説の進化形にして現時点での最高傑作の呼び声さえあるのも、なるほど頷けた次第である。以上。(2006/05/20)
有栖川有栖著『スイス時計の謎』講談社文庫、2006.05(2003)
有栖川有栖による国名シリーズ第7弾の文庫版である。4篇からなる中短編集になっている。初出は結構バラバラで、1998年位から2003年位に書かれたものが収録されている。
「Y」のように見えるダイイング・メッセージを遺したギタリストの死の謎を描く「あるYの悲劇」、切断された首の代わりに自分が作っていた彫像の首が置かれている、という猟奇的な殺人事件を描く「女彫刻家の首」、高利貸の密室状況での死を描いた、倒叙形式の「シャイロックの密室」、殺人現場からなくなった高級時計の謎を描く「スイス時計の謎」の計4本。
選び抜かれた、という感じの仕上がり。ここの作品も見事なのだが、並べ方がこれまた絶妙。こういう、まさしく「本格ミステリ」と呼ぶにふさわしいミステリがやや低調気味な昨今だけれど、是非とも国名シリーズ10本目を目指して良作を書き続けていって欲しいと思う。以上。(2006/05/25)
井上夢人著『クリスマスの4人』光文社文庫、2004.12(2001)
20世紀末から世紀をまたいで連載されていた長編の文庫化。何を書いてもネタバレになるのがこの人の作品なので詳しいことは書けないのだが、要するに1970年のクリスマスの晩に轢き逃げ事件を起こした4人のその後を描いたもの。これじゃ何のことだか分からないかも知れないのだが、まあ、そういうものです。
この人ならではのミステリアスで緊張感に満ちた展開はページをめくる手を休めさせることがなく、一気に読了してしまった次第。解説にもあるようにエンディングの尻切れトンボ感は否めないものの(確かに第5章「2010年」も書いて欲しかった気もする。)、アイディアと文章の切れ味が素晴らしいのでそれは無い物ねだりというものなのかも知れない。以上。(2006/05/30)