奥田英朗著『サウスバウンド 上・下』角川文庫、2007.08(2005)

岐阜県生まれの作家・奥田英朗(ひでお)が、『空中ブランコ』で直木賞作家となった直後位に出した大長編の文庫版となる。ただし、初出は『KADOKAWAミステリ』2001年11月号 - 2003年1月号なので直木賞受賞後第1作とかではない。文庫化にあたって、上下2分冊となった。
上原二郎は中野に住む小学校6年生。都心暮らしでは当たり前なのかも知れないが、上原家の4人(父母+二郎+4年生の妹)は学校ひいては地域社会で様々な面倒ごとに巻き込まれていた。その最大の元凶とさえ言い得る二郎の父・一郎は元過激派の更には武闘派らしく、その言動や行動は誠に過激。これが災いし、一家は更に面倒な状況に追い込まれ、遂に西表島への移住を決行するが…、というお話。
左翼の退潮著しい昨今だけれど、敢えてそこを正面から取り上げる超売れっ子作家の心意気に感銘。まあ、別段思想小説という訳でもなく、あくまでもエンターテインメント作品にしているところがミソ。そして、この人の作品がいつもそうであるように、兎に角面白い。相対化されることである方面から怒りを買ったかも知れないが、忘れ去られていくよりはましなのでは、とも思う。以上。(2007/09/20)

Philip K. Dick著 佐藤龍雄訳『最後から二番目の真実』創元SF文庫、2007.05(1964)

殆ど信じがたいことなのだけれど、いつの間にやら歿後25年を迎えた世界最高のSF作家の一人フィリップ・K・ディックが、1964年という何だか膨大な量を書き綴っていた時期に世に送り出した長編の再刊である。翻訳も新しくなっていて、この辺に東京創元社のホンキを感じ取ることも可能だろう。全作復刊に向けて、一段の加速をお願いしたい。
あらましをざっと述べると、「長引く核戦争のもと、人々は地下へと移り住み、過酷な生活を続けていた。だが、実際には地上において戦争はとうの昔に終結していて、一部の支配階級が統治する世界が出来上がっていたのであった。しかし、ある日…」というようなお話。
何やらサライェヴォ出身の映画監督であるエミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)の映画史上5本指に入れられる大変な傑作映画『アンダーグラウンド』(1995)に通じるものがあるのだけれど、実のところ少なからず影響を与えているような気もする。思うに、名作『高い城の男』(オリジナル刊行は1962年。翻訳版はハヤカワSF文庫に入っているはず。)その他に通じるような、「メディアが創り出す現実とそれが引き起こす諸問題」、というテーマが根底にあって、そういう高尚なテーマを何故かややドタバタなサスペンスで脚色する、というディックお得意の手法が端的に表われた佳品であると思う。以上。(2007/10/18)

今野敏著『リオ 警視庁強行犯係・樋口顕』新潮文庫、2007.07(1996→1999)

昨年刊行の『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞を受賞し、どこが新人なのだという声も聞かれなくはないもののこのところ絶好調な感もある大ベテラン作家・今野敏による、警視庁強行犯係・樋口顕シリーズの記念すべき第1弾。元本は幻冬舎刊で、3年後に文庫化されていたものの何とも嬉しい再刊である。
荻窪のアパートで、デートクラブのオーナが殺され、その部屋から逃げ去る美少女が目撃される。新宿、渋谷でも同様の事件が起き、そこにも同じ少女の姿があった。捜査が、身元が特定され、やがて警察により拘束された少女・リオによる犯行を前提に進む中、樋口警部補は何か違和感を感じ、独自の仮説を立てていくのだが…。というお話。
変わり行く世相を背景に、ちょっと頑固なところもある樋口警部補が、周囲に流されることなく、更には周囲の反感を買いながらも真相に近づいていくプロセスは本当に読みごたえがある。今や警察小説の旗手とも言える存在となった今野敏による、ある種原点として読み継がれていくべき作品である。以上。(2007/10/20)

殊能将之著『キマイラの新しい城』講談社文庫、2007.08(2004)

つい一昨年に映画化もされた『ハサミ男』(1999)で鮮烈なデビュウを果たしたマーシー・スノウこと殊能将之(しゅのう・まさゆき)による名探偵・石動戯作(いするぎ・ぎさく)ものポップ・ミステリ長編の文庫版である。千葉にある、フランスから移築されたシメール城なる古城をメインとするテーマ・パークにおける密室らしき状況下での殺人事件を中心プロットとして物語は展開する。
それでは益体もないのでもう少し書き加えると、本書の妙味はと言うとそれは要するに、そのテーマ・パークを経営する会社の社長が、かつてのシメール城主エドガー・ランペールなる人物の霊が取り憑いたのだか何なのかは良く分からないのだけれど、あたかもランペールのように語り、振る舞い始め、そんな中でかつてその古城で起きた殺人事件=ランペール殺しの解決をさせるべく石動を古城に呼び寄せたところ、今度は本当に殺人事件が、という物語構成にある。
実はこの作品の中で作者はかなり大胆な試みをしている。それは密室殺人のパターンに関することなのだが、これを書いてしまうとさすがに作者に失礼なので、本書を手にとって確かめていただきたいと思う。ただ、一読者として一つだけ言っておくと、作者はこのせっかくの「大胆な試み」を、もう少し深めて、あるいはまた膨らませて欲しかったというのが本音である。以上。(2007/10/24)

James Tiptree, Jr.著 浅倉久志訳『輝くもの天より墜ち』ハヤカワ文庫、2007.07(1985)

主として短中編で画期的な作品を数多く世に出してきた、これまたディック等と並んで非常に重要なSF作家の一人であるジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(James Tiptree, Jr.)が遺した二つの長編のうちの一冊。原書刊行から20年以上を経てようやく日本語になったわけだけれど、そうなると気になるのはもう一冊の方=Up The Walls of the World。こちらは未邦訳、そして悲しいことに原書も絶版ということもあり、米アマゾンに繋いで早速中古を手配した次第。読み終わったら読後感などをブログの方にアップする予定なのでご期待の程。
それはさておきこの本、とある有翼知性体が住むダミエムなる美しい惑星を舞台としたミステリ仕立ての作品になっていて、その実に壮大なスケールと、この人ならではのガジェット豊富な活劇描写が見事にマッチした大変な傑作である。こんな本が未だ訳されていなかったことに驚きを禁じ得ない。幼少時のアフリカ・インドでの滞在や、陸軍、そしてまたCIAでの実務といった経験の積み重ねが、こういう極めて刺激的な作品を生み出しているのは間違いのないところなのだけれど、その空前絶後な感じのこの人の生涯について知りたい方は例えばWikipediaなどを参照して欲しい。
ちなみに、訳者あとがきにもあるのだけれど昨年にはこの人についての伝記も刊行されていて、何となくティプトリー・リヴァイヴァルな雰囲気のある昨今なのだが、ここにそのタイトルなどを書き記しておこう。Julie Phillips著、James Tiptree, Jr.: The Double Life of Alice B. Sheldon(St. Martin's Press:2006)。大変優れた評伝らしいのだが、残念なことに全く読む時間がないので手配には至っていない。以上。(2007/10/31)

Jon Courtenay Grimwood著 嶋田洋一訳『サムサーラ・ジャンクション』ハヤカワ文庫、2007.06(2000)

マルタ生まれの英国人作家であるジョン・コートニー・グリムウッド(Jon Courtenay Grimwood)が2000年に発表した第4作目となる長編SF作品の翻訳版である。ちなみにこの作家の本が日本語訳されるのはこれが初めてのこと。原題はredRobeなのだけれど、要するにこれはカトリックの枢機卿の象徴。ではサムサーラとは何かと言えばこれはパラレルな歴史を持つ地球における近未来のある時点でラグランジュ・ポイント辺りに軌道を固定された小惑星のこと。まあ、要するにそこが話の中心的な舞台となるわけである。
物語自体は至ってシンプルなもので、どうやら亡きローマ法王ヨハンナの記憶を埋め込むべくしてサムサーラに移送あるいは拉致された日系の少女娼婦マイ及び当の拉致事件の関係者を連れてこい、という命令を枢機卿から受けた殺し屋アクスルと、その相棒である人工知能を持つ銃とが辿る数奇な運命を描いたもの。
話は単純なのだけれど、登場する様々なガジェット群に目を奪われてどうもメインのプロットが見失われがちになるというかなり疲労度の高い読書経験となった次第。もう少しコンパクトに出来なかったのかな、という気もするのだけれど、そうしてしまうと凡百の作品と見分けが付かなくなろうだろうし、これはこれでこの作家の持ち味と言うことで納得しておきたいと思う。以上。(2007/11/17)