東野圭吾著『幻夜』集英社文庫、2007.03(2004)

近年目覚ましい活躍をしているエンターテインメント作家・東野圭吾によるクライム・ノヴェルである。帯に、「よみがえる『白夜行』の世界」と書かれているので、「続編?」などと思いつつ読み始めたのだが、そうなのかどうかはお手にとって確かめて頂きたいと思う。
話の発端は1995年の阪神・淡路大震災。今の職場には神戸の人が大勢いて、生々しい語りを聴き取ることが出来るのだがそれは措くとして、と。震災の直後に人を殺してしまった金属加工を生業とする青年と、どうやらその事件を目撃したらしい謎の女とが、あたかも『白夜行』のごとく、しかしながらあの作品よりは直接会う機会の多い関係を保ちながら様々な犯罪に荷担していくという物語である。
『白夜行』と同じく長大な作品なのだが、次から次へと色々なことが起こるので読んでいて退屈することはない。東野の最大の武器である、その何とも言えない朴訥でありかつ極めて客観的な文章が絶妙な味わいを醸し出していると思う。あの震災から約2ヶ月後に起きたオウム真理教によるあの事件がうっすらと影を落としているところなども面白く読むことが出来た。
ただ、どう考えても傑作と言い得る『白夜行』に比べ、キャラ立ちがもう一つであることは否めない。主人公の青年・水原雅也はなかなかなのだが、謎の女=新海美冬はありきたりな感じだし、美冬を追うことになる刑事・加藤もどうもパッとしない。どうにも類型的過ぎるのだ。作品の基本的な方向性として謎解きにさほどの重きが置かれていない以上は、特に人物造形において、「凄み」のようなものが欲しかったと思う。以上。(2007/05/29)

笠井潔著『鮮血のヴァンパイヤー 九鬼鴻三郎の冒険1』講談社文庫、2007.05(1989→1996)

元々『ヴァンパイヤー血風録』というタイトルで出ていた、『ヴァンパイヤー戦争(ウォーズ)』外伝シリーズの第1巻にあたる作品の文庫化である。『ヴァンパイヤー戦争』の主人公である九鬼鴻三郎のハイ・ティーン時代を描くもので、暴走族から右翼結社、そしてまた別の組織へと所属を変えつつ、暴力と陰謀の渦巻くこの世界の裏舞台へと巻き込まれていくプロセスをダイナミックな筆致で綴っていく。
この後もう2冊、同シリーズが続くことになるのだが、第2巻はそろそろ刊行、第3巻は来月刊行とのこと。『ヴァンパイヤー戦争』を読んでいなくても一応独立した作品として愉しめるようになってはいるのだが、出来ればそちらを先に読んでからこっちに入られることをお薦めする。以上。(2007/06/16)

伊坂幸太郎著『チルドレン』講談社文庫、2007.05(2004)

千葉県生まれの作家・伊坂幸太郎による、ドラマ化までされたベストセラー連作短編集の文庫版である。カヴァの装画は宗誠二郎が、巻末の解説は香山二三郎がそれぞれ担当している。
2002年から2004年にかけて『小説現代』に載った5本からなる。著者自身があとがきのようなところで、一つの長編のように読んで欲しい旨を書いているので、そのように読むのが基本的に正しい。
お話としては、独特な形の正義感を持つ陣内という破天荒な男が、周囲に迷惑をかけつつも、その実結構愛される、というようなもの。この作家の作品らしく張り巡らされた伏線が、終幕に向かって小気味よく回収されていく様と、爽快な読後感を楽しんで欲しい、と思う。以上。(2007/06/18)

伊坂幸太郎著『グラスホッパー』角川文庫、2007.06(2004)

同じく伊坂幸太郎による、2004年発表の長編文庫版である。第132回直木三十五賞候補作となったことからも分かるようにかなり高い評価を受けた作品、となる。
元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。復讐を横取りされた形となった鈴木は、押し屋の正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉もまた、それぞれの思惑により「押し屋」を追い始めるが…、というお話。
プロットや文体、あるいはキャラクタ設定などが本当に斬新で、既視感はほぼ無い、と言って良い。クライム・ノヴェル、あるいはピカレスク・ロマンの系列に入るのだろうけれど、これはもはや伊坂幸太郎というジャンルではないかとすら思う、オリジナリティ溢れる傑作である。以上。(2007/06/20)

舞城王太郎著『みんな元気。』新潮文庫、2007.06(2004)

2004年に刊行された同一タイトルの単行本から、「みんな元気。」「Dead for Good」「矢を止める五羽の梔鳥(くちなしどり)」を収めた中・短編集である。「我が家のトトロ」については、帯の情報によればもう刊行されたのではないかと思う短編集『スクールアタック・シンドローム』の方に収録されるらしい。
何と言っても重要な表題作は200ページ近くある中編なのだが、基本的に三島賞受賞作の『阿修羅ガール』と同じく女性による一人称の文体を引き継いだ作品になっている。空を飛ぶ家に住む家族の息子と、地上にある普通の家に住む主人公の妹とが強引に交換される、という何だかC.レヴィ=ストロースが論じていた事例のような話なのだけれど、基本的に『阿修羅ガール』が吉本隆明的に言えば「対幻想」を扱っていたのに対し、この作品は「共同幻想」扱っている、とも言えるだろう。要するに、前者は結婚前の少年と少女という男女二人を軸としたものであり、そしてこの作品は家族内あるいは家族間の関係についての、その中でも特に父と娘・息子との間の関係に焦点を当てた物語なのである。
ついでに言えば、空に浮かぶ家からは『天空の城ラピュタ』を想起せざるを得ないのだが(それよりは『オズの魔法使い』だろう、という意見もあるだろうけれど。)、これは当然「我が家のトトロ」と繋がることになっているのだろう。そっちを読んでから更にコメントを書込むことにする。以上。(2007/06/27)

舞城王太郎著『スクール・アタック・シンドローム』新潮文庫、2007.07(2004)

上の本と同じく『みんな元気。』単行本の中から、「スクール・アタック・シンドローム」「我が家のトトロ」、そして書き下ろし作「ソマリア、サッチ・ア・スウィート・ハート」の3本を収めた中・短編集である。別に分冊にしなくても良いものを、と思ってしまうのだが、それは措いておいて、と。
表題作はその名の通り学校襲撃を扱ったもの。暴力は連鎖し、伝染する、ということを主題にした、それでいて父と息子の関係を描くことがもう一つの中心になっている作品で、この辺り、「みんな元気。」とテーマ的にはかなり近い。より端的に「家族」が主題になっているその後の「我が家のトトロ」は舞城らしからぬやけに心温まる作風になっていて、意外な感じがしたとは言え「こういう脱力系もありかな。」などと云う事を考えた次第。まあ、「トトロ」だし、って意味分からんな。
巻末に入っている結構長い書き下ろし作は、幼児虐待から女子割礼までをも扱うというやけに社会性の高い作品で、この作家の新境地を示しているようにも思う。『阿修羅ガール』に良く似た雰囲気の、殺伐感と緊迫感満点の傑作である。以上。(2007/07/31)

笠井潔著『疾風のヴァンパイヤー 九鬼鴻三郎の冒険2』講談社文庫、2007.06(1989→1996)

第1巻でロシアに渡った九鬼鴻三郎が、モスクワでの訓練を経て恐るべき戦闘能力を身につけて日本に戻り、ベトナム戦争絡みのミッションに投げ込まれ、暗躍する姿を描く。
訓練の様子やらこの本で描かれるミッションの前の仕事など、長く書こうと思えば幾らでも長くできそうなところを、その辺は読者の想像に任せる、とでもいうような形でバッサリと切り捨てるあたりがこの作家の身上。ヴェトナム戦争絡み、あるいはもっと広くインドシナ情勢絡みの話はこの作家の最も得意とする分野の一つでもあるわけで、エンターテインメント作品なのに思想小説としても読めてしまうところが大事なのである。そうそう、要するにこの作品にはカンボジア内戦やヴェトナム戦争が影を落としているのだが、そういえば先頃小田実(まこと)も亡くなったな、などとやや筋違いのこともここに書き記しておこう。
さてさて、本書は第3巻に続く、という形で終わっているので、続編となる既に刊行されているそちらもさっさと読むことにする。以上。(2007/08/05)

笠井潔著『雷鳴のヴァンパイヤー 九鬼鴻三郎の冒険3』講談社文庫、2007.07(1989→1996)

上の本に続く第3巻にして、このシリーズの完結編である。とある薄幸のヴェトナム難民女性を救い出すべく香港へと向かった九鬼鴻三郎が、そこでつかんだ事実を元にヴェトナムへと赴き、やがて新たな事実が明らかに、という物語となっている。要約すればこういう話なのだけれど、細かいところが大事なので、是非手にとってお読み下さい。
張り巡らされた伏線だの、インドシナ政治情勢の見事な活用だの、『ヴァンパイヤー戦争』後の、そしてあの代表作『哲学者の密室』前の、作家として本当に油の乗り切った段階で書かれたものということを見事に体現した極めて良く出来たエンターテインメント作品であると思う。以上、短いのだがこの辺で。(2007/08/18)

石持浅海著『水の迷宮』光文社文庫、2007.05(2004)

愛媛県生まれで2002年デビュウの作家・石持浅海(いしもち・あさみ)による、第3長編。元本はカッパ・ノベルス刊。第2長編『月の扉』が日本推理作家協会賞候補に挙がり、2005年刊の第5長編『扉は閉ざされたまま』が「このミステリーがすごい」第2位と波に乗る同作家だけれど、これもまた佳品と言える内容を持つ傑作ミステリである。
3年前に死んだ片山雅道の命日に、それは起こる。片山のかつての職場であり、その死に場所でもあった羽田国際環境水族館で拾得された携帯電話に届いたのは、展示生物への攻撃を示唆する脅迫メールだった。水族館員および、水族館とは協力関係にある深澤康明による必死の抵抗が始まる。果たして、犯人の意図は、そしてまたそれは片山の死と何か関係があるのか…、というお話。
物凄く短い時間の中で起きた出来事ということになるのだけれど、臨場感溢れる筆致は実に見事なもの。良く練られたプロット、そしてまた何とも言えない余韻の残るラストともに、まさに佳品。上質な、本当に上質にして愛すべきミステリ作品である。(2007/08/20)