笠井潔著『新版 サイキック戦争(ウォーズ) I・II』講談社文庫、2006.03(1986-1987→1993)

先頃、これに先行する形で同じ「コムレ・サーガ」に属する、というかその中核をなす作品である『ヴァンパイア戦争(ウォーズ)』全11巻も講談社文庫に収録されることになったわけだが、そちらは既読なので購入せず、今回は何故か未読なので購入した次第。2分冊という形で刊行された本書は「新版」と銘打たれているのだが、両巻末にも書かれている通り、かなりの加筆・修正が施されている模様である。
「コムレ・サーガ」というのは、本書の解説にも詳しく書かれているのだけれど、要するに縄文の昔より日本に住み着き、大陸系の人々が流れ込み先住民=縄文人を周辺に追いやる中で列島各地に隠れ住むに至った、特殊な能力を持つ「古牟礼(コムレ)」の民の末裔が繰り広げる宇宙規模の物語群、ということになる。
その中にあって、本書ではヴェトナム戦争末期であり、カンボジア内戦の中でも最も重要であろう時期にあたる1970年代中盤を時代背景に、コムレの民の末裔であり、更には端的に連合赤軍をモデルとした元「連合革命軍」メンバの主人公・竜王翔(りゅうおう・かける)が、その超能力を駆使して世界を滅亡ないし消滅の危機から救おうとする、というプロットが描かれる。
1980年代に基本的な部分が書かれた本書を今になって読むと、色々なことを考えてしまう。第1には、超能力がどうにもうまく使いこなせず、最後に至って坂口安吾的に言えば「堕落」しきることで(成長や進化・進歩、というのはこの作品ではむしろネガティヴなものと捉えられている。)ようやく世界を救済する主人公、というキャラクタ設定は時代を先取りしていたように思えること。
続いて第2には、1990年代後半以降「のして」来たいわゆる「セカイ」系(詳しくはWikipediaなどを参照のこと。そちらを見ると、笠井潔自身による言及が存在することが分かる。)のコミックや小説群ものの原点にして、そういったものが余り表だっては触れないというよりはむしろ避けているか無視しているイデオロギー論争あるいは闘争にも踏み込んでいた作品としてこれは貴重この上ない作品ではないか、ということ。言い換えれば、今後余程のことがなければこういうものが書かれることはまず無い、と言っても良いだろう、実に意義深い作品なのである。以上。(2007/02/13)

笙野頼子著『幽界森娘異聞』講談社文庫、2006.12(2001)

随分前からすっかり著者の言うところの「文庫読者」に成り果ててしまっている私だが、本書は純文学を一人で担っている感すらある著者が2000年頃に文芸誌『群像』に連載していた、大文豪・森某の娘である同じく本書内における著者の呼び名では「森娘」(以下、私も使わせていただく、と)となっている今なおコアなファンの多い小説家にしてエッセイストについての評伝と、自らの身辺雑記的叙述が交錯するポリフォニックな志向性を持った小説である。
三重県出身で雑司ヶ谷に長く住んでいた笙野頼子が佐倉に引っ越していたことを今頃になって知ったのだけれど、すぐそこじゃないか、と。それはどうでも良いのだけれど、京都時代に森娘によって書かれた『贅沢貧乏』を読んで天啓のようなものを受けてしまったらしいこの作者が、それ以来森娘に対して抱いてきた憧憬と半分以上「呆れ」の入り交じった複雑な想いみたいなものが独特な文体で表出されていて、今更ながら「この作家の原点って森娘だったのか…」などと、かなりの衝撃を受けてしまったのであった。方向性が余りにも違うわけで…。
以下蛇足だけれど、どうもこの漢字だらけのタイトル、雑司ヶ谷という地名から京極夏彦のデビュウ作を思い起こしてしまったり、本書の中に著者が飼っている猫の話が沢山出てくるせいもあってか「ヨウカイネコムスメイブン」と頭の中で発音されてしまって仕方がないのだが、何とかしてくれ、と言っても仕方ないか。更に付け足しだけれど、泉鏡花文学賞を受賞した本書の単行本上梓後に執筆・刊行され、やはり高い評価を受けたこの作家の近作も早めに読破して紹介する予定なのでご期待のほど。以上。(2007/03/07)

Brian W. Aldiss著 柳下毅一郎訳『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』河出文庫、2007.01(1977)

原題はBrothers of the Head。1977年に刊行された基本的にSF界の巨人であるブライアン・W・オールディス(Brian W. Aldiss)によるコンパクトでそれでいて密度の濃い作品。タイトルにある「ヘッド」というのは「半島」という意味なのだけれど、英国北部のとある半島出身の「結合双生児」=「ブラザーズ」の数奇な人生をポップでコミカルでそれでいて重苦しい雰囲気を漂わせた筆致で描く。
オールディス作品の評価というのは、このところ日本国内でも随分高くなっているように思うのだけれど、かといって1980年代にサンリオから出ていたあの傑作群が再刊されるような動きは見られない。何冊かは結局刊行されずに終わった気もするのだけれど、そういうものも含めてこの機にどこかの出版社が一気に出してくれると嬉しいのだが、とこの場を借りて述べておこう。
ちなみにこの小説、ご存じの方も多いと思うのだが、映画化されてつい先頃日本でも公開された。「結合双生児がロック・スターになる」というお話なのでどう考えてもヴィジュアル的にインパクトがありすぎだし、原著がイラストレイティッド・ノヴェルという形で出ていたこともある関係もあってそもそも映画にしやすかったようにも思うこの作品だが、それだけでなくて、本書の訳者あとがきにあるように映画ならではの趣向もあるらしく、これは必見、と思いきや既に神戸と熊本でしかやっていない(3/11現在)。それはそうなのだが、実は、神戸なら何とかなるかな、などと気合いの入ったことを考えていたりもするのである。以上。(2007/03/11)

三崎亜紀著『となり町戦争』集英社文庫、2006.12(2005)

基本的には女性に付けられる名前を持つ男性作家による第17回小説すばる新人賞受賞作である。これは確かに大変な傑作で、上のオールディス作品と同じくつい先頃その映画が上映されていた次第。これは、小説としてほとんど完成してしまっているので、何らかの要素なり何なりを付け加えないと作るがないのでその映像化はかなり大変だと思うのだけれど、その辺をどう処理したのか、という辺りには大変興味がある。
余談は置くとして中身はと言えば、これはかなり画期的な設定を持つ小説で、要するに地方自治体同士の「戦争」が法的に認められている社会、というものを前提に、ある町に住むこととなった主人公が徴集され、巻き込まれていくプロセスを描く。文庫版では書き下ろしで「別章」というものが設けられていて、一つの「となり町戦争外伝」が語られている。
さて、余り詳しく述べるとネタバレになるのだが、冒頭から仄めかされていて、終盤で明らかにされる地方自治体同士の戦争が何のために行なわれているのか、ということについての真相は大変面白いと思う。これまた上のオールディスと同じくニュー・ウェーヴSF三人衆の一人が確か福武文庫に入っていた短編で同様のヴィジョンを描いていたのだが、実はこれは経済人類学という学問領域の中では割と古くから議論の対象となっていたことなのである。以上。(2007/03/25)

有栖川有栖著『白い兎が逃げる』光文社文庫、2007.01(2003)

〈臨床犯罪学者〉火村英生(ひむら・ひでお)ものの、本格ミステリ作4編からなる作品集である。やや短めの3本は『ジャーロ』に、表題作の中編は『週刊アスキー』に掲載されたもので、既にカッパ・ノベルスで出ていたが、この度文庫化された。今回特に付け加わったものはないと思う。
例によってエラリー・クィーンを意識した極めて正統派のミステリ作品揃いで、堪能出来る。個々の作品で用いられているのは、アリバイ崩し、動機探し、ダイイング・メッセージ解読といった、言ってみれば使い古された感のある趣向なのだが、趣向が分かっていてもその真相やトリックには独自性の高いひねりが加わっていて、読者は煙に巻かれることになるようになっている。
特に、第2編の「地下室の処刑」は著者自身が語るようにまだ書かれていなかったことが書かれた作品であるのだろうし、表題作「白い兎が逃げる」における「兎づくし」ぶりからは、この人の作品にしては珍しい茶目っ気が感じられて大変面白いと思った次第である。これについては、恐らくは初出誌の編集方針がそうさせたのだろう、という邪推を記しておこう。以上。(2007/05/05)

高野和明著『幽霊人命救助隊』文春文庫、2007.04(2004)

江戸川乱歩賞作家である高野和明による、エンターテインメント巨編の文庫版である。元々は『別冊文藝春秋』に連載され、2004年に単行本刊。文庫化にあたって、養老孟司が解説を執筆している。
浪人生の高岡裕一は、どことも知れない断崖の上で老いたヤクザ・八木、気弱そうな中年男・市川、気だるげな若い女・安西という3人と出会う。実は、彼ら4人は全て「自殺者」だった。やがて彼らの前に現れた神は、大事な命を粗末にしたことへの「弁償」として、7週間以内に自殺志願者100人の命を救えと命令するが…、というお話。
素晴らしい作品だと思う。アイディア、キャラクタ造形、プロット、テーマのどれをとっても一級品以上。とにかく読んでくれ、という他はない。デビュウ作以来、「タイムリミットもの」の巨匠への道を進んでいるとしか思えない作家による、現時点での代表作と言いうる作品である。以上。(2007/05/08)

清涼院流水著『キャラねっと完全版 愛$探偵ノベル』角川文庫、2007.04(2004)

角川のライト・ノヴェル誌『ザ・スニーカー』(これ大事)に2001年から連載され、2004年には新書で出ていたものの文庫化にして完全版の登場。「(株)ドリンクソフト」(これも大事)によりネット内に作られたヴァーチャル学園サーヴィス「〈キャラねっと〉」内で起こる密室〈殺人〉事件を扱った第1編「みすてりあるキャラねっと」を皮切りに、「キャラねっと」内での美少女コンテストに仕掛けられたある陰謀を描く第2編「めいきゃっぴキャラねっと」、同じく「キャラねっと」内での「出会い」を演出するサーヴィス「出会いまちょ」を利用した人捜しの顛末を描く第3編「であいまちょキャラねっと」という三つのエピソードが骨格。
ざっと概要を示した上の段落で十分表現出来ていると思うのだけれど、本作は清涼院流水のお家芸とも言えるコトバ遊びの極地、と言っても良い作品になっていて、中身に入ると更に凄いわけなのだが、その辺りの所は実物を手にとってお確かめ頂きたいと思う。特に、各ユーザが作ったキャラのハンドル・ネーム群が素晴らしい。
物語構成としては基本的に本格ミステリというスタイルをとっていて、基本的に仮想空間内で起こる事件とその謎解きがしっかりと記述されていくのだが、例えば第1編を考えるとお分かりのように、仮想空間内で「密室」を作ることってそもそも可能なのだろうか、と疑問に思う方もおられることだろう。私もそう考えたわけである。仮想空間なのだから、例えばその開発者にとってはユーザ側から見ての密室なんてものは簡単に構築出来てしまうのであり(要するに開発者は神みたいなものなので)、それじゃ謎解きも何もないじゃん、ということになりかねない。そういう難しい設定をうまい具合に切り抜けているところが最大の読みどころなので、これもまた実物で確認頂きたいと思う次第。
ミステリとしては勿論なのだけれど、青春小説としても、キャラクタ小説としてもとても良く出来た作品であると思う。それは兎も角、2001年の段階ではまだ実用段階ではなかった仮想空間だけれど(ちなみに、この小説は基本的に書かれている時点をその時間設定としている。)、今では600万ユーザを抱える「セカンド・ライフ」などというものが生み出されるに至っている。今後は新たなサーヴィスが次々に生み出され、やがて安定期に入るのだろうけれど、そうなった段階で、この作品が果たして時代を先取りしていたかどうかが明らかになるだろう。きっと凄いことになっているはずの2022年2月22日を心待ちにしたい。以上。(2007/05/11)