阿部和重著『グランド・フィナーレ』講談社文庫、2007.07(2005)

2005年初頭の第132回芥川賞受賞作「グランド・フィナーレ」を含む作品集の文庫化である。作者の故郷を舞台とするいわゆる「神町(じんまち)サーガ」の一つになるわけだけれど、プロットとしては妻には離縁され職も失い、そんなこんなで故郷にかえったロリコンの主人公が、かつて映画の仕事をしていたことから地域の美少女小学生二人に舞台の指導を頼まれる、というお話。
感動的な話である気もしないでもないのだが思うにこの作家が狙っているのはそんなところではない。喪失と再生の物語に見えたりもするのだがこれまた考えるにそれを狙っているとは到底言い難い気がする。要するに、自分はロリコンであるという自覚のもと、それを反省するでもなくしないでもなく、何やらどっちつかずな感じの中年男の自意識みたいなものが、つらつらと書かれていく、少々ピカレスク・ロマンの趣きもある奇妙な作品、といったところだろうか。
映画から色々なものを持ち込んでくるこの作家の作品ということもあり、ちょっと考えてみたのだけれど、個人的には何となくL.ブニュエル辺りの映画を意識しているように思われた。いかがなものだろうか。いかにも社会の陰画としての、みたいな主人公の描き方が彼の映画を彷彿とさせるところがあったりするように思うのだ。
ちなみに、本書に収められた「20世紀」という作品の中にやはり神町に住む盲目の女性「老占い師」が登場するのだが、これは私が自著などで扱っていた彼の地ではオナカマと呼ばれる盲巫女のことではないかと思う。あの辺りの美味しい蕎麦の味と共に、ちょっと懐かしく想い出した次第である。以上。(2008/09/04)

東川篤哉著『館島』創元推理文庫、2008.07(2005)

2002年のデビュウ以来、ユーモアミステリの旗手として徐々に知名度を上げてきている東川篤哉による、かなり本格的なミステリ作品である。元本は東京創元社の叢書ミステリ・フロンティアの一冊、であった。
舞台は瀬戸内海に浮かぶ横島という名の小島。天才建築家である十文字和臣が、この島にある自分で設計し建設した奇妙な形をした別荘で突然の死を遂げてから半年。未亡人・康子が再びこの地に関係者を集めたとき、連続殺人事件の火ぶたが切って落とされた。嵐により本土との行き来が不可能となる中、探偵・小早川沙樹、刑事・相馬隆行の二人は謎を解くべく捜査を開始するが、というお話。
かなり大時代がかった相続がらみの殺人事件に、某氏の作品のような大がかりなトリック、それだけだと新本格とかわり映えがしないというかもうちょっと戻ってしまう感じだと思うのだが、東川篤哉はそこにコミカルな演出を加えることで、新味を出すことを意図し、それにある程度以上成功していると思う。
確かに、結構癖のあるスタイルで、好き嫌いはあると思うのだが、これはこれで一ジャンル、ではないか、と今のところは考えている。今後の活躍に期待したいと思う。以上。(2008/09/07)

鳥飼否宇著『逆説的―十三人の申し分なき重罪人』双葉文庫、2008.08(2005)

2001年に『中空』でデビュウした福岡県生まれの作家・鳥飼否宇(とりかい・ひう)による、13本からなる連作短編集の文庫版である。原題は『逆説探偵』で、「綾鹿市」シリーズの1冊となる。『小説推理』に1年間にわたって連載された12本の短編と、書き下ろし1本からなる。解説は乾くるみが担当している。
殺人に脅迫、誘拐にテロと、ありとあらゆる種類の事件が起きる綾鹿(あやか)市。刑事・五竜神田と、謎多きホームレスの謎解き役「じっとく」こと十徳次郎(つなし・とくじろう)が、誰もが首をひねる難事件を次々に解決していく。
タイトルが「十三人」なのがミソだけれど、それはさておき。13本も入っているので、少なくとも13アイディア。それを同じくらいの長さの物語に仕立て上げている作者の力量は驚くべきものだと思う。キラリと光る本格ミステリ作品集である。以上。(2008/09/08)

今野敏著『宇宙海兵隊 ギガース 2』講談社文庫、2008.08(2002)

「ギガース」シリーズの文庫化第2弾である。今月第3弾が出て、それから先の予定はまだ立っていなさそう。何しろ、第3作の新書版が2003年、第4作が2006年、第5作が2008年5月、というペースなので、第4作以降は新書で、ということになるかも知れない。
第2作は、宇宙海兵隊にこの作品の主要登場人物オージェ・ナザーロフ(名前の通りロシア系という設定)を含む空間エアフォースのメンバが加わって戦力増強が図られる中、木星陣営の火星侵攻に対する作戦が開始され、というような展開になっている。
話の展開がやや遅めなのが少々いらつくところなのだが、マン/マシーン・インタフェースの話であるとか、ある意味謎だらけの「敵」ジュピタリアンが更に謎めいた存在になっていきつつあるといった辺りがとても面白く読めた次第。取り敢えず間もなく刊行される次巻を待ちたい。以上。(2008/09/09)

化野燐著『蠱猫』講談社文庫、2008.03(2005)

2005年にノベルス版として刊行されていた、「人工憑霊蠱猫」と題されたシリーズ物の第1作。作者の名前は「あだしの・りん」、タイトルは「こねこ」と読む。岡山県にある「美作(みまさか)研究学園都市」を舞台に、『本草霊恠図譜(ほんぞうれいかずふ)』なる書物の処遇を巡り、同書をある目的で使おうと暗躍する「有鬼派」と、それを阻止せんとする図書館司書・美袋(みなぎ)小夜子や人類学専攻の大学生・白石優等の死闘を描く。
妖怪研究者である作者が(ちなみにこの方、youkai.orgというサイトを運営しているので是非ご覧下さい。)、これでもかというほどに知識を盛り込んだ作品で、基本的に衒学的なものが好きな私にはとても楽しめた次第。舞台が大学で、登場する学生達が人類学の研究室に所属している、という設定も面白い。
ちなみに、確かに膨大な情報は含まれているものの、全体の流れとしては外連味のある妖怪バトルを中心とする伝奇小説なので、ストーリィだけを追うのも楽しいだろうと思う。既に第2弾も文庫化されていて、恐らく第3弾もそろそろ、なはずなのでとっとと読了しようと思う。以上。(2008/09/20)

今野敏著『隠蔽捜査』新潮文庫、2008.02(2005)

第27回吉川英治文学新人賞を受賞した傑作である。この人、デビュウは1978年に発表された、現在では図書館でしか読めそうにない『怪物が街にやってくる』という作品なので、実に約30年の作家生活を経ての新人賞、ということになる。ちなみに、この受賞以降この人の作品は再評価の方向にいっているので、『怪物…』もどこかで再版されるかも知れない。
さてさて、この本の舞台は首都圏。主人公の警察庁長官官房総務課長・竜崎伸也は言ってみればマスコミ対策担当。この人、「東大以外は大学ではない」「自分は国家のことを、お前(=妻)は家庭のことをするべき」というようなポリシィを持つとんでもない堅物であり、逆に言えば恐ろしく一本芯の通った人物である。その彼を中心に、幼なじみでありかつライバルである、今では警視庁刑事部長になっている、彼とは対極的な性格と信条を持つ伊丹俊太郎との微妙な関係を絡めつつ、警察機構と司法制度の根幹を揺るがしかねない事件を巡るめまぐるしいドラマが展開される。
手放しで「これは凄い!」、と言い得るような実に良く出来た小説で、別に直木賞をとってもおかしくなかったのではないかとさえ思った次第。警察小説であり、そしてまた見事な家庭小説でもあるところがミソなのだけれど、隙や無駄といったものが殆ど見あたらないし、さりとて必要なことは全てきちんと書かれているといった具合。膨大な時間をかけて人物設定やプロットの練り込みを行ない、更には推敲に推敲を重ねたのだろうな、と推測する。
蛇足ながら、昨今大分県やら社保庁やらで不祥事が発覚する中、日本国民は官僚制度についてそれがどうあるべきなのかをきちんと考えないといけないと思うのだけれど、この本は結構そのお手本として使えてしまうのではないかと思ったりもする。極上のエンターテインメントにして、誠に啓発的な名作である。山本周五郎賞受賞の続編『果断』を読むのが今から楽しみ、と述べて終わりにしたい。以上。(2008/09/23)

今野敏著『宇宙海兵隊 ギガース 3』講談社文庫、2008.09(2003)

「ギガース」シリーズの文庫化第3弾である。第4作以降は出版年が新しいので、しばらく期間が空くのではないかと思われる。本書所収の解説によれば第6弾で完結という事らしいので、取り敢えず前半終了、ということになる。ここから先は新書で、という感じだろうか。
かなりスローなテンポで進んできた物語は、この巻でも相変わらずゆったりとしたペースで展開する。前の巻で描かれた戦闘の結果として月に移動することになった宇宙海兵隊の面々は月面で新たな事態に巻き込まれ、そんな中で主人公リーナにまつわる驚くべき事実が明らかになる、というような展開。
うーん、引っ張るなぁ、という感じなのだが、その辺はさすがにプロ中のプロ作家である。技術的な記述の細やかさがこの作品が持つ最大の魅力だと思っていたのだけれど、ここへ来てプロット構築の緻密さであるとか、大きな物語構築の面白さ、というのも発揮されてきていると思う。第4、5巻も近いうちに読んでしまおうと考えている。以上。(2008/10/21)

化野燐著『白澤』講談社文庫、2008.06(2005)

2005年にノベルス版として刊行されていた、「人工憑霊蠱猫」と題されたシリーズ物の『蠱猫』に続く第2作。タイトルは「はくたく」と読む。
この作品では前作とほぼ並行した時間が、今度はSEの石和百代(いさわ・ももよ)と人類学を専門とする学芸員の時実理一(ときざね・りいち)により、それぞれ「陰」、「陽」と題された章により交互に語られていく。当然、前著では語られていない情報も盛り込まれ、話は大きなふくらみを持つこととなる。
ここで重要なのは、「憑霊」というシリーズのタイトルからも分かる通りの憑霊文化とでも言うべきものに関する一つの解釈が時実という一人類学者によって語られているという点。それをまとめるなら、憑依現象、この作品の中では主として憑依したものが憑依したものに多大な影響を与えるないしは支配する、あるいは憑依されたものが憑依したものに変化する、といった形で現われる事態は、「シャーマニズムに類似した幻視体験」であり、「すべては心の中、脳内の出来事」(304頁)ということになる。
ちなみにここで断っておくと、著者がこの視座からこのシリーズ全体の記述を行なっているとは全く言い得ないのであり、だからこそ時実はあくまでも語り手の一人、という立場になっているのである。なお、時実は心理学に近い人類学の説明原理に従っているけれど、私の立場は社会人類学なので、憑依現象をそれこそある社会の生み出した所産でありその社会の特徴が現われる場面、あるいはある社会が抱えている問題の顕在化する場、といったような形で理解しようとする。詳しくは私の著書や論文をご覧頂きたい。以上。(2008/11/01)

乾くるみ著『イニシエーション・ラブ』文春文庫、2007.04(2004)

時はバブル全盛の1980年代後半。静岡県内の大学に通う「僕」は合コンで知り合った歯科助手の「マユ」と恋に落ち、不器用でぎこちないながらも少しずつ互いの関係を深めていく。そんな過程を当時の風物などを絡めて描いたピュアな恋愛小説。
などというものを乾くるみが書くわけがない。まあ、もしそうだったらそれはそれで恐ろしいのだが、さすがにそれはない。実のところ、他の作品を読んでいてある程度この作家の作風を知っていれば問題ないのだけれど、本書で乾くるみデビュウというのはかなりヤバイのであって、「何だか甘ったるい恋愛小説だな〜、バブル期小説のパロディか何か?」とか、「典型的な『妊娠小説』だな〜、何で今さらこんなものを?」と思われてしまい、途中で投げ捨てられる可能性大。
そういうことがないためにこういう紹介文が存在するのだけれど、乾くるみは決してそういうものを書く作家ではないので、ある意味安心して最後まで進んで欲しい。そこには何かが待っているのである。以上。(2008/11/16)