熊谷達也著『邂逅の森』文春文庫、2006.12(2004)

仙台市出身の作家・熊谷達也による、第17回山本周五郎賞、第181回直木賞のW受賞に輝いた記念碑的な作品。現在の北秋田市阿仁打当(あに・うっとう)において明治23年(1890)に生まれた、という設定がなされているとあるマタギの物語で、身分違いの恋を原因とする村からの放逐、鉱山での生活、そしてマタギとしての再生と結婚、等々といったことが描かれる大河小説となっている。
さてさて、阿仁といえば阿仁マタギなのであり、そんなこともあって彼の地には現在もマタギの里熊牧場などという施設が存在する。まあ、要するに今も昔も「マタギの里」なのである。
そのマタギの生活を圧倒的な描写力で緻密・克明に描きつつ、主人公が果たす様々な人々とのそれこそ邂逅を波瀾万丈の展開で語っていく技量は誠に素晴らしいもの。その文章の力に加え、私が個人的に見知っている地名が頻出することとも相俟って、何とも感慨深いものがあった次第である。
ちなみに、マタギあるいは狩猟民とは山の民なのであり、そんなこともあって主人公をはじめとするマタギ達は山の神を信仰していることになっている。そしてまた、この作品での設定のように山の神は基本的に女性と目されることが多く、そうした関係なのか論理構造は逆なのかは難しいところだが山には女性は入ってはいけない、であるとか、山では女の話をしてはいけない、といった禁忌の存在はかなり一般的なものなのである。
そういうことと同時に、これもこの作品における設定のように山の神からは自然の恵みが与えられるとともに、人間の側からはそれへの返礼を何らかの形でしなければならない、というような言わば互酬的な関係がそこにあることも一般的に見られることである。こういったことが、主人公の女性観であるとか自然観・人生観といったものに多大な影響を与えていて、その辺りを興味深く読んだのだった。
民俗学における狩猟民研究を読込みつつ、恐らくは自ら足を運んで取材をしつつ、そんなこんなで膨大な時間をかけて作り上げられたはずのとあるマタギの一代記、是非とも手にとって頂きたい、と思う。それは要するに、これほどの作品にはそうそうお目にかかれるものではない、と考えるからである。以上。(2008/06/22)

我孫子武丸著『弥勒の掌(て)』文春文庫、2008.03(2005)

本格ミステリ・マスターズの1冊として刊行されていたものの文庫版である。妻に失踪された高校教師と、妻を殺された刑事という二人それぞれの視点から描かれる章が交互に配置され、どちらの事件にも「救いの御手」なる仏教系の新宗教教団が関わっているらしきことが取りざたされ、やがて二人の人生は交錯し、というお話。後は読んでのお楽しみ、である。
さすがに見事なストーリィ・テリングがなされていて、一気に読ませるし、結末部も素晴らしい。しかも手の内は良く見ればちゃんと読者の前に明かされている、というフェアプレイぶりにも脱帽することしきりな作品に仕上がっている。
帯には凄いことが書かれていたりするのだけれどそれは書店などでご確認頂くとして、個人的に最も驚いたのは293頁にある「参考文献 菊池章太『弥勒信仰のアジア』(大修館書店)」という一行だった。要は、何でこんなある意味マニアックな本を参考にしたのだろうか、ということである。弥勒菩薩に関してなら、他にも数多参照可能な文献があろうものを、と。実に実に、我孫子武丸恐るべし、なのである。以上。(2008/07/21)

今野敏著『宇宙海兵隊 ギガース』講談社文庫、2008.07(2001)

2001年に講談社ノベルスで本書が出て開始されたシリーズなのだけれど(正確に言えば1990年と1991年に『宇宙海兵隊』『宇宙海兵隊2』という2冊の本が出ている。本作はこれのリメイクという位置付けになる模様。ちなみに「ギガース」の方についてはつい先頃第5巻が出版されたのだがいまだ完結には至っていない。)、この度ようやく文庫化の運びとなった。未読の近著『隠蔽捜査』シリーズが好評のこの作家(吉川賞、山本賞、推理作家協会賞を立て続けに受賞している。)、実は意外に年齢が上なことにこの度気付いて驚いたのだが、それはさておき、と。
さてさて、シリーズのさわりである本書では、それほど遠くはない未来、地球連合とそこからの独立を主張する木星圏との抗争が激化する中、状況を打破すべく投入された地球側の新型人型兵器ギガースに搭乗するある特殊な能力を持つ少女が、その配属された部隊に四苦八苦しながらも溶け込んでいくプロセスを描く。
そんなプロットからも推察可能な通り、この作品はあからさまに「ガンダム」へのオマージュというかかの作品を物凄く意識して書かれているのだけれど、それに加えて「リヴァイアス」やら「ナデシコ」やらからの様々な要素がまぶされている、という風に読めてしまった。正直なところアニメ版である『機動戦艦ナデシコ』や、その原作というか原案というか、要は関連の深い麻宮騎亜の漫画『遊撃宇宙戦艦ナデシコ』に基本設定などが余りにも酷似していないだろうか、と思ったのだけれど、2巻以降ではそこからちょっとは離れていくのだろうかと気になってしまう。まあ、取り敢えず次巻を待つとしよう。以上。(2008/07/30)

篠田節子著『ロズウェルなんか知らない』講談社文庫、2008.07(2005)

この書籍紹介欄には久々の登場になる篠田節子による、2005年に単行本版が刊行された大長編を文庫化したもの。
「ロズウェル」と言ったら誰でも知るようにかの有名なUFO事件のあった土地だけれど、この本の舞台は群馬県辺りの中間山村。2030年に人口がゼロになると予想され、そんなこんなで村おこしに必死なとある過疎の地方自治体が、UFO現象、心霊現象等々といった怪異の頻繁に起こる土地、という情報が各種メディアを通じて流された結果予期せぬ形で脚光を浴びてしまうのだが、その結果として起こる様々な事象を、村おこしの中心を担っている概ね30代の未婚男性達を主要な登場人物としてこの作家らしいコミカルな筆致で描く。
まあ、兎に角面白い。元々公務員で民俗学などへの造詣も深いこの直木賞作家の本領発揮というか、地方におけるお役所と民間の対立や、30代未婚男性達とその親達という世代間の対立などをきっちりと描きつつ、オカルトから疑似科学、あるいは民俗学に至るまでの誠に豊富な知識を程良くちりばめつつ、更には巧みなストーリィ・テリングと洒脱な語り口で最初から最後まで息つく間もなく読ませてくれる。久々に小説を読むことの愉悦を味わうことが出来た次第なのだが、これを読んで面白いと思った方は、本書以外にも多々ある同著者の傑作群を、是非手にとっていただきたいものだと思う。
ちなみに個人的には、篠田節子というそもそも大変優れた作家がここにきて、敢えて基本的に30代の未婚男性達の視点で一つの物語世界を構築しきったこと自体が驚異的なことだとも思う。こういう物語構成というのは、例えばこの作家の直木賞受賞作品『女たちのジハード』を反転させているとも言い得るのである。
蛇足なのだが、解説には「この本にはロズウェルという言葉すら出てこない」と書かれているのだけれど、実は490頁にしっかり出てくる。普通に読んでいれば見落とすはずはないと思うのだが、何でそうなってしまうのだろう。以上。(2008/08/22)