伊藤計劃著『虐殺器官』ハヤカワ文庫、2010.02(2007)

昨春34歳の若さで夭逝した天才作家・伊藤計劃(いとう・けいかく)による「ゼロ年代ベストSF」第1位に輝く、各方面から圧倒的な支持を受けたデビュウ作にして大傑作長編の文庫版である。まあ、兎に角読め、な作品なので、兎にも角にも読んで欲しい。
時代はちょっと先の未来。アメリカ人の主人公=クラヴィス・シェパードは、発展途上諸国で起こる内戦や大量虐殺の首謀者を暗殺することを目的に作られた米軍特殊部隊に所属し、その任務を着々とこなしていた。そんなある日、様々な紛争の背後にいつも現れる「ジョン・ポール」なる平凡な名前を持つ人物の存在が浮かび上がり、クラヴィスは彼を追うことに。虐殺を引き起こす器官たるジョン・ポールの正体はいかに、そしてまた世界の運命はいかに、というお話。
ディテイルの見事さ、プロットの斬新さ、キャラ立ちの良さ、そしてまた何とも重いテーマが持つ文学性等々、数え上げれば切りがないほどに良いところずくめの傑作であり、確かにこれは金字塔的な作品であると考えた次第。そう考えると、この作家が今からちょうど1年前の3月20日に、長編3本といくつかの短編を残してこの世を去ってしまったことが、何とも残念、なのである。あと5年、いやあと3年生きながらえていたなら、どれほどの貢献をSF界、いや文学界に果たし得ただろうか。
ちなみにこの作品、実は『攻殻機動隊』や『モンティ・パイソン』、あるいは『プライヴェイト・ライアン』その他数多くの映像作品から多大なインスパイアを受けて成立している。ではこの作品自体の映像化は?、と当たり前のように思ってしまうのだが、アニメーションでも良し、実写でも良し、誰か動き出していないのだろうか?以上。(2010/03/17)

円城塔著『Self-Reference ENGINE』ハヤカワ文庫、2010.02(2007)

円城塔のデビュウ作にして、上の『虐殺器官』とともに第7回小松左京賞の最終候補に挙がった作品。単行本化に際しては大幅な加筆・修正が加えられ、といった経緯も全く同じ。「ゼロ年代ベストSF」第4位という世間の評価も酷似。では一体この非常に優れた2本を超えて栄えある第7回小松賞をとった作品は、と思って調べたら、該当作品なしであった。なるほどなるほど。
そんな凄い作品が2冊も同時に文庫化されてしまったのが今年の2月という月。これは事件なのではないか、などと勝手に思っているのだが、それはさておき。本書は第一部:Nearsideに10本、第二部:Farsideに10本の短編を収めた連作短編集。基本的に奇想天外なものが多いのだが、それぞれがそれこそ漱石の『夢十夜』なんてものを彷彿とさせるような文学性、あるいはテッド・チャン(Ted Chiang)やグレッグ・イーガン(Greg Egan)などが書きそうな高度にエンジニアリング的で思弁的なSFとしての意匠や中身を持っている、と同時に、全体を通じて、タイトルからも読み取れるような、相互に参照し合い、メタ・フィクショナルな構造を体現するSFとも純文学ともつかぬ物語が紡がれるという趣向。ジャンル横断的で、非常に独創性の高い、密度の極めて濃い作品群にして、実はもっと大きな物語の断片をちりばめただけなのかも知れない、その全貌がいつか見てみたい、というような何とも不思議な読後感を持つ作品、と述べておきたい。
なお、単品としても面白い話が満載なのだが、中でも「Freud」は私のお気に入り。こういう話をみると、筒井康隆の影響も多大だな、などと思う。この作家、実は「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞を受賞し、芥川賞候補にもなったりと、SF界のみならず主流文学界でも大活躍なのだが、今後の活動に注目したい。以上。(2010/03/18)

誉田哲也著『ストロベリーナイト』光文社文庫、2008.09(2006)

個人的には今日のエンターテインメント小説界でNo.1だと思っている誉田哲也による、警視庁捜査一課所属の刑事・姫川玲子を主人公とする警察小説シリーズの第1弾である。
過去に悲惨な事件に巻き込まれ、そのトラウマを抱え込みながらそれを克服して警察官となり、一癖も二癖もある同僚たちに囲まれつつ、あるいはセクハラにパワハラその他が渦巻くある意味劣悪とも言える労働環境の中でその職務を独特な捜査センスによって全うしていく姿を描くシリーズ、という感じなのだが、これはその序盤。ある年の8月、葛飾区の水元公園近くでビニールシートに包まれた男性の惨殺死体が発見され、姫川らが同地に赴くところから物語はスタート。やがて「ストロベリーナイト」という言葉が捜査線に浮上、その背後には驚くべき事実が隠されていた、というお話。
これでもか、というくらいのサーヴィス精神には誠に頭が下がる次第なのだが、本当に良くできたエンターテインメント作品である。キャラ良し、プロット良し、テーマ良しの三拍子。話が面白いのは間違いのないところなのだが、それだけではなく基本的に依拠しているかの名作『羊たちの沈黙』と同様に「哲学」がある。そしてそのクォリティは第2弾『ソウルケイジ』へと引き継がれる。以上。(2010/04/03)

誉田哲也著『ソウルケイジ』光文社文庫、2009.10(2007)

上と同じ誉田哲也による、警視庁捜査一課所属の刑事・姫川玲子を主人公とする警察小説シリーズの長編第2弾である。タイトルはスティングによる1991年発表のアルバムより。あっちは複数形なのだが、日本語には複数形はないのでOK。巻末解説にある通り、あの父の死という経験の影を色濃く残すアルバム同様この作品もまた父と子の関係を巡るものとなっている。
事件の発端となるのは多摩川土手に放置された車から発見された左手首。この手首は近傍にある工務店主のものと判明するが、手首以外の行方は不明。殺人事件として姫川ら捜査一課による捜査が開始され、事件は次第に驚くべき様相を見せていくことになる、というお話。
文句なしに面白い小説である。伏線の張り方、プロットのつなぎ方、事件に関わる一人一人の人物造形、テーマの掘り下げなどに細心の注意が払われ、そしてまた全身全霊が込められているのは第1弾と同様。扱われているのは基本的に同じ猟奇殺人ではあるのだけれど実のところは全く異なるタイプの警察小説で、こうなると既に単行本が出ている第3弾長編『インビジブルレイン』(光文社、2009.11)がどういうところに向っているのかが非常に気になってもくる。兎にも角にも、本作は警察小説の傑作として、エヴァーグリーンなものとなっていると思う。以上。(2010/04/10)

誉田哲也著『武士道シックスティーン』文春文庫、2010.02(2007)

波に乗りまくりな誉田哲也による、2007年発表の剣道をテーマとした青春小説の文庫化。実は古厩智之監督、成海璃子・北乃きい主演で映画化されていて、これが間もなく(2010年4月24日より)公開される。映画についてはこちら→映画『武士道シックスティーン』公式サイトをご覧ください。
『五輪書』と鉄アレイを友とする時代錯誤のエリート剣士・磯山香織が、中学最後の年に行なわれたとある大会で無名の選手・西荻早苗に負けるところから物語は始まる。奇しくも同じ剣道強豪高校に進学し剣道部に入部した二人だが、基本的に剣道は楽しむもの、と考える早苗はとても香織を破ったとは思えないへなへなぶりを露呈。なぜ負けたのか理解出来ない香織は早苗が持っているはずの本来の力を引き出すべく画策を始め、と言うお話。
確かによくある話、ではあるのだけれど、二人の主人公の何とも両極端なキャラクタ設定、躍動感あふれる試合描写、そしていつものことながら素晴らしい物語展開が相まって、実に見事な青春小説にして、剣道小説になり得ている。既刊の続編『武士道セブンティーン』『武士道エイティーン』にも大いに期待したい。以上。(2010/04/14)

伊藤計劃著『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』角川文庫、2010.03(2008)

昨春34歳の若さで亡くなった伊藤計劃が残した3冊の長編のうちの1冊。タイトルからお分かりな通り、コナミから出ている有名ゲーム『メタルギア ソリッド』シリーズのうち、2008年に発売となったPLAY STATION3用ソフト『メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』のノベライズ、ということになる。
オタコン=ハル・エメリッヒという元メタルギア開発者により物語は紡がれる。これまでに幾度となく世界を救ってきた主人公ソリッド・スネークの肉体がその特性上早々と老化してしまっている、という設定。そんな状況のもと、ソリッドの兄弟であるリキッド・スネークによる世界を破滅させる可能性を持つ陰謀が画策されていることが発覚し、ソリッドとオタコンら一行はその阻止のため動き始めるのだが、やがて彼らは更に大きな流れに飲み込まれていくのだった。
昔から気にはなっていたのだが何故か触ったことのない『メタルギア』シリーズだけれど、過去に遡って読者の理解を促す叙述法が採られているとは言え、実際にゲームをプレイしていないとちょっと話についていけない、ということは確かにある。そこは差し引くとして、伊藤計劃の作品でしか味わえない独特な文章密度というのはここにもはっきりと刻印されていて、色々な意味で非常に面白い作品になっていると思う。特に、彼が癌に体を蝕まれていたことを考えると、終盤の展開というのは読んでいて誠に胸に迫るものがあったのは確かである。
ところで、この文庫版の解説を書いている『メタルギア』シリーズの生みの親である小島秀夫が作り上げた世界観というのが、上で紹介した伊藤の作品『虐殺器官』、あるいは最後の長編『ハーモニー』(早川書房、2008/12)などにも大きな影響を与えていることがこの作品を読むことで明瞭に理解出来た次第である。稀代のゲーム作家と、これまた稀代の天才小説家の見事なコラボレーションを、是非堪能して頂きたいと思う。以上。(2010/04/15)

道尾秀介著『片眼の猿 One-eyed monkeys』新潮文庫、2009.07(2007)

直木賞をとる日もそれほど遠くないと思われる俊才・道尾秀介が、2007年に上梓したエンターテインメント作品。近く紹介することになるだろう『ソロモンの犬』や『ラットマン』、あるいは『カラスの親指』などと同じく<十二支>シリーズを構成する一冊だが、とりたてて相互に関連性を持っていない作品群の中で、この作品はややライトなテイストを持つハードボイルド・タッチの長編ミステリとなっている。
主人公の三梨幸一郎は盗聴を専門とする探偵。とある楽器メーカから産業スパイ洗い出し依頼を受けた三梨は、業務遂行中に同業者である夏川冬絵の存在を知る。彼女を自分の探偵事務所=ファントムにスカウトした三梨だが、楽器メーカでの盗聴中に殺人事件が発生。ファントムの面々は否応なく事件に巻き込まれていき、というお話。
例えば、なのだが、冒頭の冬絵が登場しファントムの一員となるまでのいきさつのみをとっても、実にひねりにひねられ、凝りに凝ったもの。こういうプロットの積み重ねが最初から最後まで続いていき、更にはとんでもない仕掛けが、というような具合に、読者へのサーヴィス精神満点な小説にして、非常にディープな面も持つ作品に仕上がっている。取り敢えず何かに絶望している人向け(笑)。あなたの人生が変わるかも知れない一冊、である。以上。(2010/04/16)

道尾秀介著『ソロモンの犬』文春文庫、2010.03(2007)

作曲家・間宮芳生(まみや・みちお)に良く似たというか同じ音の名を持つ動物生態学者・間宮未知夫が初登場する、そしてまた<十二支>シリーズの一冊に数えられるミステリ長編。タイトルはもちろんコンラート・ローレンツの名著『ソロモンの指輪』から。何気に、道尾秀介は農学部出身で、そういう勉強をどこかでしていたんじゃないか、と思うのだがどうなのだろう。
物語構造は例によりかなり複雑。男女2名ずつから成る大学生4人組が主要登場人物。夏のある日、彼らの通う大学の教員・椎崎鏡子の息子・陽介が、彼らの目前で事故死を遂げる。それも、散歩中、飼い犬にひっぱられての交通事故というもの。何か引っかかるところを感じた主人公・秋内静(あきうち・せい)は同じ大学の動物生態学者・間宮に相談に赴くことにするのだが、話はやがて錯綜に錯綜を重ね、とんでもない方向に向かい始めるのだった、というお話。
時系列をわざとずらし、読者へのミス・リーディングをあちこちに仕掛けながら、圧倒的とも言える結末へと収束させる技法は誠に見事なもの。ミステリとしての作り込みが極めて充実していると同時に、どうやら得意分野の一つらしい動物生態学・行動学の決して衒学的とは言えない適度な援用具合が絶妙で、カタルシスとともに独特な余韻を残す結末とともに、この作品に堂々たる風格めいたものを与えていると思う。傑出した能力を持つ俊才による、色々な意味で非常に密度の濃い傑作である。以上。(2010/04/21)

道尾秀介著『背の眼』幻冬舎文庫、2007.10(2005)

やや古いのだけれど、これを紹介しておかないと気が済まない。上にも挙げてきた道尾秀介の記念すべきデビュウ作である。新潮社と幻冬舎による第5回ホラーサスペンス大賞の特別賞を受賞し、かなりの改稿を経て単行本化され、2年後に文庫となっていたもの。長大かつ複雑なプロット構造を持つそれこそホラーサスペンスで、一旦読み始めたらもう止まらない、というくらいの面白さを持つ傑作である。
舞台は福島県の山中にある白峠村。作者と同じ名の語り手・道尾秀介は取材のため同地を訪れ、霊の声を聞く。今は「真備霊現象探求所」の所長になっている旧友・真備庄介を訪ねた道尾は、真備のもとに白峠村周辺で奇妙な現象が続発していることを示す資料が集められていることを知る。それは、背中に人間の眼が写った心霊写真4枚と、それぞれの被写体が撮影から程なく自殺を遂げていることを告げる手紙だった。一連の謎を解明すべく、真備と道尾、そしてまた真備の助手・北見凜の3名は白峠村に赴くことになるのだが、というお話。
どう見ても京極夏彦へのオマージュである基本設定が目を引くが、兎に角民俗学から宗教学についての豊富な知識を散りばめつつ、怪奇な現象を京極とはやや異なる視点で捉えながら道尾ならではの強靱とも言えるプロット構成により解決へと持って行く手法は誠に見事なもの。主役3人、そして事件と関わる人々のキャラクタ造形なども実に素晴らしい。
確かに、詰め込みすぎ、という評も間違いなくあったと思われるし、この後に書かれる作品群に比べれば整理がついていない印象も否めないのだが、これはやはり道尾秀介の原点。やがて書かれるのだろう真備の過去であるとか、作中に登場する少年の再登場はいつになるのかなど、実に興味は尽きない。そして物語は真備シリーズの第2長編『骸の爪』へと続く。以上。(2010/04/27)

阿部和重著『ミステリアス・セッティング』講談社文庫、2010.02(2006)

阿部和重による、自身初となるケータイ連載小説の文庫版である。元本は2006年に朝日新聞社から刊行。文庫版の解説は金原ひとみが担当している。
物語は一人の老人によって語りだされる。それは、吟遊詩人を夢見ながらも、唄う能力を欠如した一人の少女・シオリの悲劇。悲惨な思い出しか残せないまま高校を卒業したシオリは、作詞家となるべく上京。携帯電話の掲示板で知り合った、病気療養中の高校生Z、自称ポルトガル人の男・マヌエルとの交流を深めていくが、やがてとんでもない事態に巻き込まれていく、というお話。
タイトルの「ミステリアス・セッティング」とは、本書の冒頭にもあるように、「ミステリー・セッティング」が正式名称で、要するに留め金を使わないで宝石のみを組み合わせる技法、のこと。Van Cleef & Arpelsという会社が開発したもの、である。
で、シオリが話の真ん中あたりでマヌエルから手渡されるスーツケースの名前が「ミステリアス・セッティング」なのだけれど、要するにこれ、非常に高度な技術が用いられた、小型核爆弾らしい、というのがこの物語のメイン・プロット、となっている。
このところややエンターテインメント寄りにシフト・チェンジした感のある芥川賞作家・阿部和重による、疾走感あふれるエンターテインメント小編、という印象。物語は十分に面白いし、抒情に満ちた語り口も見事。こんなことはあり得ない、とは思うのだけれど、存分に楽しめた次第である。以上。(2010/04/30)

末木文美士著『増補 日蓮入門』ちくま学芸文庫、2010.04(2000)

仏教学者である元東京大学教授の末木文美士(すえき・ふみひこ)による、日蓮宗の開祖・日蓮についての入門書である。元本はちくま新書から2000年に刊行され、このたび増補されて文庫となった。
本書では、『立正安国論』や『三大秘法抄』などのテクストを解読しつつ、日蓮の思想が形成された時代や思想史的背景を踏まえながら、その意味や影響などについての考察が行なわれている。
今日においても大きな影響力を持ち、例えば各教団にて、あるいは教団間にて様々な「論争」が行なわれている日蓮の思想について、なぜそうなのか、なにがそうさせるのか、といったことを考えるうえで、格好のテクスト、ではないかと思う。
「入門」というよりは、入手可能なテクストに即し、主観をほとんど介入させていないという点でほぼ学術書なのではないかと思う本書、研究者や関係者のみならず多くの方に広く読まれることを願う。以上。(2010/05/20)