冲方丁著『微睡(まどろ)みのセフィロト』ハヤカワ文庫、2010.03(2002)

「マルドゥック」シリーズが物凄いことになっている冲方丁(うぶかた・とう)による、かの傑作『マルドゥック・スクランブル』刊行の前年に書かれたややライトノベルに近いテイストを持つSFハードボイルド作品である。元々は徳間デュアル文庫だったものがこの度はハヤカワ文庫で登場。
一般人である感覚者(サード)と超次元能力を持つ感応者(フォース)が対立しつつも共存している世界が舞台。世界政府準備委員会(リヴァイアサン)メンバの経済数学者ペシエール氏が何者かの力により300億個に細分化されながらも生きている、という事件が発生。感覚者側に立つ捜査官パットは、感応者である少女ラファエルと共に事件の捜査に乗り出すが、事件の裏には、様々な背景を持つ者達の影がちらつく。二人は果たして事件の核心にたどり着けるのか、そしてまたペシエールを救うことが出来るのか、というお話。
みずみずしい、という表現がぴったりな作品。コンパクトな作品だけれど、芯がしっかりしていると同時に、この作家に特有のアイディアやコンセプト、あるいは造語も適度にまぶされていて楽しい。パットとラファエルのキャラクタ造形に『マルドゥック・スクランブル』の原型っぽいところを感じつつ、ということは即ちそこから始まる冲方丁の快進撃への予兆をほのかに感じ取りつつ、読了した。以上。(2011/06/02)

冲方丁著『マルドゥック・フラグメンツ』ハヤカワ文庫、2011.05

『マルドゥック・スクランブル』の映画化作業が進行し(第1部は2010年公開。そのBD&DVDは2011年8月発売、第2部が2011年9月公開)、その前には元からして大変優れた作品であった『マルドゥック・スクランブル』が全面改訂されたり(2009年刊行)、あるいはまたシリーズの完結編である『マルドゥック・アノニマス』が間もなく刊行されることになるはずの冲方丁による、「マルドゥック」シリーズ初となる短編集である。
コンテンツとしては、ウフコックとボイルドの活躍を描く2003年発表の「マルドゥック・スクランブル "104"」、同じく2004年発表の「マルドゥック・スクランブル "-200"」、そしてウフコックとバロットの出会いを描く2010年発表の「Preface of マルドゥック・スクランブル」という『マルドゥック・スクランブル』のプレ・ストーリーが3本。
続いてボイルドによる追想篇である2004年発表の「マルドゥック・ヴェロシティ Prologue & Epilogue」、本書の最大の目玉である書き下ろし「マルドゥック・アノニマス "ウォーバード"」、2010年発表の予告編「Preface of マルドゥック・アノニマス」、となり、他に著者へのインタヴュウ、『マルドゥック・スクランブル』の初期原稿冒頭なども収められている。
もはやこれは、日本の、というよりは全てのSF作品を含めても空前絶後のシリーズとなりつつあるのだが、本書に収められているのはその隙間を埋めるまさしくフラグメンツ。読まなくても正典の3部作(『スクランブル』、『ヴェロシティ』、『アノニマス』)は理解可能なはずだけれど、正典を読んでいるとなおさらこれは読まずにいられなくなるのではないか、などと思ったりもする。ここから入る人はまずいないので別段解説する必要を感じないのだが、兎に角貴重で重要なテクスト群、と言っておきたい。以上。(2011/06/03)

佐藤友哉著『デンデラ』新潮文庫、2011.05(2009)

6月25日から映画が公開される話題作の文庫版である。同映画は天願大介(てんがん・だいすけ)が監督し、主演浅丘ルリ子の他倍賞美津子、山本陽子、草笛光子といった豪華な女優陣を配して作られた多分超大作。「姥捨山には続きがあった」というキャッチ・コピーが付いているけれど要するにそのような話。ちょっと概要を。
時代は良く分からないのだが、実際にあったのかどうかについて議論されてきた「姥捨て」という風習があったような頃。季節は冬。「村」の女・斉藤カユは70歳になったことを機に「お山」に捨てられ、望み通りの往生を遂げようとするのだが、捨てられた女達が暮らすコミュニティ=「デンデラ」の者によって助けられ、その一員となることを促される。「村」への襲撃を画策する者達と、それに反対する者達が対立する中、巨大な雌熊がデンデラを襲う。圧倒的な力により蹂躙されるデンデラだが、やがて疫病も発生。デンデラの運命は、そしてまた斉藤カユは熊、あるいは疫病との闘いの中で何を見出すのか、というお話。
出てくるのは老女ばかり。それでいて普通にパニック小説。でも、それだけではない。物語は淡々としたですます調の文体で綴られていくのだが、書かれていることは基本的に佐藤友哉のこれまでの作品同様にグロい。その辺のアンバランスさもまたこの作家らしいところ。また、登場人物達も明らかに記号的な存在として設定されている。映画だとそういったニュアンスが出しにくいと思うので、映画は映画、小説は小説で分けて考えた方が良い、と映画を観ないで語ってしまうのだが、あながち間違いではないだろう。
そのようにして、一応今までの佐藤友哉、を感じさせるところは多々あるし実際そうなのだけれど、テーマといい、舞台設定といい、どう考えてもこの作家が一番書かなさそうなもの、に思えてしまうのも事実。2009年の刊行時には、何と思い切ったことを、と思わず感じ入ってしまったのだった。今日における若手重要作家の一翼を担う佐藤友哉の「新境地」。こういうものを読むと、ますます今後の活動展開にも目が離せなくなるのである。以上。(2011/06/06)

今野敏著『奏者水滸伝 白の暗殺教団』講談社文庫、2010.07(1986)

今野敏による、超能力を所有するジャズ・ミュージシャン4人を主人公とするシリーズの第4弾、である。オリジナルは講談社ノベルスで1986年刊行の『超人暗殺団』。これを、この度タイトルを変えて再文庫化、したもの、である。その辺りの事情は前3巻と同様である。
今回の主人公は茶道の家元を父に持ち、自身も茶道家であるベーシストの遠田宗春(おんだ・そうしゅん)。アメリカ西海岸を本拠地とする宗教団体=『バール教団』には、暗殺組織という裏の顔があった。アメリカから来日する要人を中国系三姉妹暗殺団を使って日本国内で暗殺しようと画策する彼ら。要人達が遠田も関係する茶会に出席することを知った警察その他は、同茶会の警備を強化し、三姉妹対策としてジャズメン4人にもヘルプを要請する。彼らは暗殺を防ぐことが出来るのか、そしてまた三姉妹との闘いの行方は、というお話。
空手家でもある今野敏ならではの格闘バトル全開の巻で、兎に角そのことが重要なのだと思う。別に茶会なんていうめんどくさいところで暗殺しなくても良いじゃん、という突っ込みはあってしかるべきだが、そこは遠田を主人公に据えたのだからやむを得まい、って本末転倒かも知れないが。ジャズメンであることが余り意味を持たなくなり始めている点にちょっと不満を持ちつつ、あるいは陰謀史観への傾倒などについてもちょっぴり安易さを感じたりはするものの、それもこれも取り敢えず1980年代を感じさせるものとして読めばなかなかに味わい深いのではないか、と思うのだった。以上。(2011/06/17)

三津田信三著『山魔(やまんま)の如き嗤(わら)うもの』講談社文庫、2011.05(2008)

三津田信三による、「刀城言耶」シリーズの第4長編である。講談社文庫では3冊目なのだが、これは第2長編『凶鳥の如き忌むもの』が現段階で文庫化されていないことによる。この話は前にも書いたかも知れないけれど、一応参考まで。なお、本書は探偵小説研究会が選出する「本格ミステリ・ベスト10」の、2009年版で堂々1位を獲得している。
物語は超絶的に複雑。忌み山のふもと初戸(はど)という集落出身の郷木靖美(のぶよし)による手記からその超大で複雑極まりない物語は始まる。「成人参り」という儀式のため忌み山を登ることになった靖美だが、山中で隠れ屋を発見する。そこには初戸とは山の反対側に当たる奥戸(くまど)という集落の、行方不明とされていた家族が住んでいた。一夜を隠れ屋で過ごした靖美は、翌朝、一家全員が何の前触れもなくいずこへかと消失していることに気づくのだった。
ここまでが靖美による手記の記述。これを読んだ刀城言耶は現地を訪れるのだが、そこでは同地に祀られている六地蔵を歌い込んだ童歌を見立てとするかのような連続殺人事件が待ち受けていた。金山の権利を巡るトラブル等々の噂が取りざたされる同地で一体何が起こっているのか。警察と刀城言耶は微妙な協力関係のもとに捜査を開始するが、果たして事件の真相を突き止めることが出来るのだろうか、というお話。
伏線を張り巡らせつつ、様々な風習、伝承等を複雑に絡み合わせ、適度にホラーの要素をまぶし込むことで、見事なまでに読者を迷宮に誘い込むことに成功した作品であると思う。人間関係がやや複雑過ぎてリーダビリティという点では若干問題があるのだが、結末に至ればそれも物語の必然であったことに気づくだろう。見立て、をモティーフとするミステリは数多くあるが、その中でもかなり上位に位置づけられるはずの傑作である。以上。(2011/07/05)

桜庭一樹著『GOSICKs IV ―冬のサクリファイス―』角川文庫、2011.05

桜庭一樹による<GOSICK>シリーズもいよいよ大詰め。間もなく刊行されるVIII下巻で完結するわけだけれど、本書はその直前に刊行された、同シリーズの4冊目にして最後の短編集、ということになるのだろう。コンテンツは、『小説 野生時代』の2011年1月から4月号に掲載された4本に、プロローグ・エピローグ及び書き下ろしの章を加えたものとなっている。
時はクリスマスイヴ。聖マルグリット学園では折しもリビング・チェス大会が開催されようとしていた。そんな、穏やかな冬の日を背景に語られるのは、グレヴィールのジャクリーヌに対する初恋を巡る物語、イアンとエバンがいつも手をつなぐことになるきっかけとなったとある事件、アブリルが強い興味を抱くとある人形師の死を巡る謎、ブライアンとブロア侯爵の暗闘、などなど、である。様々な謎を前にして、ヴィクトリカの推理の冴え具合やいかに?、といった具合。
このシリーズにおけるしばらくのブランクであった数年間は、桜庭一樹をして絶妙に成長させてしまったわけで、その辺りのことはこの短編集などにも如実に表われていると思う。ミステリとしての完成度、語り口、キャラ立ち等々、どの点においても本当に洗練された作品集であり、かつまた見事なまでにシリーズの中で隙間を埋める役割を果たす1冊になり得ていると思う。次はいよいよ最終巻。何が飛び出してくるのか非常に楽しみである。以上。(2011/07/21)

乾くるみ著『カラット探偵事務所の事件簿 1』PHP文芸文庫、2011.03(2008)

決して多作とは言い得ないミステリ作家・乾くるみによる6本の短編からなる作品集である。各編はPHPから出ている雑誌『文蔵』に発表されたもので、最初の短編は2006年8月号に掲載。随時掲載されて6本まとまったところで単行本化されたのが2008年、新書化が2009年、であった。
「あなたの頭を悩ます謎を、カラッと解決いたします!」をキャッチコピーとする、謎解き専門のカラット探偵事務所は所長の古谷とその同級生で元新聞記者の助手・井上の二人所帯。依頼人によって持ち込まれた謎を、現地調査を旨とする二人は独自の捜査法で鮮やかに解いていく。以下、かいつまんで概略を。
1本目の「卵消失事件」では、ある男性作家とそのファンとのメールのやりとりに隠された浮気の証拠を、2本目の「三本の矢」では、とある豪邸で起こった矢が邸内のあちこちに打ち込まれる事件の謎を、3本目の「兎の暗号」では祖父が作ったという三つの和歌から屋敷内に隠されたお宝の場所を、4本目の「別荘写真事件」では差出人不明の手紙に同封された数枚の写真から依頼人の父の居場所を、5本目の「怪文書事件」では、団地内で配られた住人の不倫を告発する怪文書の謎を、6本目の「三つの時計」では、古谷・井上の同級生の結婚式の席上で、新婦の父親から聞かされた時間に関する謎を、それぞれ見つけ出し、あるいは解き明かす、といった具合。
非常に技巧に富んだ作品が多く、それぞれ小品ながらもピリリと辛い、といった感じ。パズルや暗号といったものが非常に得意なこの作家のこと、本書でもそれは遺憾なく発揮されている。そして驚愕のラスト。これがあるおかげで、読み終えたものに強い印象を残す作品集となっていると思う。絶対に最後まで読み通して欲しい。なお、既に第2期(Season2)の短編3本も『文蔵』に発表されているが、単行本化が大変待ち遠しい。以上。(2011/07/26)

都築道夫著『宇宙大密室』創元SF文庫、2011.06(1974、1982)

草創期の日本SF界における偉大な功労者の一人・都築道夫による、唯一のSF作品のみを集めた短編集の再刊、である。オリジナルは1974年刊。今回はこれにいくつかの作品が加えられているのだが、以下簡単に説明を。
まず、1974年に、ハヤカワ文庫JAから『宇宙大密室』という短編集が刊行される。これがベース。ここに収められていたのは、1960年から1970年までに発表されたSF短編8本と、1962年から1973年までに発表された「民話へのおかしな旅」シリーズ6本。
この、民話シリーズに、その後発表された2本と書き下ろし1本を加えた作品集『フォークロスコープ日本』が徳間文庫で出たのが1982年。
これら全てに、『読切雑誌』という雑誌の1956年12月号から1957年4月号にかけて連載されていた「地獄の鐘が鳴っている」、2002年12月に出た『SF Japan vol.6』に掲載されたインタヴュウ、日下三蔵による「都築道夫とSF」という評伝を加え、1冊の本として刊行、という流れになる。うーん、簡単にはいかなかった…。
表題作のような、この作家が最も得意とした二つの領域であるミステリとSFの融合の試み、はたまた民話を題材にしたユーモアにあふれた小品群、あるいは初期のスリラー等々、実に豊潤な、そしてまた何とも魅力的な作品集であると思う。このような理想的な形での再刊に、感謝したい。以上。(2011/07/29)

桜庭一樹著『GOSICK VIII ―神々の黄昏― 上・下』角川文庫、2011.06-07

TVシリーズの終了と前後して二月にわたり刊行された<GOSICK>シリーズの完結編である。ツンデレの語法に従って少しずつ打ち解けていくヴィクトリカと一弥の行く末を描いた大河ドラマ風の小説に仕上がっているが、それはそれはもう感涙もの。こころして読んで頂きたい。
上で紹介した『GOSICKs IV』の翌日、即ちクリスマスの日がこの完結編のスタートとなる。年は折しも1924年。最高の友人であるヴィクトリカへのプレゼントとして、一弥は15個の謎を集めてくるように言われる。謎を探しに村に出た一弥は、何かが起こりつつあることに気づく。謎を解くうちに何が起こるのかを認識したヴィクトリカは大事なものを一弥にプレゼントとして託す。そして迎えた大晦日の夜、一弥は日本へと強制送還されることになる。
年明けて1925年、旧大陸では再び戦争が始まる。戦火が広がる中、「美しき怪物」として招集され監獄「黒い太陽」に幽閉されたヴィクトリカは父・ブロワ侯爵のもと、ソヴュールを有利に導くような預言をすることを余儀なくされる。しかし、母コルデリアとブライアン・ロスコーの活躍により辛くも監獄を脱出、新天地を求めて出航する。一方一弥は招集され、戦地に赴き、辛酸を極めることとなる。世界の行く末は、そしてまた、二人は再び相まみえることがかなうのか?、というお話。
全ての主要な登場人物たちをバランス良く配し、それぞれが再び起こってしまった戦争とどう向き合っていくのか、ということに焦点を据えてこの完結編は進んでいく。結末は見えている、そしてツンデレのお約束は果たされるはずということも分かっている、とは言えこの作品には、桜庭一樹がこれまで書いてきたもののエッセンスが充満し、それこそ溢れそうになっていて、これを読むものはそこで何かただならないことが起こっている、ということを否が応でも感じざるを得ないはずなのである。こんな、圧倒的なスケール感を持つ完結編を、シリーズのスタート時に誰が予測したであろうか。それは、作家自身ですらし得ていなかったのではないか。
さて、取り敢えず、このVIIIをもってシリーズは帯にある通り「完結」、なのだろう。しかし、エピローグを見る限り、ヴィクトリカと一弥を主人公とする作品はこれからも書き続けられるのではないか、とも思ってしまう。二次創作という形で、様々な人々が書き続けていくことは間違いないが、正典の著者・桜庭一樹自身によっても、タイトルはそのままかあるいはちょっと変えただけで、何かが書き続けられることを期待したいと思う。それは<GOSICK>という作品が、今のところ桜庭一樹による唯一のシリーズものだからである。以上。(2011/08/06)