今野敏著『奏者水滸伝 四人、海を渡る』講談社文庫、2010.10(1987)

今野敏による超能力を所有するジャズ・ミュージシャン4人を主人公とするシリーズの第5弾、である。オリジナルは講談社ノベルスで1987年刊行の『復讐のフェスティバル』。これを、この度タイトルを変えて再文庫化、したもの、である。その辺りの事情は前4巻と同様である。以上、これまでとほぼ同じ文章でごめんなさい…。
今回の主役は舞台がアメリカということもあって英語が堪能なサックス奏者・猿沢秀彦、である。これでソロ・プレイは一巡なのだがそれは兎も角。その実力が認められ、晴れて北米で行なわれるジャズ・フェスティバルに招待された4人だが、宿泊施設で奇妙な殺人事件に遭遇。猿沢と比嘉の二人は事件への関与を疑われ当局に連行されてしまう。事件の背後にちらつくベトナム戦争の影。そして事態は一層の混迷へと向かう。4人は無事フェスティバルに出演を果たせるのか、そしてまた事件の真相は?、というお話。
この作品、これはもう殆ど警察小説であり本格ミステリなのではないか、というような体裁になっている。犯人当て、動機当て、といったことが愉しめるのである。一応超能力戦隊ものではあるのだが、そのテイストは最小限に押さえられているように思う。そんなこんなで、今野敏の作品世界で後に花開くことになる要素をもふんだんにちりばめたこのシリーズの再文庫化版も、残すところ2巻である。以上。(2011/12/11)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 血と薔薇と十字架』角川ホラー文庫、2011.10

藤木稟による「バチカン奇跡調査官」シリーズの第5巻である。今回も文庫オリジナル。前の巻『千年王国のしらべ』からたったの3か月での刊行。総ページは440を超える。驚くべき執筆ペースなのだが、クオリティは落ちていない。いやはや藤木稟恐るべし。
英国における奇跡調査からの帰り道、調査官の平賀とロベルトはホールデングスという田舎町に滞在することに。美しき吸血鬼の噂が語られるその町で、ロベルトは血を吸われて死んだ女性が息を吹き返した現場に遭遇する。その後町では、次々に吸血鬼に襲われた人間が現れていく。吸血鬼伝説は本当なのか、それとも…、というお話。
吸血鬼伝説や、英国その他のフォークロアを織り込みつつ、知的興奮と外連味溢れる冒険譚に仕上げているところはさすがにこの作家である。見事な作品だと思う。
ところでこのシリーズ、さりげなく5巻まで来たけれど、終わる、あるいは終わりに向かう兆しは全く感じられず、むしろこのまま世界各地での出来事を転々と書いていきそうな気もする。いずれは日本にも、とちょっと期待しておきたいと思う。以上。(2011/12/15)

米澤穂信著『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫、2011.07(2008)

作品ごとに本当に作風がめまぐるしく切り替わる作家の代表格である米澤穂信による、2008年刊行となった短編集の文庫版である。解説は千街晶之。
収録された作品は計5本。全ての作品が共通して「バベルの会」という読書サークルと何らかの関わりを持つ。1本目の「身内に不幸がありまして」はメイドの手記という体裁をとった本書中最も短い作品。毎年7月30日に起こるある名家での連続した猟奇殺人事件の真相とは。2本目の「北の館の罪人」は、とある館の、あたかも座敷牢のような別館に閉じ込められた跡取り息子がとる奇妙な行動を、その別館に詰めることになった世話係の視点から描いたもの。
3本目の「山荘秘聞」は、とある山荘の管理を一人任されたこれまたメイドが、ある冬の日に山で見つけた遭難者を山荘に保護することから始まる物語。メイドは彼をどうしたのか?4本目の「玉野五十鈴の誉れ」では、伯父の失態により名家の中での立場をなくした少女と、かつて彼女に仕えたメイド玉野五十鈴の悪戦苦闘を描く誠に凄まじいエンディングを持つ作品。ラストの表題作は、成金家庭に雇われた特殊な技を持った調理人の少女が引き起こす事件の顛末を、当家の娘の視点から描く。
上の概略からも分かると思うのだが、個々の作品には、バベルの会との接点以外にもその基本的な要素として、メイド、ないし家政婦のような職業の若い女性と、彼女が使える誰か、というセットが共通して存在する。そうではあるのだけれど、それぞれの物語は極めてヴァラエティに富んだもので、まさしく祝宴的、というのが形容詞として相応しい書物となっていると思う。米澤穂信という作家が持つ、独特な怪奇趣味と本格ミステリのエッセンスを存分に堪能できる作品集、と言えるだろう。以上。(2011/12/16)

中原昌也著『名もなき孤児たちの墓』文春文庫、2010.04(2006)

かつて暴力温泉芸者というノイズユニットを主宰し、1997年以降はHair Stylisticsという名義での音楽活動で知られる音楽家にして小説家・中原昌也による16篇からなる作品集。オリジナルは2006年刊行で、実に野間文芸新人賞を受賞。そして、最後に収録されている「点滅…」が芥川賞の候補に挙がるなど、輝かしい成果を上げた一冊である。
本の構成としては二部構成。Iには15本の極めて短い作品群が、IIには60ページくらいの長さを持つ「点滅…」のみが収められている。
特に内容については述べないが、その作風はというと、極めて暴力的で、適度に、というか微妙にエロ、そしてかなり古典的な意味での私小説的。想像の限りを尽した、というわけでもなく、かと言って妄想としては妙に筋が通っていて、そしてまた端的に気持ちが悪いところも多い。音楽的で、そしてまた中原がやっていたノイズミュージックのように猥雑でかつまたどこか歪んだ文体。今日においては決して異端とは言い難い作風だが、以上に書いてきたような、あるいは他の感じ方もきっと可能なその独特なタッチをこそ味わうべきだろうと思う。
面白さでは圧倒的に「点滅…」だけれど、その他にも佳品多し。どことなく連作的で、似通った世界観や思想を根底に持つ作品がIの方に並べられていて、要するにコンセプト・アルバムみたいな作りになっているのだな、と考えた次第。ある意味において極めて音楽的な、小説集である。以上。(2011/12/18)

今野敏著『ティターンズの旗のもとに ADVANCE OF Ζ 上・下』メディアワークス文庫、2010.07(2008)

警察小説の名手として知られる今野敏だけれど、実は結構ガンダム好き。それが昂じて、どう考えてもガンダムをベースにした「ギガース」シリーズなんてものも書いていたりする。そんな経緯もあって、本書のようなZ外伝の執筆に至った模様。本当のところは良く分からないけどね。なお、オリジナルは『電撃ホビーマガジン』に2002年から2007年にかけて連載されていて、6冊本のムックとして刊行。これに加筆修正を施した単行本が2008年刊行で、タイトルは『機動戦士Zガンダム外伝 ティターンズの旗のもとに ADVANCE OF Ζ』だった。で、今回の文庫化に至っている。
主人公の地球連邦軍所属エリアルド・ハンターはエリート・パイロット。かねてからあこがれていたティターンズに配属された彼は、新型モビルスーツのテストに、更には実戦にと、多忙にして輝きに満ちた日々を送っていた。しかし、とある事件をきっかけに、その運命は一転、戦争犯罪人として軍事法廷にかけられることになってしまう。嫌疑は、敵前逃亡、そしてまた自軍機の破壊等々といったものであった。表面上は確かにそのようにも見える事件だが、裏には様々な思惑が絡んでいた。弁護を引き受けたコンラッド・モリスは有利な証言を得るべくエリアルドの元同僚たちとコンタクトをとろうとするが、様々な妨害が行く手を阻む。裁判の行方は、そしてまたティターンズの真実とは、という物語。
基本的に法廷もの、なのである。ガンダム・シリーズでやがてこういうものが書かれる、なんてことを初期作品の制作メンバは果たして考えたことがあっただろうか。何とも画期的、である。プロット構成とか、人物造形などは今野敏なのでさすがにうまい。そして、何といっても素晴らしいのはこの作者のガンダム・シリーズへの造詣の深さ、である。いやはや恐るべし。ちなみに、漫画化は既に行なわれているが、アニメ化はまだ、なはず。アニメ化するにはやや難しい構成にも思われるのだが、不可能ではないだろう。戦闘シーンの極めて少ないガンダム、というのも是非観てみたい気がするのである。以上。(2011/12/20)

宮部みゆき著『名もなき毒』文春文庫、2011.12(2006)

直木賞作家・宮部みゆきによる、『誰か Somebody』に続く「杉村三郎」もの長編の第2弾である。2006年に幻冬舎から単行本が刊行。圧倒的な支持を集め、第41回吉川英治文学賞を受賞。解説は杉江松恋が担当している。
杉村三郎が働く今田コンツェルン広報室でアルバイトとして雇用された原田(げんだ)いずみは、そのとんでもないトラブル・メーカぶりでやがて同室を解雇される。履歴詐称に根拠のない悪意に満ちたクレームと、解雇後も杉村を悩ませる彼女。そんな中、世間では連続毒殺事件が話題になっていたが、やがて…、というお話。
タイトルにある「毒」が本書の中心テーマ。それは、人を死に至らしめる化学物質だったり、シック・ハウスだったり、底なしの悪意だったりする。プロット構成や人物造形の巧さはいつものことだけれど、テーマの追い方が非常に深いし、物語とも良く絡んでいるな、という印象を受けた。
さて、このさりげなく始まったシリーズ、深みを増して更に伸びていきそうだけれど、最終的には著者の代表作の一つとなるのではないかとさえ思う。まことに目が離せないシリーズである。以上。(2012/01/04)

桐野夏生著『女神記』角川文庫、2011.11(2008)

直木賞作家・桐野夏生による純文学作品の文庫版である。元本は2008年刊。様々な国の作家が執筆している「新・世界の神話」の一冊にして、第19回紫式部文学賞に輝いた作品。解説は原武史が担当している。
遥か南の海蛇の島が物語の舞台となる。代々巫女(みこ)の家に生まれた姉妹。姉カミクゥは6歳の誕生日に家族から引き離され、大巫女を継ぎ、島のために祈り続けることになる。
姉のもとに食事を運ぶ役目を与えられた妹ナミマは、やがて島の男マヒトと恋に落ちる。島の禁忌を破り、16歳で死んだ妹は、地下神殿で一人の女神と出逢う。それは、愛の怨みに囚われた女神・イザナミだった…、というお話。
参考文献にも挙げられているように、本書は『古事記』や沖縄県久高島の風習を下敷きにしている。現代を舞台にした恋愛小説や硬質なハードボイルドなどで確固たる地位を築いてきた桐野夏生が、恐らく初めて古典や土着信仰を扱った作品ということになるのだと思う。
その仕上がりはと言えば、徹頭徹尾「桐野夏生」、という感じのダーク・ファンタジィ、と述べておきたい。名うての作家による、新たなる金字塔である。以上。(2012/01/05)

今野敏著『奏者水滸伝 追跡者の標的』講談社文庫、2011.04(1988)

今野敏による超能力を所有するジャズ・ミュージシャン4人を主人公とするシリーズの第6弾、である。オリジナルは講談社ノベルスで1988年刊行の『裏切りの追跡者』。これを、この度タイトルを変えて再文庫化、したもの、である。その辺りの事情は前5巻と同様である。以上、これまでとほぼ同じ文章でごめんなさい…。
前巻までで、ソロ・プレイが一巡して今回は再び沖縄出身の武闘家にしてドラマー・比嘉(ひが)の回となる。アメリカで大きな成果を上げ、空港で一悶着あった後に何とか帰国した彼等だが、はるばるアメリカから彼等の噂を聞きつけて追ってきたのは中国武術の達人・陳翔(チェンシャン)。彼は、是非比嘉と相まみえたい、と言う。武術家としての能力の高さはさることながら、どこか疑わしい部分が見え隠れする彼。比嘉以外のメンバはそこに違和感を覚えるのだが、果たして彼の正体は、そして背景にはどんな陰謀が渦巻いているのか、というお話。
上の陳翔、シリーズ最強にして最大の敵、という感じで、今回はまさにピンチの連続。作者自身が空手家であることは周知の事実だが、こういうものを書かせたら今野敏、めっぽううまい。この巻で謀略ネタもいよいよとんでもなく大風呂敷な話になって、さあいよいよ最終巻、どんな敵が、そしてどんな陰謀が、と期待してしまうのだが、果たしてどうなるのやら。以上。(2012/01/10)

今野敏著『奏者水滸伝 北の最終決戦』講談社文庫、2011.11(1989)

今野敏による超能力を所有するジャズ・ミュージシャン4人を主人公とするシリーズの第7弾にして完結編、というか最終巻、である。オリジナルは講談社ノベルスで1989年刊行の『怒りの超人戦線』。これを、この度タイトルを変えて再文庫化、したもの、である。その辺りの事情は前6巻と同様である。以上、これまでとほぼ同じ文章でごめんなさい…。
今回の主人公は古丹。「北の」なので舞台は古丹の故郷である北海道、ということになる。米国での成功などにより、日本各地での演奏を嘱望されることになった彼等。最初のツアー地は北海道に決定。ツアーは順調な滑り出しを見せるが、それと並行して、原子力発電所から出る放射性廃棄物を巡っての危険な計画が政府・官公庁側で秘密裏に進められ、北海道ではそれを聞きつけた反対派によるテロ計画が進行しているのだった。それらに巻き込まれることになった4人は、一体どのような行動をとるのか、というお話。
史上空前の原発事故が発生し、色々なことが明るみに出され、出されていないことが多々ありそうなことも分かってしまった今日に、こういうストレートな形での原子力行政批判が20年以上前の空気としてあったことを思い起こし、何も変わらなかったんだな、と独りごちた次第。考えてみれば、忌野清志郎によるあの歌も本書の初版時に極めて近い時期のものであった。でも、何も変わらなかったのである。実際に起きてみないと、なのである。そして、それでは遅いのである。誠に大きな教訓である。
さて、国際的な謀略が基調になってきたこのシリーズだけれど、多分最終巻の積もりで書かれたのではなく、色々な事情で続編が書けなくなってしまって便宜上最終巻になっているというようなこともあり、ちょっと異色、かつ「自然と人間」のような余りにも大風呂敷過ぎる話で終わってしまっているのはやや残念なところではある。最終的にそのようなこのシリーズ全体を貫くテーマが大きな形でせり出してくるのは正しいのだろうけれど、ちょっと唐突な感は否めないし、掘り下げるなら数巻を費やすべきであろう。是非、遠田と猿沢を主人公とする2冊を追加し、その中で国際謀略とうまく絡めつつ掘り下げ、第10巻で大団円、というようなことを企画して欲しい、と思う次第である。以上。(2012/01/21)

道尾秀介著『鬼の跫音』角川文庫、2011.11(2009)

昨秋に新たな直木賞作家となった道尾秀介による、2009年刊行の連作短編集である。鬼には牛(丑)の角があり、虎(寅)のパンツを履いていることから一応十二支シリーズの一つに数えられる作品ということになる。収録作品は6本で、全ての作品にイニシャルSの人物が様々な形で関わるのだが、以下順番に概略を示しておこう。
「鈴虫」では、かつて埋められたSの死体が発見されたことで明るみに出されることになったある犯罪を、「?(けものへん。表記不能。)」では、受刑者の制作物である家具に書き残されたメッセージが呼び起こす過去の事件を、「よいぎつね」ではとある祭の夜の女性暴行計画の顛末を、「箱詰めの文字」ではSが遺した小説原稿を巡ってのちょっと奇妙な諍いを、「冬の鬼」ではSと私が送る愛の日々の始まりを時系列を逆にして、「悪意の顔」では奇妙な家に住む奇妙な女と奇妙な絵にまつわる出来事を、それぞれ描いている。
どれもこれも、非常に良く出来た短編群で、読者は作者が随所に設けた様々なワナに嵌ること請け合いである。ミステリやホラーとしての出来映えは本当に素晴らしいのだが、それを支えているのは卓抜なアイディアのみならず、しっかりとしたプロット構築や、人物造形などによるところが大きいと思う。この時点で道尾秀介は、本当に「うまい」、と言える作家になってしまっていた訳で、2年後の直木賞受賞も必然的な流れであったように、今では考えられるのである。
ちなみに解説は当初からその影響を指摘されることが多かった京極夏彦氏。同氏がこの作家を非常に高く評価していることが良く分かる文章で、大変興味深いものがあった。単行本をお持ちの方も、ここは読んでおくと良いかも知れない。以上。(2012/01/25)

貴志祐介著『狐火の家』角川文庫、2011.09(2008)

これもまた直木賞作家である貴志祐介による中短編4本からなる作品集。この人が直木賞をとって既に15年。新たな才能が次々に登場しているのを尻目に、寡作ながら非常に質の高い作品を生み出し続けているのには本当に頭が下がる。これもまたその一つ、である。
主人公は防犯探偵(というか泥棒?)の榎本径(けい)。この作家には珍しくシリーズ化されていて、これが第2弾、となる。ちなみに第3弾は既に出ていて『鍵のかかった部屋』(角川書店)。ポール・オースターですな。
それは兎も角、1作目の「狐火の家」では、長野県の旧家で起こった密室殺人事件の謎を巡るオーソドックスなミステリ。とある昆虫の習性が鍵を握る。次。2作目の「黒い牙」は昆虫ならぬ虫、即ち毒蜘蛛がある意味主役。飼っていた蜘蛛に咬まれて死んだ男は、何故死ななければならなかったのか?次。3作目の「盤端の迷宮」はぱっとしない将棋棋士の、チェーンロックのかかったビジネスホテル一室での死を巡ってのお話。部屋には事件と前後して行なわれていた竜王戦のある局面と同じ駒配置になったマグネットの将棋盤が置かれていたのだが、それには何の意味が?最後の「犬のみぞ知る」は、ある劇団座長の撲殺事件を巡る謎。泥棒の天敵である番犬の行動が鍵を握る。
『クリムゾンの迷宮』辺りで見せた動物行動学周辺の知識がちりばめられていて、絶妙に面白い作品集となっている、と思う。この辺り、上の道尾秀介にも共通して言えることである。また、正統派の本格ミステリとしての出来映えはもとより、泥棒探偵という、矛盾に満ちた謎解き役のポジション取りが絶妙。榎本径と美人弁護士・青砥純子との名コンビ、次作ではどんな活躍を見せてくれるのだろうか。以上。(2012/01/29)

平野啓一郎著『決壊 上・下』新潮文庫、2011.06(2008)

ここ十数年の芥川賞受賞作家の中では最も活躍しているのではないかと思われる平野啓一郎による、大長編である。オリジナルは『新潮』に連載の後2008年に単行本化。分人主義三部作の第1部、という位置づけの、現代を舞台にした文学作品となっている。芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した、渾身の一編である。
舞台は2002年の日本。国会図書館勤務のエリート公務員・沢野崇が主人公。山口の地方都市で平凡な毎日を送る弟・良介はネットに開設した匿名の日記で兄へのコンプレックスを披瀝する。そんな良介はある日突然失踪し、やがて無残な惨殺死体として発見される。失踪前に会っていた、とされる崇に嫌疑がかかるが、事件の背後には恐るべき「悪魔」の姿がちらつく。時を同じくして、イジメを苦にし、ネット上で「孤独な殺人者の夢想」というブログを運営していた中学生・北崎友哉は、「悪魔」から呼び出しを受け、殺人実行を教唆される。二つの事件はやがて交錯し、ついに、というお話。
今日において、生きていること自体に苦しむ他はない人々が、どんずまりな状況の中で犯してしまう罪。そうではないにしても、日々何かに囚われ、悔やみ続けるような人々が、あてどもなく犯してしまう、あるいは犯していると感じてしまう罪。何を信じて良いのか定かではなくなった、あるいは信じるべきものなど今では、いや元々どこにもないことに気づいてしまった今日に、最後の砦とでもいうべきものをどこかに仮託し、しかしそれさえもが空虚なものに感じられるような状況。それは確かに絶望以外の何物でもないのだが、そんな今日的な絶望の形を、平野啓一郎は見事な時代洞察によって描き得ていると思う。以上。(2012/02/02)

チャイナ・ミエヴィル著 日暮雅路訳『都市と都市』ハヤカワ文庫、2011.12(2009)

1972年にイングランドで生まれたという、名前(China Miéville)からしてフランス系(?)ではないかと思われる作家による2009年発表の長編。原題はThe City & The City。まあ、そのままではある。この作品、刊行後の反響は実に凄まじかったようで、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞、ローカス賞、クラーク賞、英国SF協会賞など各賞を総なめ。SFとその周辺のエンターテインメント文学における近年最高の成果、なのではないかと思う傑作である。
舞台はバルカン半島にあると想定される都市ベジェルとウル・コーマ。時代としてはインターネットも携帯電話も存在する現代。二つの都市は地理的には同じ場所を占有しているのだが、細かく見ればモザイク状に組み合わされており、どちらもが別の政治・経済体系を持ち、各々独立国家としての主権を有している、という設定。この辺りの事情については後述する。
さて、肝心の物語はというと、こんな具合。主人公である、ベジェル警察に所属するティアドール・ボルル警部補は、ベジェル側で発見された女子学生の他殺体の背景を探るうちに、ベジェルとウル・コーマが有する歴史の暗闇に足を踏み入れていくこととなる。一見普通の殺人事件かと思われた事件の背後に潜む恐るべき事実とは、そしてまたボルルの運命は、というお話。
まずもって設定が素晴らしい。二つの都市間にはかつて不幸な戦争もあり、住民同士は結構敵対している。そんな二つの集団を、同じ場所に住まわせるために考え出された、あるいは自然にそうなったのかも知れない仕組みが存在する。
要するに、街を歩いていれば両都市住民は必ず鉢合わせするわけだし、姿も声も聞こえるわけだ。相手の都市に属する建物や道路その他のインフラストラクチャも必ず目に入る。しかし、この奇妙な二重都市に住む住民は、お互いを見えないもの、聞こえないもの、存在しないものとする訓練を小さいうちから積むことで、接触を周到に避ける術を得る。そうして両者の均衡は保たれている、ということになる。
勿論、実際には見えているし、触れるわけだから、境界侵犯、というか端的に領土侵犯というのは意図せずとも、あるいは意図的にも頻繁に起こる。それを「ブリーチ」(breach)と呼び、それが発生した時にはどこからともなく両都市の警察権を超える権力組織「ブリーチ」(上と同じ呼称)が登場し事態を収拾する、ということになっている。実はこの辺の事情が上の事件の核心と関わってくるのだが、それについては本書をお読み頂きたい。
いやー、面白い。まさに<棲み分け>。両都市が軍事的に均衡状態でなくても、ある種の紳士協定としてこれは成し遂げうるだろう。反目する二つの集団が、やむを得ず同じ場所に住まざるを得ない状況なんてものは世界中にたくさんあるのだけれど、それへの対処法の一つは提示されているんじゃないだろうか、とさえ思う。絶妙なバランスを保つための様々な操作は必要だろうけれど、一考に値するだろう。非常に示唆的な設定である。
さて、以上設定について長々と書いてきたけれど、この作品、そういう大変素晴らしい設定を見事に、そしてまたこの上ない形で生かし切ったというか、物語の出来も非常に優れている。ハードボイルド・タッチのミステリとしても非常に上出来。特に、物語の展開をもって設定を語っていく、ということもキチンとやっているところが小説技法として実に見事。非常に優れた資質を持った作家による、偉大な成功作である。以上。(2012/02/04)

京極夏彦著『南極。』集英社文庫、2011.12(2008→2010)

京極夏彦による、ギャグ小説集である。単行本『南極(人)』が2008年刊、新書版『南極(簾)』が2010年刊。中身は8本の中編からなるのだが、それらは前半3本が1997年から1998年、後半5本が2007年から2008年に発表、と、10年ほどのインターバルをおいた2群に一応分けることができる。
主人公というか、タイトルの「南極」とは『どすこい。』の一篇、「パラサイト・デブ」の作者として造形された南極夏彦のこと。そのヴィジュアル的造形はと言えば、表紙にある、荒井良さんが作った「ソフビ」の写真が何ともほほえましいのだが、この辺りはAmazonあたりに行けばすぐにみられるだろう。
8本の中身は、前述の『どすこい。』所収「すべてがデブになる」のスピンオフ作品であり、ダメダメな簾ハゲの小説家・南極夏彦とその仲間(?)たちが繰り広げる、「南極探検隊」シリーズ、という体裁をとっている。
秋本治、あるいは晩年の赤塚不二夫とのコラボレーションを果たした作品他、シュールにしてメタ、豪華絢爛にして奇妙奇天烈、これまで誰もが書き得なかった、まさしく奇跡のような作品集、と申し上げておきたい。以上。(2012/02/07)

汀こるもの著『パラダイス・クローズド THANATOS(タナトス)』講談社文庫、2011.02(2008)

汀(みぎわ)こるものによる第37回メフィスト賞受賞作にして、デビュウ作の文庫化である。周囲の人間が次々に死んでいく特異体質=「死神(タナトス)体質」を持つ兄・美樹(よしき)と、「探偵体質」の弟・真樹(まさき)の二人、及びその後見人にして語り手である刑事・高槻彰彦を主要登場人物とするのであろう「タナトス」シリーズの第1弾、にもなっている。
物語の舞台は小笠原諸島に属するらしい孤島。ミステリ作家が建てた、巨大水槽を中に有する水鱗館という館に招かれた3人は、死神体質のお約束通りに密室殺人事件に遭遇する。真樹はお約束通り事件を解決できるのか、はたまた事件の真相は、というお話、と一応しておこう。
実のところ、余り楽しく読むことが出来なかった。口に合わない、というよりは所謂ミステリ、あるいは小説の体をなしていないことによるところが大きい。典型的キャラクタ小説(?)なんだろうけれど、もうちょっとうまく動かしてくれないと、入り込めないし、そもそも肝心要のキャラクタ造形が余りにも稚拙だと思う。
付け加えると、本格ミステリ批判みたいなことをやっているようなところもあるけれど、殆どがもう言い古されているというか…。エヴァネタ、ナウシカネタその他の多さにもうんざりなのだが、そんなことをし過ぎているためにちょっとだけ見所を感じたゴールディングの引用が今ひとつ成功していない。
そんなところだろうか。ちなみに、既に文庫化されている第2弾は『まごころを、君に』だって。タイトルを見ただけで読む気が失せたことをここに書き記しておきたい。以上。(2012/02/11)

グレッグ・イーガン著 山岸真編・訳『プランク・ダイヴ』ハヤカワ文庫、2011.09

オーストラリア出身の作家グレッグ・イーガン(Greg Egan)による、日本独自のチョイスによる5冊目の短編集、である(4冊がハヤカワ文庫で、1冊は河出書房新社から単行本で出ている。)。表題作はローカス賞を受賞しているが、他にも星雲賞受賞の「暗黒星雲」、SFマガジン読者賞の「ワンの絨毯」などといった評価の高い作品を集めたもの、となっている。この人の作品、総じて評価が高いのでそうなるわけでもあるのだが。
以下、ラインナップを。1本目の「クリスタルの夜」は主人公の男が仮想空間に人口生命を作って進化させ知性を生み出させようとする話、2番目の「エキストラ」は自らのクローン体への脳移植により不老不死となることを目指す男の話、3番目の「暗黒整数」は『ひとりっ子』に収録されていた「ルミナス」の続編で、二つの世界が各々その中で打ち立てている数理によって一種の戦争状態となる話。
4番目の「グローリー」は二つの政治体制が対立し合う星に遺跡調査に赴いた二人が辿る道を描いた物語、5番目の「ワンの絨毯」は人間宇宙論批判のために<ディアスポラ>として異星に知性を求めて旅立った者達がとある星で発見した生命体を巡るお話、6番目のの表題作「プランク・ダイヴ」はブラックホールへの突入をオリジナルの代わりに試みるクローン達の姿を描いたちょっとほろ苦い物語、ラストの「伝播」はエンジニア系SFの最たるものといった感じのナノテクを用いた宇宙探索譚、といった具合になっている。
基本的にハードSFのみからなる作品集だけれど、スペース・オペラ風のものから、生命倫理に言及したもの、あるいはまたイーガン得意の人間原理ないし人間宇宙論を取り上げたまでといった具合に、その作品スタイルは極めて多岐にわたると同時に、非常にバランスがとれていると思う。勿論、どの作品も非常にクオリティが高いのは言うまでもないことであり、やはりこの人、現代を代表するSF作家なのだな、との認識を新たにした次第である。以上。(2012/02/21)