誉田哲也著『吉原暗黒譚』文春文庫、2013.02(2004)

今を時めく誉田哲也による、『妖の華』、『アクセス』に続く第3長編の、実に9年を経ての再刊、である。元タイトル『吉原暗黒譚 狐面慕情』だった元本は学研M文庫という時代小説を主力とする文庫の1冊だった。なので、本作も、著者初の時代ものであり、そしてまた今のところ唯一の時代もの、なのである。
ところは江戸。北町奉行所所属、吉原大門詰の今村圭吾は、中年の貧乏同心。昨今吉原で頻発する狐面集団による花魁殺しを解決してやるから金をくれ、と女衒にもちかけ、元花魁のくノ一・彩音、元隠密同心の仙吉とともに、調査を開始する。時を同じくして、大工の幸助は、思いを寄せる裏長屋に住むおようの様子がおかしいことが気になり、彼女の過去を調べ始める。今村は事件を解決できるのか、幸助の恋のゆくへは、あるいはまた、二つの物語はどうつながるのか、というお話。
伝奇小説でデビュウし、警察小説で成功した誉田哲也だが、ある意味その両面を兼ね備えた作品、になっているところがミソだろう。実はそのデビュウ作とはシリーズになっていたりするので、第3作は書かれないのかな、などとも思う。多忙を極めていそうだけれど、落ち着いたら、是非とも再開を。以上。(2013/06/16)

安東能明著『撃てない警官』新潮文庫、2013.06(2010)

静岡県生まれの作家・安藤能明(あんどう・よしあき)による警察小説の連作短編集である。日本推理作家協会賞を受賞した「随監」を含む7篇が収録されており、巻末の解説は香山二三郎が担当している。
綾瀬署にて随時監察=随監が行なわれることになる。早速とある交番での被害届が放置されていることが発覚。受理した村井巡査は上司の広松巡査部長に本件の隠匿を指示された、と言うのだが、一体何が?(「随監」)その他6篇。各篇では、エリート・コースである警視庁総務部から綾瀬署に左遷された柴崎令司警部が、苦労しながら同署で起きる事件に対応する姿が描かれていく。
1995年デビュウなのでキャリアは既に約15年。今回の受賞で、警察小説界の新鋭、と見なされることになった。良く練られたプロット、そしてまた人物配置が非常に巧みで、非常に完成度の高い組織小説に仕立て上げられていると思う。短編個々でも優れたものであるが、この7篇はやはり連作として読むのが正しい読み方だろう。以上。(2013/07/02)

三津田信三著『水魑(みずち)の如く沈むもの』講談社文庫、2013.05(2009)

基本的に横溝正史や京極夏彦といった作家たちの流れをくむ質の高いミステリ作品を発表してきた三津田信三による、刀城言耶(とうじょう・げんや)シリーズの第5長編。どんどん質が上がってきているこのシリーズだけれど、2008年の『首無の如き祟るもの』、2009年の『山魔の如き嗤うもの』に続いてノミネートされたこの作品でついに第10回本格ミステリ大賞を受賞。こういう経緯は、三津田信三が今日における最も重要なミステリ作家の一人であることを端的に物語るのではないかとも思う。
舞台は奈良の山奥。水魑様を共通の神として祀る深通(みつ)川流域に開けた四つの村で、数年振りという雨乞い儀式が執り行なわれることとなった。祖父江偲(そふえ・しの)とともに当地を訪れていた刀城言耶の目の前で、「神男」として儀式を執行していた男が殺される。密室とも言いうる状況での殺人事件は、その後連続して起こる神男殺人事件の発端に過ぎなかった。真犯人は誰なのか、そしてまたその目的は?刀城言耶は謎を解き明かし、事態を収拾させられるのだろうか、というお話。
リーダビリティの高さ、めくるめくスピーディな展開、圧倒的なヴォリューム、深刻かつ深遠なテーマ、民俗学的意匠とミステリの見事な融合振り、何とも味わい深いエンディング等々、誠に質の高い作品に仕上がっていて、その受賞歴にも大いに頷いた次第である。この古くからあるジャンルの、今日におけるパイオニアによる次の作品にも大いに期待したいと思う。以上。(2013/07/16)

道尾秀介著『月と蟹』文春文庫、2013.07(2010)

2011年に、5連続ノミネートの偉業を経てついに第144回直木賞を受賞した、何とも味わいのある長編である。初出は『別冊 文藝春秋』の連載で、文庫版の解説は伊集院静が担当している。
鎌倉に住む二人の少年、慎一と春也は、浜辺で捕まえたヤドカリを神に見立てて願い事をするという遊びを思いつく。それぞれに色々な問題を抱える彼らだったが、遊びで始めた願い事は次第に切実さを増していく。いつしか遊びには母のいない少女・鳴海が加わる。3人の関係やそれぞれの生活にも微妙な変化が生じていく中、その悩みを極限まで肥大化させてしまった慎一は、やがてあることを願掛けするに至るのだったが、というお話。
道尾版『禁じられた遊び』ということになるのだろう。かの名作に全く見劣りすることのない傑作だと思う。実は主人公たちが小学生だということを全く意識しないで読んでいたのだが、それはきっと主人公たちがものすごく分析的だったり、戦略的だったり、あるいはまた想像力豊かだったり、といった辺りを著者が意図的に出しているからなのだろう。小学生たちを主役に据えて、これだけ重厚なサスペンスが構築できるとは。いやはや、道尾秀介の力量には計り知れないところがあると思う次第である。以上。(2013/07/26)

米澤穂信著『折れた竜骨 上・下』創元推理文庫、2013.07(2010)

『氷菓』や『インシテミル』などで知られるほぼジャンル特定不可能な作家・米澤穂信による、第64回日本推理作家協会賞を受賞した大長編である。帯を見ると、その他にも色々なランキングで1位や2位、といった具合に、非常に高い評価を受けたことが分かるのだけれど、その辺りは読めば分かる、と思う。
時は12世紀末。場所はブリテン島の北東にあるというソロン島。デーン人の来襲が噂される中、領主ローレントの娘であるアミーナは、暗殺騎士を追う旅の騎士ファルクと、その従士の少年二コラと知り合う。ファルクが領主に、暗殺騎士によって命を狙われていることを告げたその直後、領主は暗殺騎士に魔術をかけられた者の手によって殺害されてしまう。果たして下手人は誰なのか。魔術と呪術が飛び交うなか、アミーナ・ファルク・二コラの3人による捜査が開始されるが、果たして、というお話。
特殊なシチュエーションを前提とした本格ミステリ、ということになるだろう。魔術が可能、な世界なのではあるが、当然そこには制約があり、それらを前提にした上での推理、ということになる。そうした前提群を緻密に作り上げつつ、その中で極めてロジカルな推理劇を組み立てるのは非常な困難を伴ったのではないか、とも思うのだが、そこはさすがにこの作家、高いリーダビリティと、パズラーとしての完成度、そしてまた良く出来たキャラクタ小説としての趣をも併せ持つ、実に魅力的な作品に仕上げている。以上。(2013/07/30)

有栖川有栖著『長い廊下がある家』光文社文庫、2013.07(2010)

相変わらず旺盛な執筆意欲を保ちつつ、そしてまた端正な本格ミステリの良品を送り出し続けている有栖川有栖による、4本の中短編からなる作品集である。言うまでもないことかも知れないが、全て火村英生と有栖川有栖コンビ、の作品になっている。
1本目にして表題作はかなりの長さを持つ作品。火村の大学での教え子が限界集落の調査中ある廃村の古い家屋に迷い込む。そこでは、「幽霊の出る家」の取材が行なわれていた。隣家との間には長いトンネルのようになった廊下があり、ここに幽霊が出るとの噂があるらしい。そんな中、密室状態に見えるトンネル内部で死体が発見される。火村は教え子が遭遇した犯罪の謎を解き明かせるのか、というお話。2本目「雪と金婚式」では雪密室が扱われ、3本目「天空の眼」では有栖川が謎解き役を引き受け、ラストの「ロジカル・デスゲーム」では火村が巻き込まれた命を懸けたゲームが描かれる、といった構成。
別段意図して表題作への言及が長くなったわけでもないのだが、4本ともに個性的で、そしてまたエレガントな作品に仕上がっていると思う。いわゆる本格、の様式に完全に則った1作目と、後ろに行くに従って次第にそういう様式からは微妙に距離を置いていく他の3本。非常に面白いバランスを持った、珠玉の作品集である。以上。(2013/08/01)

浦賀和宏著『こわれもの』徳間文庫、2013.05(2002)

1998年デビュウの浦賀和宏が、2002年に徳間ノベルスから出していた長編の、11年を経ての文庫化、である。近年ヒットした2001年刊の『彼女は存在しない』同様に当時はさほど評価もされず、だったようだが、今回の文庫化で大ヒットの模様(手元にあるのは6月25日発行の第4刷。)。理解されるまで時間がかかったのか、プロモーションがうまくなったのか、色々と理由はあると思うのだが、大変興味深い作品、である。
主人公は売れっ子漫画家の陣内龍二。婚約者の里美を交通事故で失ったショックで、彼はその大人気作『スニヴィライゼイション』のヒロイン=ハルシオンを劇中で殺してしまう。ファンからの猛烈なバッシングが始まる中、里美の死を予知する手紙が届いていたことを知る。送り主・神崎美佐とコンタクトをとった陣内は、彼女が持つという予知能力の存在を少しずつ信じていくのだが、その先に待ち受けているものとは一体、というお話。
高いリーダビリティ、予測不可能な展開、サブカルチャーの巧みな描写等々、読ませること、楽しませることに徹した作品で、大変見事なものだと思う。絵空事過ぎる、とか、人間が駒みたいだし類型的すぎる、といったような批評もありそうなのだが、そこはそれ。この作者のこと、かなり計算ずくでゲーム的というか、記号的に作っているのだと思う。
一つだけ不自然さを感じたのは、この世界では『スニヴィライゼイション』のことをそのまま「スニヴィライゼイション」と呼んでいるようなのだが、どう考えても長すぎるので適当に短縮してしまうのではないだろうかという点。例えば「スニライ」とか。『エヴァンゲリオン』は「エヴァ」なわけだし。いかがだろうか。ついでながら記しておくと、『スニヴィライゼイション』とはOrbitalが1994年にリリースした3rdアルバムのタイトルである。
まあ、何をおいても、ラスト近くの畳みかけは本当に素晴らしいもの。これを読まないで済ます人生はちょっと残念、と思わせるほどの傑作である。以上。(2013/08/12)

京極夏彦著『文庫版 豆腐小僧双六道中 おやすみ』角川文庫、2013.07(2011)

ご存じ京極夏彦による、豆腐小僧を主役に据えた面白くてためになるドタバタ妖怪珍道中小説の第2長編、の文庫版である。解説は香川雅信が担当。
立派なお化けになるための修行の旅に達磨先生とともに出た豆腐小僧。権太・玄角の二人にくっついて歩くうちに、悪徳商人・播磨屋、悪徳坊主・然貫、甲府勤番の虎五郎の3人が中心となった武田信玄の隠し金を巡る陰謀に巻き込まれる。全巻でも書かれた妖怪総狸化計画も絡んで物語は混沌。そんな中豆腐小僧とその仲間たちは窮地に陥る羽目になるのだったが、果たして、というお話。
物語の面白さもさることながら、ちょっとくどい位の妖怪自身による妖怪談義が誠に面白い。そこには実体はないんだ、それはそもそも説明ないしは解釈なんだ、ということが丁寧に語られていくことになるが、これが実はかなり大きな落としどころへの伏線。余り詳しくは書けないが、その実現代SFにまで足を踏み入れた野心作にして空前絶後の大著、である。以上。(2013/08/15)

野アまど著『know』ハヤカワ文庫、2013.07

2009年に『[映]アムリタ』でデビューした東京生まれの作家・野アまどによる長編。文庫オリジナル。カヴァのイラストはシライシユウコは担当。
2081年の京都が舞台。人間の脳に高性能な情報ツールである〈電子葉〉を埋め込むことが義務化された世界で、情報庁に勤める御野・連レル(おの・つれる)はランク5のアクセス権限を利用して勝手気ままに生きていた。
そんなある日、御野は情報素子のコードの中に、恩師であり、現在行方不明の研究者である道終・常イチ(みちお・じょういち)が残した暗号を発見する。読み解いた先に待っていたのは一人の少女、道終・知る(みちお・しる)だった。二人は「すべてを知る」ための行動を開始するが…、というお話。
誠に素晴らしい作品。まさに、めくるめく展開、そして圧倒的に強烈なラスト。構想力やキャラクタ造形、そしてまたディテイルの作り込みも見事なもので、もしかしたらこの人、SFというジャンルを塗り替える力を持った作家かも知れない。SFファンならずとも、必読に近いエンターテインメント作品である。以上。(2013/08/25)

吉田敦彦著『一冊でまるごとわかる ギリシャ神話』だいわ文庫、2013.08

東京生まれの神話学者・吉田敦彦による、物凄く分かりやすい北欧神話の解説本である。カヴァの写真は、フランソワ・ルモワールの『ヘラクレスの神格化』である。
ガイアとウラノスからクロノスが生まれ、クロノスから生まれたゼウスから多くの神々が生まれ、というような流れで、神々や英雄の時代を経て、やがて人間の時代に入っていくまでを鳥瞰する。
短時間で一通りのことをおさらいするのに非常に役立つ本だと思う。尊敬してやまない碩学がまとめた、簡にして要を得た入門書、と言えよう。出典が明確でないところが、やや残念なのだが、現代ではそういうことを調べるのにさほど労力は要らないので、大きな問題ではないかも知れない。以上。(2013/08/30)