京極夏彦著『オジいサン』中公文庫、2015.02(2011)

京極夏彦による、老後をテーマとした連作短編集の文庫版である。元々は『中央公論』に連載。2011年の単行本刊行から約4年での文庫化、となる。
益子徳一、72歳。身寄りのない独居老人である徳一は、72歳6か月と1日目の朝、何者かに「オジいサン」と呼ばれたことを寝床の中で思い出す。だからと言って何が起きるわけでもなく、日々は過ぎる。そんな、徳一の一週間を、淡々と描いた老人小説。
ある境地、というか、そのただものではない筆力で本格ミステリや時代小説の領域を広げてきた京極夏彦が、更なる地平を目指した作品ということになるのだろう。
同じ時期に出た『虚言少年』(2011)と本作は恐らくワンセットで、世代の両側、にスポットを当てた、ということになると思う。妖怪から子供・老人へ。次はどこへ向かうのか。実に目が離せない作家である。以上。(2015/03/20)

島田荘司著『アルカトラズ幻想 上・下』文春文庫、2015.03(2012)

偉大なミステリ作家・島田荘司による、2012年に公刊された大長編の文庫版である。解説は伊坂幸太郎。下巻の帯コピーは大森望が担当している。
物語の発端は1939年のワシントンDC。11月初旬、公園で発見された娼婦の遺体は、木に吊るされ下腹部が切り取られていた。時をおかず発生した第2の事件でも死体には損壊の痕跡が。一体誰が、何の目的で?そんな折、恐竜の巨大化についての仮説を記した「重力論文」という文章が発見され、物語は、意外な方向へと導かれていくが…、というお話。
文庫だと上下2分冊になっており、上巻に第1章「意図不明の猟奇」第2章「重力論文」が、下巻に第3章「アルカトラズ」第4章「パンプキン王国」が収められている。概ね、上巻までがワシントンDC、第3章がアルカトラズ、第4章が謎の場所でのお話、というような構成。
本当に面白い作品で、さらには大変感動的な物語に仕上がっている。さすがに稀代のミステリ作家である島田氏、次から次へと謎を提示し、読み始めからは全く予想不可能な展開を図ってみせ、驚天動地の結末へと導く圧倒的なストーリィ構築力には舌を巻くほかはない。
さて、たいへん楽しませていただいたのだが、問題は、文庫で言えば上巻と下巻の関係性の希薄さ、になるだろうか。別段、上巻で描かれた事件の犯人を主人公とせずとも、下巻の物語は成立してしまうように思うのだ。この辺りの関連付けに、例えば、「重力論文」をもっとうまく使えなかっただろうか?以上。(2015/04/02)

横山秀夫著『64(ロクヨン) 上・下』文春文庫、2015.02(2012)

横山秀夫の最高傑作ともいわれる警察小説の文庫版である。元々は2004年から2006年にかけて『別冊文藝春秋』に連載され、その後全面改訂を経て2012年に単行本として出版。そして、今回の文庫化となった。『このミス』及び『週刊文春ミステリーベスト10』で1位を獲得。NHKでドラマ化され、間もなく放映開始となる。
D県警の広報官を務める三上義信は元刑事。一人娘が失踪中、という懸案事項を抱える三上だが、それに加えて記者クラブと匿名報道問題でもめる中、時効が近づく14年前の“昭和64年”(=ロクヨン)に起きたD県警史上最悪の「翔子ちゃん誘拐殺人事件」への警察庁長官視察が決定。しかし、被害者遺族からは拒絶され、刑事部からは猛反発をくらう。三上は、果たしてこの八方ふさがりな状況を乗り越えられるのか、というお話。
警察組織内部の軋轢から、マスコミや被害者らとの関係まで、きめ細かに、そしてまたダイナミックに、最高度のリアリティをもって表現しきった何とも凄まじい作品。ディテイルの素晴らしさもさることながら、驚天動地とも言える展開には驚きを禁じ得なかった。横山秀夫の最高傑作にして、日本の警察小説における金字塔的作品である。以上。(2015/04/03)

三浦しをん著『舟を編む』光文社文庫、2015.03(2011)

直木賞作家・三浦しをんによる、2011年刊行の長編文庫版である。元々は『CLASSY.』に連載。余りの出来の良さに、2012年の本屋大賞では堂々1位を獲得。2013年には監督:石井裕也、主演:松田龍平・宮崎あおいによる映画が公開されたことは記憶に新しい。文庫版では「馬締の恋文」が巻末に収録されている。
玄武書房営業部の馬締光也(まじめ・みつや)は、変人として持て余されていたが、その能力を買われて、新しい辞書『大渡海』編纂メンバとして辞書編集部に引き抜かれる。定年間近の大ベテラン編集者、日本語研究に命を捧げた老学者、その他個性あふれる同僚たちによって編集部は活気に満ちていた。しかし、今回の編纂事業には多くの課題があった。果たして『大渡海』は完成するのか…、というお話。
要約すると上のようになってしまうのだけれど、馬締ととある女性との恋愛の部分もそれなりに大きいので念のため付け加えておきたい。でも、基本は辞書作りの話。本当に良いテーマを見つけたものだと思う。言葉とはなにか、時代とはなにか。そういう普段余り気にも留めていないことを改めて考えさせられる、好著だと思う。以上。(2015/04/04)

山田宗樹著『百年法 上・下』角川文庫、2015.03(2012)

『嫌われ松子の一生』などで知られる愛知県生まれの作家・山田宗樹(むねき)が2012年に発表した大長編の文庫版である。第66回日本推理作家協会賞を受賞したほか、様々な賞にもノミネートされたのは記憶に新しい。
先の戦争において原爆を6発落とされ、絶望の中でアメリカ製の不老長寿技術”HAVI”を導入した日本が舞台。永遠の若さとは裏腹に、人口調整のため不老化処置を受けたものは100年後に死ななければならない、という法律も導入と同時に成立していた。
そして時は過ぎ、「百年法」成立から100年後にあたる2048年を目前に控えたころ、外見は若いままの母親は息子との別れを惜しみ、官僚は着々と責務をこなし、政治家は野心を秘めて暗躍し、テロリストは来るべき理想の世界を目指していた。「百年法」の世界は、果たしてユートピアか、あるいはディストピアなのか?、というお話。
かなり長い小説なのだけれど、余りにも面白すぎてあっという間に読んでしまった。アイディアそのものはありそう、なのだけれど、それを煮詰めに煮詰めて、もう煮凝りまで煮詰めて作ったような小説で、その出来栄えたるやまさに快挙としか言いようがない。
エンターテインメント作品として優れているのはもちろんのこと、人間とは何か、そしてまた生命とは、社会とは、政治とは、といった本質的な問題群にも各々一石を投じようとするかのような、まことに凄まじい傑作である。以上。(2015/04/05)

伊坂幸太郎著『夜の国のクーパー』創元推理文庫、2015.03(2012)

千葉県出身の作家・伊坂幸太郎による、2012年に発表された記念すべき10作目の長編・文庫版、である。
公務員「私」はある日見覚えのない叢で目を覚ます。なぜか身体は縛られていて身動きが取れない。そんな時、猫のトムが私に話しかける。「ちょっと話をきいてほしいんだけど」、と。そうして語られるのは、猫たちが住む、〈夜の国〉にある小さな町の物語。戦争が終わり、「鉄国」の兵士たちが入ってきたことにより、全てが変わってしまったその町に、果たして救いは訪れのか、というお話。
ファンタジィであると同時に、戦争について、あるいは正義についての深い洞察を含んだ、いかにもこの作家らしい作品。極めてリーダビリティの高い、そしてまた寓意と刺激に満ちた傑作だと思う。以上。(2015/04/10)

皆川博子著『少年十字軍』ポプラ文庫、2015.04(2013)

偉大なるエンターテインメント小説家・皆川博子が、2013年に発表した長編の文庫版である。解説は三浦しをんが担当している。
物語の舞台は13世紀のフランス。「エルサレムへ行け」という神の声を聞いた羊飼いの少年・エティエンヌの下へ集った数多の少年少女たち。彼らの目的は聖地エルサレムの奪還にあった。だが国家、宗教、大人たちの野心が彼らの行く手を阻む。エティエンヌ、あるいは少年十字軍の運命はいかに、というお話。
皆川博子氏は1930年生まれ。ということは、80歳を超えてこれを書いたことになる。魅力的な登場人物たち、見事としか言いようのない伏線の張り方や周到に練られたプロット、説得力のある考証と堂々たる書きっぷり等々、本当に敬服する他はない作品となっている。装丁も素晴らしい。広く読まれるべき、傑作である。以上。(2015/04/15)

道尾秀介著『ノエル ―a story of stories―』新潮文庫、2015.03(2012)

直木賞作家・道尾秀介による、2012年に単行本として出ていた長編の文庫版である。第1章「光の箱」は『Story Seller』、第2章「暗がりの子供」と第3章「物語の夕暮れ」は『小説新潮』に掲載されたものである。解説は谷原章介が担当している。
孤独と暴力から身を守るため、級友の弥生に誘われて絵本作りを始める中学生の圭介。妹の誕生に不安を感じ、絵本の続きを書き始める小学生の莉子。妻を失い、生き甲斐を見失った老境の元教師の与沢。3人が紡ぐ物語は、やがて現実を超えていく…、そんなお話。
道尾秀介の作品の中でも、群を抜いて心温まる作品かも知れない。人はなぜ物語るのか、という問いを話の根幹に据え、本当に素敵な群像劇を作り上げている。デビュウから約10年ほどを経て、いよいよ脂ののってきた感じの著者による、佳品である。以上。(2015/04/20)

いとうせいこう著『想像ラジオ』河出文庫、2015.03(2013)

いとうせいこうが久々に書いた長編小説の文庫版である。書き下ろしの単行本として刊行され、第35回野間文芸新人賞他を受賞。他にも三島由紀夫賞や芥川賞候補にもあがった作品となる。解説は星野智幸が担当している。
海沿いの町で、高い杉の木のてっぺんに引っかかっているというDJのアークがパーソナリティを務める番組=「想像ラジオ」。彼は、「想像」という電波を使って、「想像力」の中だけで聞こえるラジオ放送を続けている。リスナから次々に届くメールを読み上げ、饒舌に語り、音楽を流すアークだったが、彼にはどうしても聞きたい、一つの〈声〉があった…、というお話。
お分かりの通り、あの震災が本書の背景をなしている。死者たちの声を聴くこと、あるいは聴こうとすること。それは決して消極的な行為でもなく、ましてや無駄な行為では全くない。そのようにして、人間の歴史は続く。長らく筆を断っていた著者による、渾身にして入魂の傑作である。以上。(2015/04/25)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 原罪無き使徒達』角川ホラー文庫、2015.03

藤木稟による「バチカン奇跡調査官」シリーズの第10巻。今回も文庫書き下ろしの長編となる。前作から半年ほどでの刊行で、長編としては、第9弾にあたる。遂に、日本が舞台である。
熊本県の天草で、真夏日に大雪が観測され、更には天空に巨大な十字架が浮かび上がる、という奇跡とも怪異ともつかない現象が起こる。同じころ、近隣の海上で台風に巻き込まれた海洋冒険家は救助後に、「美しい黒髪の天使に救われた」、と語る。
奇跡調査官である平賀・ロベルトは調査を開始するが、隠れキリシタンの信仰が根深く刻まれている同地には、更に様々な怪異と暗号が伝えられていた。二人は怪異現象の謎、そしてまた暗号の謎を解くことができるか、というお話。
2作続きで大変なものを読ませていただいたのだが、本書もそれらに勝るとも劣らない出来栄え。舞台が日本、ということもあり、結構厳しい読まれ方をするのではないかとも思うのだが、個人的には考証その他の点において、相当高い水準で書かれた作品だと思う。次回はどんなテーマと舞台が用意されるのか、楽しみにしたいと思う。以上。(2015/05/10)

奥泉光著『黄色い水着の謎 ―桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活〈2〉』文春文庫、2015.04(2012)

芥川賞作家・奥泉光による、ユーモア・ミステリ・シリーズの第2集を文庫化したものである。ちなみに、『モーダルな事象』(2005)まで含めると第3弾ということになるが、あの作品は若干テイストが異なる。解説は有栖川有栖が担当している。
大学准教授とは名ばかりの薄給に田舎暮らし。顧問になった文芸部の部員たちには「クワコー」呼ばわりされてしまうが、下流生活に適応しひらきなおってたくましく生きているクワコーこと桑潟幸一。
本書ではそんな彼が巻き込まれる2つの事件が扱われる。「期末テストの怪」では、夏の期末テストの答案用紙が盗まれたことから始まる騒動の、「黄色い水着の謎」では文芸部の夏合宿で発生した女子部員の水着が盗まれる事件の顛末を描く。
どこを切っても抱腹絶倒なこのシリーズ、ここでも作者の筆は冴えに冴えまくっている。残念ながらこの続きは書かれていない模様なので、ひとまずはこれで読み納め、ということになるのだろう。いつの日か、晴れて教授になったクワコーの「活躍」が読みたい、と切に願う。以上。(2015/05/15)

綾辻行人著『奇面館の殺人 上・下』講談社文庫、2015.04(2012)

綾辻行人による、「館」シリーズ第9弾となる長編の文庫版である。雑誌連載を経て、ノベルス版の刊行は2012年。今回は上下2分冊となった。解説は佐々木敦が担当している。
奇面館の主人である影山逸史によって集められた6人の男性たち。客人たちは滞在中、館に伝わる「鍵のかかる仮面」をかぶらなければならない。猛吹雪によりで館が孤立したとき、「奇面の間」で惨劇は起こる。死体からは何故か、頭部と両手の指が消えていた…。名探偵・鹿谷門実は事件を解決できるのか、というお話。
とうとう9作目。10作で一区切りらしいので残りは1作。『十角館の殺人』からかれこれ30年近い時間が経っているけれど、その間にミステリ界の事情というのも大きく変化してきたように思う。
そんな変化にあらがうかのように、本格ミステリの可能性を探ろうとする姿勢には感銘すら覚える。恐らく刊行はかなり先になるはずの最終作では、まだ誰も経験したことがないような世界を、是非とも見せていただきたいと思う。以上。(2015/05/17)

今野敏著『宇宙海兵隊 ギガース 6』講談社文庫、2015.04(2012)

今野敏による唯一のスペースオペラ「宇宙海兵隊 ギガース」シリーズの完結篇。2012年のノベルス版から3年を経ての文庫化となった。解説は皆川ゆかが担当している。
地球連合軍と木星圏をテリトリーとする「ヤマタイ国」による宇宙戦争は最終局面へと向かう。そんな中、空軍と海兵隊の精鋭たちは、「ヤマタイ国」のヒミカが唱える「絶対人間主義」を前に、この戦争の意味を問い直し始める。そこに正義はあるのか?厭戦ムードが高まる中、反戦派に対し主戦派の連合保安局は容赦ない弾圧を始めるが…。
恐らくこの結末については賛否両論、なのだろうと思う。この作品が小説である以上、ヴィジュアル的に華々しい結末が必ずしも最善ではない、のかも知れない。ただ、個人的には、ここまで地味にまとめられてしまったことについて、裏切られた、という印象を否めなかった。
書かれていることは、「正しい」とは思うのだが、もっと別の書き方があったのではないか、と考えた次第である。以上。(2015/05/18)

ピエール・ルメートル著 吉田恒雄訳『死のドレスを花婿に』文春文庫、2015.04(2009→2009)

『その女アレックス』の大ヒットにより一躍有名となったフランスの作家ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)による、2009年発表の長編文庫版である。原題はRobe de marié。いわゆるカミーユ・ヴェルーヴェン警部ものではないこの作品、実は刊行後すぐに邦訳され、柏書房から出ていたのだが、このたびは文春文庫で装いも新たに再出発、となる。
ソフィーの前には男児の死体が転がる。「私はついに殺人を犯してしまった…」。ほんの一年前まで、彼女は有能なキャリア・ウーマンだった。破滅への道は、ちょっとしたことから始った。悪夢に苦しめられるのが怖いから、眠らない。何でも忘れてしまうから、行動を逐一メモにとる。記憶にない奇行、そしてつけられたおぞましい汚名。一体何がソフィーに起こったのか、そして、果たして彼女はどん底の事態から抜け出せるのか、というお話。
著者の第2長編、ということになる。この作品の2年後に刊行された『その女アレックス』の何とも凄まじい書きっぷりはここにも現われていて、いやはやとんでもない作家が出てきたものだ、と思う。文庫化を機に、多くの人に読まれることを願う次第。
ちなみに著者のルメートルは1951年生まれ。デビュウは2006年だから55歳の時。この10年ほどの活躍ぶりはそれはそれは大変なもので、恐らく作品は順次邦訳、あるいは映像化されていくことになるのだろう。本当に、目が離せない作家である。以上。(2015/05/20)