名倉編著『異セカイ系』講談社タイガ、2018.08

京都府出身の作家・名倉編(なぐら・あむ)のデビュウ作にして、第58回メフィスト賞受賞作である。最初から文庫での登場となる。
主人公にして語り手は神(じん)。「名倉編」というペン・ネームで小説投稿サイトに書いているファンタジィ『臥竜転生』がトップテンにランクインした時から、神の生活は一変する。どうやら、「死にたい」と思うことで、自分が作り出した小説世界に入れるようなのだ。こうして、神によるセカイ救済の物語が開始されるのだが、その顛末やいかに、というお話。
「神によるセカイ救済の物語」って打ってから思わず笑ってしまったのだが、それは措くとして。本作品はメタ・フィクションにしてメタ・フィジカルなとんでもない小説で、個人的には本年のベストは既に決定、となる。実際問題、こんなに凄いものを書いてしまった名倉編の今後が心配なのだが、まあ、私が心配してもしょうがない、のだろう。以上。(2018/09/10)

米澤穂信著『王とサーカス』創元推理文庫、2018.08(2015)

米澤穂信による2015年発表の長編を文庫化したものであり、太刀洗万智(たちあらい・まち)シリーズの1篇となる。「このミステリーがすごい!」、「週刊文春ミステリーベスト10」、「ミステリが読みたい!」という3つのランキングで1位。第13回本屋大賞の候補にも挙がった傑作。解説は末國善己が行なっている。
2001年。東洋新聞を退社しフリーライタとなった太刀洗万智はネパールに取材に来ていた。折しも王宮にて国王殺害事件が発生。取材を開始した万智は、宿泊先の女主人の紹介で、事件時に王宮にいたという軍人へのインタヴュウを取り付けるが、肝心の軍人は何者かによって殺害されてしまう。一体、この国では何が起きているのか、そしてまたこの事件の真相は、というお話。
この作家の充実ぶりを端的に示す傑作。克明な描写といい、プロット運びといい、人物造形といい、全てが高い精度を持って仕立て上げられている。この著者の、代表作と呼ぶにふさわしい雄編である。以上。(2018/09/17)

誉田哲也著『武士道ジェネレーション』文春文庫、2018.09(2015)

誉田哲也による「武士道」シリーズの第4弾。2015年刊の単行本を文庫化したもので、巻末には短編「美酒道コンペティション」と、書店員3名による座談会を収録している。イラストは長崎訓子による。
「エイティーン」から6年。早苗が結婚し、いよいよ剣道からは遠く離れていく中、大学を出たものの就職することなく道場で指導者としての毎日を過ごす香織。そんなある日、香織の師匠である道場主・玄明先生が倒れ、後継者問題が浮上する。香織と早苗は道場を守るため、それぞれにできることを開始するが…、というお話。
早苗が剣道から離れ、と言ってもそんなに単純なことでもない。その辺はお手に取ってお確かめ頂きたい。実際のところ、完結編としか思えなかった「エイティーン」で終わりだと思っていたのに、そこから更にこんなに面白いものが出てきたことに驚愕。この後続編が書かれるとすればどういうことになるのか。この類まれなるエンターテインメント作家のことなので、何か凄い仕掛けを見せてくれそうである。大いに期待したいと思う。以上。(2018/09/25)

浦賀和宏著『ハーフウェイ・ハウスの殺人』祥伝社文庫、2018.09(2015)

神奈川県生まれの作家・浦賀和宏による、2015年発表の長編ミステリ文庫版である。オリジナルの『二人の果て/ハーフウェイ・ハウスの殺人』からは改題。文庫化にあたっては加筆・修正等が行われている模様。解説は福井健太が行なっている。
この作品では、二つのパートが交互に展開される。「ハーフウェイ・ハウスの殺人」パートでは箱根山中にある「ハーフウェイ・ハウス」で起こる殺人劇がアヤコの視点で、「二人の世界」パートでは行方が分からなくなっている自分の妹かも知れない彩子の捜索活動が風俗ライタの健一の視点で、それぞれ描かれる。二人の「あやこ」は同一人物なのか、そして二つのプロットはどう収束するのか、というお話。
この人の作品を結構読んできたのだけれど、ある意味集大成的な作品。色々な試みが良い具合に調合され、組み合わされていて、絶妙なバランスを持つ高水準のエンターテインメント小説となっている。こういうのはダメだ、と思う読者もいるかも知れないのだが、これが浦賀和宏の真骨頂。そんな声は気にしないで、行くところまで行って欲しい、と思う。以上。(2018/10/12)

円城塔著『シャッフル航法』河出文庫、2018.09(2015)

円城塔による、2015年に単行本が出た短編集の文庫版である。2009年から2015年に発表された作品が収められており、掲載紙は『現代詩手帖』からKindle Singlesまで多岐にわたる。巻末エッセイは再果タヒが担当している。
計10本。『現代詩手帖』が初出の表題作「シャッフル航法」は実験的な、そして非常に詩的な作品。00、で与えられた12行のテクストが、文節入れ替えによって01、02から08まで変換される。こうして、世界は分岐する、という趣向。こう書いても理解しにくいかも知れないが…。これはやや極端な例であり、他の作品は、基本的に小説の体裁をとっていて、概ね思弁的SFの範疇にくくれるものになっている。
芥川賞を受賞しているように、純文学の方でも大活躍を見せているこの作家だけれど、この作品集はかなりSF寄りのものを中心に集めている。しかも、上記の通り表題作以外は概ね一般的な物語の体裁がとられているので、割とすんなり頭に入ってくる。私見では、S.レム(S.Lem)やG.イーガン(G.Egan)の影響が深いように感じられた。この作家の読書傾向が、若干垣間見えた気がする。以上。(2018/10/15)

伊坂幸太郎著『陽気なギャングは三つ数えろ』祥伝社文庫、2018.09(2015)

千葉県生まれの作家・伊坂幸太郎による人気シリーズである「陽気なギャング」ものの、『日常と襲撃』以来実に9年振りに書かれた長編の文庫版である。オリジナルはノン・ノベル版で2015年刊。解説は日下三蔵が担当している。
ギャング4人組の一人、天才スリ師である久遠(くおん)は、とあるホテルにて暴漢に襲われた悪徳ジャーナリストの火尻(ひじり)を助けるが、これが事の発端だった。この事件から4人組の周囲には妙な出来事が頻発、どうやら火尻が久遠の正体に気づき、脅迫を試みているらしい。このピンチに、4人組はどう対処するのか、というお話。
ちょっとやり過ぎじゃないかと思う面もあるのだが、まあ結構悪徳なので良いか、と。相変わらずの見事なプロット構成で、小物の使い方も本当に素晴らしい。一気読み必至の超絶エンターテインメント小説である。以上。(2018/10/20)

冲方丁著『十二人の死にたい子どもたち』文春文庫、2018.10(2016)

作家生活20年。いよいよ脂の乗り切った感のある作家・冲方丁による、長編ミステリの文庫版である。元々は『別冊文藝春秋』に連載。カヴァのイラストレーションはwatabokuが、解説は吉田信子が行なっている。2019年1月に堤幸彦監督による映画が公開予定。
廃病院が舞台。次々に集まってくる少年少女ら、計12人の目的は、安楽死すること、にあった。その実行には全員一致が原則とされたが、病院のベッドには既に13人目の死体が置かれていた。その正体は、あるいはなぜここに置かれているのか。議論と検証を経て、彼らが導き出した結論とは、というお話。
色々なところからの翻案になっているけれど、そこは本質的ではない。議論と検証という、結論に至るまでのプロセス記述こそがこの作品の核なのだから。空前絶後といっていい論理性と密度を持ったこの小説は、このチャレンジ精神に満ち溢れた作家の、新たなる代表作、と呼ぶことができると思う。以上。(2018/10/22)

有栖川有栖著『鍵の掛かった男』幻冬舎文庫、2018.10(2015)

大阪生まれのミステリ作家・有栖川有栖による、2015年に発表した長編の文庫版である。火村英生シリーズ中の1作であり、大阪は中之島のホテルを舞台とするこの作品、刊行時には「このミステリーがすごい!」で8位にランクインするなど、軒並み高い評価を受けた。文庫版の解説は中条省平が担当している。
中之島にある銀星ホテルで、69歳の男・梨田稔が死亡する。公には自殺とみなされたが、同ホテルを定宿として利用し、生前の梨田を知るベテラン作家の影浦浪子はその死について疑問を抱く。どう考えても、男には自殺する理由があったとは思えず、では他殺の可能性はないのか、と。
やがて、影浦はこの件の解決を有栖川と火村に託し、その死の真相を突き止めて欲しい、という。火村が多忙なため単独で調査を開始した有栖川は、梨田という、謎に満ちた、まさしく「鍵の掛かった男」の人生を前にして立ちすくむが、果たして、というお話。
700頁超の大著だけれど、次々に明かされていく事実の連続に、読む手は止まらないだろう。いよいよ円熟期を迎えた同作家が、ここへ来てまた新たな代表作を作り出した、といったところ。今日における本格ミステリ界を背負って立っている感のあるベテラン作家が描く重厚極まりない人間ドラマを、是非とも堪能して欲しいと思う。以上。(2018/10/25)

森博嗣著『人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly?』講談社タイガ、2018.10

森博嗣による、Wシリーズの第10作にして完結編。いつものように文庫での書き下ろし作となる。表紙イラストは引地渉が引き続き担当し、冒頭と各章頭についている引用はアーシュラ・K・ル・グィンの『闇の左手』による。帯のコピーは「ウォーカロン・メーカによる、人口増加のための医療とは。」となっている。
キョートで開催される国際会議にて、ウォーカロン・メーカの連合組織であるWHITEは人口を増加させる可能性を持つ新しい医療技術に関する発表を行おうとしていた。会議の実行委員の一人であるハギリは、情報局からこの発表を阻止するために武力が投入される、という情報を得る。一体、何が発表されようとしているのか、そしてまたハギリや彼を補佐するウグイの運命は、というお話。
大団円、というか、やっと入口にたどり着いたか、という感想。10冊を要して、ここまでなのか、なんということだ、いや、きっと未来はこうなるのだ、というか、もうなっているのかも知れないけど、などと自問自答することしばし。
結局のところ、このWシリーズはウォーカロンについて語りながら、そっちはサブ・テーマで、実はウォーク・アローンからウォーク・トゥゲザーに至る道のりを描く恋愛小説が本筋だったのだな、と考えて腑に落ちてしまった。そもそもそれがなければ何も始まらないよな、とか、そんなことも思いつつ、そういえば二人はどうやって出会ったんだっけ、と読み返してみたくなるのはきっと誰しもが同じだろう。以上。(2018/11/05)

赤川次郎著『東京零年』集英社文庫、2018.11(2015)

名前だけは誰でも知っている作家・赤川次郎による、600頁を超える大長編の文庫版である。元々は文芸誌『すばる』に連載され、2015年に単行本刊。第50回吉川英治文学賞を受賞した(ホントかよ、と思うのだが…)。文庫化に際して戸田菜緒による解説が付されている。
療養中の父・永沢浩介を支える亜紀と、権力者・生田目重治の息子である健司。浩介が入所している介護施設のテレビに映った死んだはずの男である湯浅の姿を目にしたところから、止まっていた時計の針は動き出す。湯浅の「死」に父が関わっていたことを知った健司は、亜紀とともに湯浅を探し始めるが…、というお話。
これはちょっと、という感じの作品。厚さの割にあまりにも薄っぺらい内容、不自然な展開とお粗末な人物造形にやや辟易。そもそも、帯に「自由の失われた近未来の話」と書いてなければ「これっていつの話だよ…。」となってしまったはず。帯に設定を書くという画期的な作品なのかも知れないが(というか普通に本文に書いてくれ…)、帯がとれちゃったらどうするんだ?以上。(2018/11/15)

宮部みゆき著『希望荘』文春文庫、2018.11(2016)

宮部みゆきによる、「杉村三郎」シリーズの第4作目にして初の中・短編集。元々は『STORY BOX』及び『オール讀物』に連載され、2016年に小学館から単行本の形で刊行。カヴァのイラストは杉田比呂美、解説は杉江松恋が、これまでの文春文庫版と同様に担当している。
第1話「聖域」:極貧の高齢女性が失踪、しかしとある場所でずいぶんと着飾った姿が目撃される。それは老女の幽霊なのか、あるいは?第2話「希望荘」:老人ホームにて、ある男性の収容者が死亡。男が遺した「昔、人を殺した」という言葉の真意は何か?
第3話「砂男」:夫婦で経営している人気蕎麦店で、夫が若い女性と駆け落ちをする、という事態が発生。夫の過去を探るとそこにはとんでもない事実が隠されていて…。第4話「二十身(ドッペルゲンガー)」アンティークショップ経営者の男が、東北への買い付けから帰らなくなった。その安否を調べ始める杉村だったが、やがて驚くべき事実が判明する…。
各作品の舞台設定は、震災発生前後の出来事、ということになる。これは、前作『ペテロの葬列』を経て色々な意味で「フリー」となった杉村三郎が、探偵として独り立ちするまでの時期、にあたる。杉村三郎自体はのほほんとした好人物なのだけれど、彼の引き寄せる事件のそれはそれはおぞましいこと。ここでも宮部みゆきの筆致は冴えに冴えわたっている。まだまだ続くシリーズの、恐らくはターニング・ポイントになるのであろう作品である。以上。(2018/11/20)

高村薫著『冷血 上・下』新潮文庫、2018.11(2012)

高村薫による合田雄一郎刑事シリーズの長編。『サンデー毎日』における連載を経て、2012年に単行本として刊行。この度の文庫化となった。
2002年のクリスマス・イヴ。この日の朝発覚した、北区の住宅地で歯科医一家4人が何者かに殺害され、金品を奪われる、という事案に合田雄一郎は関わることになる。捜査は着々と進み、やがて二人の男が逮捕される。
二人は、闇求人サイトで知り合い、その数日後にこの事件を起こした、ということになるのだが、それは一体何故なのか。当たり前のように死刑相当の事案として審理が進む中、合田は二人の心を理解しようとするが…、というお話。
淡々とした叙述に、『パリ、テキサス』が通奏低音のように響き渡る、何とも味わい深い作品。警察小説の枠組みを遥かに超え、孤高の境地に達して久しい高村薫による、ドストエフスキーの諸作品をすら彷彿とさせる密度と深遠さを持つ、圧倒的な作品である。以上。(2018/11/25)