竹本健治著『クレシェンド』角川文庫、2017.11(2003)

『涙香迷宮』(2016)で何度目か分からない再ブレークを果たした竹本健治が2003年に発表した長編の文庫化。文庫化まで実に14年。カヴァのイラストは大槻春奈、解説は東雅夫がそれぞれ担当している。
八木沢孝司はゲーム会社の社員。日本神話をモティーフとする新作を出すべく、アイディアの元となる資料を探しに会社の地下2階に赴いた彼は、そこで世に聴く百鬼夜行としか思えない幻覚を見る。八木沢は知人の姪である真壁岬(まかべ・みさき)や、精神医学者・天野不巳彦(あまの・ふみひこ)らの協力を得て、原因を解明しようとするが、幻覚症状はますますその度合いを強めていくのだった…、というお話。
ミステリの他にもSFとホラーの分野で卓越した仕事をしていたこの著者だけれど、これなどもまさにそうした仕事の一つ、ということになるだろう。日本語や日本文化について、相当な量の文献を読み込んで構築された、何とも凄まじい情報量を誇る本書は、『涙香迷宮』の原点、にもなっていると思う。14年放置されていたことが信じがたい、傑作である。以上。(2017/12/10)

野アまど著『バビロン III ―終―』講談社タイガ、2017.11

苗字に環境依存文字が含まれる作家・野アまどによるサスペンス小説シリーズの第3弾。タイガなので文庫書き下ろし。カヴァのイラストはざいんが担当している。
新域で発令された「自殺法」の影響は世界中に広がっていった。同様の方針をとる都市が7つ増え、自殺者は急増する。そんな中、アメリカでG7が開催される。議題の中心は当然のように、世界を揺るがす「自殺法」になるが…。果たして世界はどうなっていくのか、というお話。
タイトルが「終」なので、これで完結ということになるのかも知れない。それはそれで凄いことなのだが…。えっ、違うって?それはともかく、本書は、色々な意味で画期的というか、かなりの驚きをもたらしてくれる巻になっている。というか、何を書いてもネタバレなので何も書けない巻になっている(笑)。
物凄く抽象的かつ曖昧に、非常に知的で、そしてまたきちんとエンターテインメント作品になっている、という、一粒で二度おいしいような小説、といっておきたい。以上。(2017/12/15)

舞城王太郎著『淵の王』新潮文庫、2017.12(2015)

福井県生まれの作家・舞城王太郎による、ホラー長編文庫版である。元々は『新潮』に掲載されたもので、単行本は2015年に刊行。文庫では約400頁。解説は付されていない。
本作は3人を主要な登場人物とする三つのパートに分かれる。それぞれの登場人物である、「中島さおり」は影に憑依された幼児に襲い掛かられ、「堀江果歩」は自分の漫画に描いた覚えのない黒髪の女が出現し、「中村悟堂」が住み始めた西暁町の家では屋根裏部屋に闇の穴が開いている。現われては消える闇と影、その正体は一体何か…、というお話。
異様に張り詰めた感じの独特な文体、何とも特異な作品構成、そして圧倒的な創造性、どれをとっても既成の枠からは完全にはみ出している作家・舞城王太郎のものとしか言いようがない。文壇において確固たる、そしてまた特異な地位を占めるに至った作家による、いつものことながらまことに野心的な作品である。以上。(2017/12/20)

古野まほろ著『身元不明(ジェーン・ドゥ) 特殊殺人対策官 箱崎ひかり』講談社文庫、2017.12(2015)

元警察官僚のメフィスト賞作家による、猟奇的な殺人事件とその顛末を描くサスペンス小説である。オリジナルは単行本の形で2015年に刊行。文庫化にあたり大矢博子による解説が付されている。
舞台は東京オリンピック後の東京。湾岸線という環状の地下鉄路線が新設され、首都の交通事情は一変していた。8月のある日、そんな湾岸線のある駅で、異様な粉飾を凝らされた死体が見つかる。捜査にあたるのは湾岸署の無気力巡査部長・浦安圭吾と、ゴスロリ・キャリア警視・箱崎ひかり達。やがて第2、第3の死体が発見され、捜査が進む中、事件の背後にある巨大な陰謀の影が浮かび上がる。一体何が起こっているのか、浦安と箱崎は全ての謎を解明できるのか、あるいは、というお話。
うーむ、これは頂けない。正直な話、出版できるレヴェルのものではないとすら思える。全体に文章が稚拙、記述におかしいところが多すぎる、登場人物や物語の舞台設定に工夫が足りなすぎる、等々。そして、何といってもまずいのは物語の核であるトリックが偉大なる先行作品の模倣であること。西と東を入れ替えただけじゃないか、と。もしかして突っ込まれるために書かれたのではないか、と邪推してしまうほどひどい作品である。
この後に書かれた作品を知っていて、それらがとても良くできているので、この作家がこんなにひどいものを書いたとは到底信じられないのだが。となると、編集部に問題があるのかも知れない。講談社さん、大丈夫なのか?
一つだけはっきりしたことがあって、要は警察小説と本格ミステリは水と油くらい違うということ。無理に混ぜようとすると、例えば本書のようなひどいものが出来上がる可能性がある、というのは覚えておいて損はないかも知れない。確かに、ある意味反面教師にはなりうる、と述べておこう。以上。(2017/12/25)

宮部みゆき著『悲嘆の門 上・中・下』新潮文庫、2017.12(2015)

宮部みゆきによる大長編の文庫版である。もともとは『サンデー毎日』に連載。単行本は2015年に刊行されていた。文庫化にあたり、上・下2分冊から上・中・下3分冊となる。解説は武田徹が担当している。
主人公・三島孝太郎は都内にある大学の1年生。高校時代の先輩・真岐に誘われてサイバー・パトロールを事業として行なっている会社「クマー」でアルバイトを始める。やがて全国規模で発生している不可解な死体遺棄事件に関する書き込みその他の監視チームに参入し、情報収集を開始。
そんな矢先、先輩のアルバイト学生・森永が行方不明になり、事態は混迷を深めていく。一連の出来事には関連性があるのか、はたまた、その先に一体何があるというのか、というお話。
何を書いてもネタバレになりそうなので、敢えて書かない方が良いだろうと思う。私自身、全く先入観なしに読み始めて、結構のけぞった口なので。まあ、読めば分かります。とりあえず、その緻密なプロット構築には、いつものことではあるが大いに感銘を覚えた次第。
ところで、本年で宮部みゆきもついにその作家生活は30年に及ぶ、という。そんな長いキャリアを俯瞰するような、そしてまたこれから先の更なる発展を確信させるような雄編に仕上がっていると思う。以上。(2017/12/30)

グレッグ・イーガン著 山岸真訳『シルトの梯子』ハヤカワ文庫SF、2017.12(2002)

オーストラリア出身の作家・グレッグ・イーガン(Greg Egan)が2002年に発表した長編である。原題はSCHILD'S LADDER。翻訳は山岸真が手掛け、あとがきを記している他、科学的背景の解説を前野昌弘が行なっている。
時は2万年後の超未来。量子グラフ理論を研究するキャスは、太陽系からは遠く離れたところにあるミモサ研究所にて、とある実験を行なう。その結果、この宇宙とは異なる物理法則を持つ宇宙が発生し、崩壊することなく存在し続け、こちらの尺度でいえば光速の半分の速さで膨張し始めてしまう。
605年後、人類はこの新しい宇宙との関わり方において譲渡派と防御派に分かれて対立し合っていたが、譲渡派のチカヤは両派が共有する観測所=リンドラーで幼馴染のマリアマと再会する。どうやらマリアマは防御派に立つらしいことを知ったチカヤは動揺。派閥間の対立の行方は、そしてまた新たな宇宙への探索の果てにあるものは…、というお話。
エンジニアリング系SFの極北のような作品。量子力学が縦横無尽な形で用いられ、若干煙に巻かれる感じもあるのだけれど、人類同士の対立や和解のような物語部分は本当に良く出来ていて、読後感は極めて爽快。読みにくいのは確かなのだけれど、この作家の作品は兎に角我慢して読み進めるしかない、と思う。その先には、きっと何かが待っていると信じて。以上。(2018/01/13)

小川哲著『ユートロニカのこちら側』ハヤカワ文庫、2017.12(2015)

『ゲームの王国』で話題沸騰中の小川哲(おがわ・さとし)によるデビュー作を文庫化したものである。第3回ハヤカワSFコンテスト<大賞>をとった作品で、同じ世界設定を背景にした6本の連作短編集という体裁。解説は入江哲朗が、カヴァのイラストはmiezeが担当している。
超大手情報企業であるマイン社によって構築された実験都市=アガスティアリゾート。その住民は、視覚や聴覚などが受け取る情報といったものも含む、ありとあらゆる個人情報を提供する代わりに、豊かな生活を保証される。この、情報社会の行き着く先、とも言える実験都市は、人間にとって果たしてユートピアなのか、あるいは…、というお話。
21世紀に入って結構な時間を経たが、これはまた大変な書き手が現われたものだ、と思う。良く練られた構成とディテイルの見事さ、そしてまた、そのテクノロジと人間を巡る何とも深い洞察には目を瞠らされる。そんなあたりに森博嗣を感じつつ、あるいはまたベースとなるアイディアは都築道夫が提示していた『PSYCHO-PASS サイコパス』の残響をそこかしこに感じながら読了した。『ゲームの王国』にも大いに期待したいと思う。以上。(2018/01/23)

佐藤友哉著『俳優探偵 僕と舞台と輝くあいつ』角川文庫、2017.12

メフィスト賞作家である佐藤友哉による、90ページほどの作品3本からなる連作短編集である。初出は『小説屋sari sari』。カヴァのイラストはサマミヤアカザが担当している。
主人公の麦倉(通称ムギ君)は2.5次元舞台での活躍を目指す高校生。事務所の同期である天才肌の俳優・水口が主演に抜擢され、麦倉はキャストから外れた舞台で、事件は起こる。水口のライバル役である役者が、衆人環視の中、忽然と姿を消したのだ。その事件の真相とは?(舞台上で消えた役者) ほか2本を収録。
なんだか凄い作品。一皮むけたどころではない変わり方に驚嘆した次第。随所に挟まれる演劇論が作品世界に広がりと奥行きを与えていて、何度もうならされたのだが、それはそれとして、何よりも本作品の青春小説としての出来栄えには目を瞠らされる。佐藤友哉が満を持して新次元に突入、といった感の傑作である。以上。(2018/02/03)

道尾秀介著『透明カメレオン』角川文庫、2018.01(2015)

直木賞作家である道尾秀介による、2015年発表の長編文庫版である。解説は鈴木おさむが担当している。
桐畑恭太郎は容姿にコンプレックスを持つラジオ・パーソナリティ。浅草にあるバー「if」の常連たちの話を適当にアレンジして送り届ける、という深夜放送にはそれなりに熱心なファンがついていた。
ある晩、いつものようにifを訪れると、びしょ濡れのいわくありげな若い女性が飛び込んできた。やがて、ifの常連たちは彼女のとある計画を手伝うことになるのだが、さて、というお話。
小説技巧の限りを尽くした、感動的でもあり、飛び切り感傷的でもある傑作。一体その語りはどこまで上手くなるんだろう、と思ってしまうのだが、そろそろこれはもう「道尾秀介」というジャンルなのではないかとさえ思えてくる。円熟期に差し掛かったと思われる著者による、渾身のエンターテインメント作品である。以上。(2018/02/10)

篠田節子著『インドクリスタル 上・下』角川文庫、2018.01(2014)

道尾秀介と同じく直木賞作家である篠田節子による大長編の文庫版である。もともとは『小説 野生時代』に連載され、単行本化は2014年。第10回中央公論社文芸賞に輝いている。文庫化にあたって上下2分冊となった。解説は温水ゆかりが担当している。
序盤の大まかな要約を。主人公の藤岡は山梨県の水晶デバイスメーカ社長。事業推進に必要不可欠な高純度の水晶を探してインド東部のとある地域を訪れた藤岡は、彼のもとに娼婦としてあてがわれてきた少女ロサが、とてつもない頭脳の持ち主であることに驚き、彼女がまっとうな道に進めるよう尽力し始める。
一方、当地では極めて高純度な水晶が埋蔵されていることが明らかとなり、藤岡はその採掘と輸入を独占的に行なえるよう様々な方面での画策を開始する。インド特有の商慣習、あるいは政治などが複雑に絡み合う当地において、藤岡は果たして事業を軌道に乗せられるのか、はたまたロサの運命はどうなるのか、というお話。
いやはや、まことに圧倒的な密度で書かれたとんでもない傑作で、現時点でのこの作者の代表作、と言ってしまって良いと思う。複雑な話なのだけれど頭にすっと入ってくるリーダビリティの高さには敬意を表する他はないし、今日の旧植民地事情をここまで緻密かつ徹底的な形で書いた作品というのもそんなにはないのではないかと思う。
本書で扱われているのと同じテーマ(開発・シャマニズム・フェミニズム等々)は初期の作品群から何度となく現われていたけれど、ホラー系から次第に直球勝負な方向にシフトしてきて、遂にここまで来たか、という感じ。集大成にして最高傑作。そんな語られ方をするに違いない作品である。以上。(2018/02/16)

宮下奈都著『羊と鋼の森』文春文庫、2018.02(2015)

福井県生まれの作家・宮下奈都(なつ)による本屋大賞受賞の大ベストセラー文庫版である。元々は『別冊文藝春秋』に連載され、2015年に単行本化。カヴァの装画は牧野千穂、解説は佐藤多佳子がそれぞれ担当している。
高校生の戸村は、学校のピアノをメンテナンスするためにやってきた調律師・板鳥と知り合い、その道に進むことを決める。音楽の素養が全くない戸村は、人一倍の努力を重ねつつ、周囲の人々から励まされ、時には叱られながら一歩一歩一人前へと近づいていくのだった、というお話。
青春小説としての出来は悪くはないのだが、まあ私には何も残らなかった。なんか、取り立てて小説に仕立てるべきものでもない気がする普通の人生なんだけど。戸村の人生のどの辺が面白いのか正直良く分からない。
で、音楽に携わっている人は、基本的に読まない方が良いかも知れない。色々間違ったことが書いてあって、そういうのが気になって感情移入が妨げられると思う。この手の話は言いだすとキリがないのでこれ以上は触れない。以上。(2018/02/22)

円城塔著『プロローグ』文春文庫、2018.02(2015)

芥川賞作家である円城塔による長編作品である。2014年から2015年にかけて文芸誌『文學界』に連載され、2015年に単行本刊。装画はシライシユウコ、解説は佐々木敦がそれぞれ担当している。
まだ名前を持たない「わたし」は、日本語の表記に用いる文字範囲を定め、登場人物である13氏族を設定し、小説を書き始める。プログラムによって物語は紡がれていくが、やがてバグと思われる事態が発生し、わたしは設定を見直すことになる。物語生成の根源へと向かう旅が、ここに始まる…、というお話。
『エピローグ』(ハヤカワ文庫JA)と対をなす作品である。プロ→エピなのはギリシャ語を知らなくても分かることなのでこの順で読めば良いと思うのだが、それによって理解が深まるか、というとそれは読み手に大きく左右されてしまうだろう。即ち、情報理論の基礎を知っているといないでは内容の理解に大きな差が出るはずの、ちょっと敷居の高い本であるように思われた。以上。(2018/02/25)