小川一水著『群青神殿』ハヤカワ文庫、2019.08(2002→2011)

岐阜県生まれの作家・小川一水(いっすい)による、2002年発表の長編再文庫版である。最初はソノラマ文庫で、2011年には朝日ノベルスに入って、遂にハヤカワ文庫入り。代表作『天冥の標』シリーズとようやく同じ場所に入ったことになる。カヴァのイラストは筑波マサヒロ、解説は林譲治がそれぞれ担当している。
メタンハイドレートの探索業務に従事する鯛島俊機と見河原こなみのコンビは、ある日のこと、沈没した自動車運搬用船舶の調査に向かうよう指示を受ける。同船舶の乗組員は、巨大な化け物を見た、と言い残しているのだが、その正体は不明。一体、海の底で何が起きているのか…、というお話。
宇宙SFで著名になってしまった一水氏だが、海洋物の書き手としてのスキルも非常に高いことが分かる一冊。考えてみれば、海と宇宙は、探索や居住に密閉された容れ物が必要だったりするところが似ている。そう、やはりメカ類とか自然環境の描写がとても素晴らしくて、そこが第一の売り。
そして、本書はそれだけではなく、登場人物も非常に魅力的。これが第二の売り。この人の殆どの作品同様シリーズ化はされていないが、ちょっと残念。以上。(2019/09/18)

今村昌弘著『屍人荘の殺人』創元推理文庫、2019.09(2017)

長崎県生まれの作家・今村昌弘による、第27回鮎川哲也賞を受けたデビュー作にして大ベストセラー作の文庫版である。ミステリランキングでも4冠を達成し、12月には映画も公開される。解説は有栖川有栖が担当している。
神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲・明智恭介は、映研の夏合宿に参加すべく探偵少女・剣崎比留子と共にペンション紫湛荘へと向かう。だが、現地で彼らを待ち受けていたのは、想像を絶する事態だった…。
ペンションから外に出ることもできないまま、やむを得ず一夜を過ごした彼らだったが、あくる朝、映研部員の一人が密室状況下で殺されていることが判明する。一体犯人は誰なのか、そしてまた彼らはこの状況から逃れることができるのか、というお話。
映画化は確かに合いそうな気もするのだが、色々な意味でかなりロジカルな本格ミステリなので、そこをどう処理するのかが相当難しいのではないか、と思う。アクロバティックで外連味たっぷりの、そしてまたとんでもなくロジカルな推理劇を是非とも楽しんでいただきたいと思う。以上。(2019/09/28)

ピエール・ルメートル著 橘明美訳『わが母なるロージー』文春文庫、2019.09(2012→2014)

フランスの作家ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)によるカミーユ警部ものの中編である。オリジナルのタイトルはLes Grands Moyensで2012年刊。その2年後にROSY & JOHNというタイトルで再刊されたものが元本になっている模様。解説は吉野仁による。
パリで爆破事件が発生。警察に出頭した青年ジャンは、まだ6発が残っている、といい金を要求する。警察中が爆弾探しに奔走する中、カミーユ警部はこの青年の狙いは別にあるのではないかと疑い始めるが、果たして、というお話。
恐らくこのシリーズ最後のお話、になってしまうのだろう。映画化までされたこのシリーズだけれど、本書なども映像化にはとても適した内容になっている、と思う。200頁余りの中編ながら、この作者らしいエッセンスがぎっしり詰まった快作。恐らく無理なのだろうけれど、続編が書かれることを願ってやまない。以上。(2019/10/03)

佐藤究著『Ank : a mirroring ape』講談社文庫、2019.09(2017)

福岡県生まれの作家・佐藤究(きわむ)によるエンターテインメント長編の文庫版である。本作は非常に高く評価され、第39回吉川英治文学新人賞と第20回大藪春彦賞を受賞。カヴァのデザインは川名潤、解説は今野敏がそれぞれ担当している。
2026年10月26日、京都で大暴動が発生。どうやら、人が人を襲っているらしい。ウイルス感染や、何らかの化学物質の影響による可能性が取りざたされたが、実は亀岡に作られた霊長類研究施設から逃げ出した一頭のチンパンジー=アンクがその発生源だった。同施設の研究リーダである鈴木望は、責任上その他の理由から逃亡を続けるアンクを捜し始めるが…、というお話。
見事な作品。詳細は伏せるが基本的に謎解きの要素が話の中心で、SFというよりはどちらかというとミステリとして読んだ。まあ、そのスケールのデカいことデカいこと…。とんでもない作家が現われたものだ、と思う。久々に心の底から楽しめた。
そんな凄い作品にこれ以上何かを求めるのも何なのだが、一つだけ。2026年という年代設定には意味があって、AIの話が物語の根底にある。ここをもう少し膨らませてもらえていたら、更にとんでもない作品になっていたのでは、と思っている。次回作でやるのかも知れない。期待したい。
ああ、ちなみに、本作に対しては、「科学的根拠が薄い。」、みたいな批判が起こり得ると思っているのだが(確かに、例えばDNA周りの話はちょっと超科学っぽいのだが。)、起こってしまった事態=京都暴動とその鎮圧、について語っているのだから、あくまでも一つの説明、みたいに考えれば良い。メタ・フィクショナルな構成にしてあるのはそのためだし、もう一つ言うと、科学って、そもそもそういうものだ。以上。(2019/10/05)

野アまど著『[映]アムリタ 新装版』メディアワークス文庫、2019.09(2009)

墨田区生まれの作家・野アまどによる、2009年発表の《メディアワークス文庫賞》受賞作にしてデビュウ作新装版である。毎回書いてるような気がするが、野アのアは環境依存文字なのでご注意を。カヴァのイラストは森井しづきが担当している。
三鷹辺りにある芸術系大学の映画サークルに所属する二見遭一は、天才映画作家との触れ込みがある新入生の最原最早(さいはら・もはや)が監督をするという作品にキャスティングされる。しかし、『月の海』と題されたその映画は、単なる映画ではなかった…、というお話。
噂にはきいていたが、ジャンルを言うこと自体ネタバレになるような、かなりトリッキィなプロットを持つ傑作。デビュウ作ってその作家の個性が最も色濃く出るのだろうと思うのだが、これなどはまさにその典型だろう。余り詳しくは書かないが。以後、初期作品群が新装版で次々に出るようなので、順番に読んでいこうと思う。以上。(2019/10/08)

道尾秀介著『スタフ staph』文春文庫、2019.09(2016)

直木賞作家である道尾秀介によるサスペンスフルなミステリ長編。元々は2015年から2016年にかけて『週刊文春』に連載され、2016年に単行本刊。カヴァのデザインは城井文平が、解説は間室道子がそれぞれ担当している。
バツイチでアラサーの掛川夏都(なつ)は単身移動デリを経営する女性。海外に赴任中の姉・冬花(とうか)の息子である智弥(ともや)を預り中の夏都は、ある日のこと中学生アイドルであるカグヤのファンたちによって、デリの車ごと拉致されてしまう。こうして、夏都は芸能界の闇とも言うべき事態に巻き込まれていくのだったが、さて…、というお話。
さて、タイトルのstaphとはブドウ球菌のこと。読んでみれば、ああ、なるほど、だと思う。ちなみに、タイトルには結構色々な意味を含ませていて、その辺りが上手いというかなんというか。大変リーダビリティに優れた、いつものようにややほろ苦い感じの、極上エンターテインメント作品である。以上。(2019/10/11)

阿津川辰海著『紅蓮館の殺人』講談社タイガ、2019.09

東京生まれの20代ミステリ作家・阿津川辰海(あつかわ・たつみ)による書き下ろし長編。多分シリーズ化していくのであろうものの第1巻目で、全439ページ。カヴァのイラストは緒賀岳志が担当している。
尊敬する老ミステリ作家・財田雄山(たからだ・ゆうざん)に会うべく、合宿を抜け出した僕(田所)と葛城の高校生コンビは、突如発生した山火事に遭遇し逃げ惑う羽目に。やがて辛くも財田の屋敷=紅蓮館にたどり着き、救助を待つうちに住人の一人である少女・天利つばさと仲良くなるが、あくる朝、彼女は奇妙なシチュエーション下の圧死体で発見される。これは事故、あるいは殺人なのか?
山火事が収まらない中、事件の捜査と避難のどちらを優先するかで、住人その他の避難者たちは分断されてしまう。タイムリミットは35時間。紅蓮館に集まった者たちの運命は、そして事件の真相は、というお話。
良く考え抜かれたトリックや、多種多様で魅力的な登場人物など、読み応えは十分。これだけ色々なアイディアを詰め込んでしまうと、次巻以降辛くならないか、とも思ってしまうほどのサーヴィス満点な内容で、おなか一杯、といったところ。次は何を見せてくれるのか、大いに期待したいと思う。以上。(2019/10/15)

森博嗣著『神はいつ問われるのか? When Will God be Questioned?』講談社タイガ、2019.10

森博嗣によるWWシリーズの第2弾である。実は全部書き終わっているのではないかと思っているのだが、今回もコンスタントなペースでの刊行。表紙の写真は第1弾と同じくJeanloup Sieffが担当。巻頭や章頭の引用は、K.ヴォネガットJr.の『スローターハウス5』からのものである。
ロジに誘われて「アリス・ワールド」という仮想空間に赴いたグアト。何気にカー・マニアなロジの運転で快適なドライヴを楽しんでいた二人だったが、突如システムがダウンし、強制的にログアウトさせられる。その影響なのか、自殺を図るものや体調不良を訴えるものが増え、社会問題化する。依頼を受け、何が起きているのかを突き止めるべく、ロジとグアトは再び仮想空間を訪れるが、…、というお話。
リアルとは何か、といったあたりの模索がこのシリーズの基調になっていくのだろうな、と予想させる1冊になっていると思う。車の話が今までにない分量書き込まれていて、ちょっと異色な感じに仕上がっている。次はどうくるか、本当に楽しみである。以上。(2019/11/03)

歌野晶午著『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』角川文庫、2019.10(2016)

千葉県生まれの作家・歌野晶午による江戸川乱歩の翻案作品集。単行本は2016年刊。今回は加筆修正のうえでの文庫化となった。カヴァのイラストは鈴木康士、解説は大矢博子がそれぞれ担当している。
元になっている乱歩作品は「人間椅子」、「押絵と旅する男」、「D坂の殺人事件」、「お勢登場」、「赤い部屋」、「陰獣」、「人でなしの恋」の7本。大半の作品は1920年代くらいに書かれているので、かれこれ100年近く前のもの。歌野による改作は、これらの傑作群を、今日のテクノロジでアップデートする、という方針でなされている。
世界は100年足らずで随分と変わったのだな、とも思うけれど、ミステリの在り方も同じかも知れない。本作は、近い将来、紙ベースでの作品公開がほとんどなくなるかも知れない時代に放たれた、著者による会心の一撃とも言うべき作品集である。以上。(2019/11/11)