桜庭一樹著『傷跡』文春文庫、2019.02(2012)

桜庭一樹による、実在したポップ・スターを俎上に載せた長編の文庫版である。元々は『小説現代』に連載され、単行本は2012年に刊行。文庫化は難航したようで、結局7年の時を経て文春文庫からの刊行となった。解説は尾崎世界観が担当している。
幼少の頃からその天賦の才能で世界を魅了してきたキング・オブ・ポップが51歳で急逝する。銀座の元小学校を自宅とし、近年はもっぱら平和活動に力を注いできた彼は、11歳になる娘、「傷跡」を遺して旅立ってしまった。混乱の中、その謎に包まれた出生や素顔を明らかにしようと、イエロー・ジャーナリズムは色めき立つのだが…というお話。
実際のところ、私生活、などというものはその人生の中で数パーセントの時間もなかったのではないかな、とふと思う。やはりスーパー・スターの孤独を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディー』が大ヒットしたけれど、成功、の裏には常に何らかの悲劇が存在するのかも知れない。そんな映画と同じように、かのポップ・スターへの、尋常ではない愛に満ちた一冊である。以上。(2019/03/03)

島田荘司著『屋上』講談社文庫、2019.02(2016)

ミステリ・ゴッドたる島田荘司による、2016年に発表された御手洗潔もの長編の文庫版である。原題は『屋上の道化たち』だったが、今回の文庫化に伴いよりシンプルに改題。解説は乾くるみが担当している。
バブル期のある年。T見市のU銀行屋上から、その言動などからとても自殺するとは思えない数名の行員が相次いで飛び降り死亡する、という事件が起こる。自殺なのか、あるいは他殺なのか、他殺だとすれば、一体どんなトリックが?
というのも、盆栽が所狭しと並べられており、隣のデパート屋上にある、かつて大人気を誇ったプルコキャラメルの朽ちた大看板が望める特異といえば特異なシチュエーションの屋上ではあるのだが、特にトリックを仕掛けられそうにもない。では、一体何が起こったというのか。奇妙極まりない謎に、名探偵・御手洗潔が挑む、というお話。
いかにもこの作家らしい大仕掛けを堪能できる一冊。実に、御手洗潔シリーズの第50作にあたる、とのこと。名探偵物で、これだけの作品数、というのは世界的にもかなりレアなのでは、と思ってしまう。100作目を目指して、突き進んで頂きたいと思う。以上。(2019/03/05)

桐野夏生著『バラカ 上・下』集英社文庫、2019.02(2016)

桐野夏生による大長編の文庫版である。2011年から2015年にかけて『小説すばる』に連載され、2016年に単行本刊。文庫化にあたり、上・下2分冊となった。解説は奥泉光が担当している。
40を過ぎた出版社勤務の女性・木下沙羅は、親友・田島優子の元彼氏である川島と再会する。学生時代に川島との間にできた子供を中絶した経験のある沙羅は、急に子供が欲しくなってしまう。ややあって優子と共にドバイのベビー・スークを訪れた沙羅は、そこでアジア系の少女・バラカを買い、養女とする。
全くなつかないバラカにうんざりし、そして川島との結婚生活もうまくいかない中、未曽有の大地震が起きる。運命に翻弄されるバラカは、信じられるものが不在となった震災後の世界を、どう生きていくのか、そしてまた川島は…、というお話。
2011年から物語が開始され、下巻はその8年後、つまり今年の出来事を描く。微妙に現実とは異なる展開を見せる小説内世界ではあるのだが、それだからこそ、より雄弁に今あるこの現実、この状況を語っていたりもする。
川島という、典型的に桐野キャラである底なしの悪漢と、無垢にして善良なる越境者バラカの対比が、何とも印象的な、野心作にして会心作である。以上。(2019/03/18)

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』幻冬舎文庫、2019.04(2016)

恩田陸による、第156回直木三十五賞と第14回本屋大賞のダブル受賞を果たした傑作の文庫版である。文庫化にあたり上下2分冊となった。カヴァのイラストは杉山巧が、巻末の解説というかエッセイは編集の志儀保博が担当している。
3年に一度実施される芳ケ江(よしがえ)国際ピアノコンクールは、その優勝者が目覚ましい活躍を見せることから近年世界的にも注目されていた。今年はその第6回目。90人近い参加者の中で、自然児・風間塵16歳、元天才・栄伝(えいでん)亜夜20歳、サラリーマン・高島明石28歳、ピアノ王子・マサルは、果たして栄冠を勝ち取ることができるのか、あるいは…、というお話。
驚異的な作品、としか言いようがない。音楽とは何か、ということを改めて考える上でのヒントが、モリモリに盛られている。作品と向き合い、ライバルと向き合い、更には自分自身と向き合って、人は成長する。音楽をテーマにした名作は多々あるけれど、本書はその一角に確実に加わった。音楽への、そしてまた人間への愛に満ちた、空前絶後の傑作である。以上。(2019/05/13)