森博嗣著『キャサリンはどのように子供を産んだのか? How Did Catherine Cooper Have a Child?』講談社タイガ、2020.02

森博嗣によるWWシリーズの第3弾である。相変わらずの何ともコンスタントなペースでの刊行。表紙の写真はいつものようにJeanloup Sieffが担当。巻頭や章頭の引用は、G.イーガンの『ディアスポラ』からのものである。
国家反逆罪に問われていたキャサリン・クーパ博士と、彼女の研究所を訪問中の検事局員8名が、行方不明になる、という事件が発生する。グアトはまたしてもドイツ情報局から依頼を受け、キャサリン・クーパの研究所を訪れる。どうやら、クーパ博士は子供を産み、研究所内に作られた無菌ドーム内で共に暮らしていたらしい。一体、彼らはどこに消えたのか…、というお話。
どこかS&Mシリーズを彷彿とさせる展開だけれど、余りにも時代が違う。何せ引用が『ディアスポラ』なので、きっとそっちに持って行くのだろう、と考える読者は…、さほど多くはないかも知れない。
現実=リアルとは何か、生命とは何か、等々といった難題に、果敢に挑んでいる気がしているこのシリーズも、ここへ来ていよいよ佳境に入ってきた感がある。このシリーズが数年後に到達する場所についての想像(というか妄想)が次から次に沸き起こる、何ともインスピレーションに満ちた一冊である。以上。(2020/03/03)

乾緑郎著『機巧のイヴ 帝都浪漫篇』新潮文庫、2020.02

東京生まれの作家・乾緑郎による「機巧のイヴ」シリーズの第3弾。元々は『Yom Yom』に掲載されていたもので、概ね長編の形式をとっている。カヴァのイラストは獅子猿、解説は大森望がそれぞれ担当している。
時はとうとう20世紀に入って1918年。舞台は一巡して日下國(くさかのくに)の帝都=天府(てんぷ)市。轟八十吉の養女になっている美しき機巧人形(オートマタ)=伊武(イヴ)は女学生として青春を謳歌していた。
マルグリット・フェルの娘=ナオミ・フェルは、学友の伊武を誘って人気画家=姫野青児が常宿としているホテルを訪れ、ある男と運命的な出会いを果たす。やがて、大地震が起こり、大混乱の中で時代の流れは戦争へと傾いていくが…、というお話。
前半は日下國、後半は満州をモデルとする如州(じょしゅう)が舞台となる。波乱万丈の展開、魅力的な登場人物たち、そしてまばゆいガジェット群、という、SF作品に必要不可欠な三要素が見事に結合した記念碑的傑作になっている。
もしかしたらこれで完結、なのかも知れないが、本格的な電気時代、そして情報化時代の物語が、いつか書かれるのではないか、と思っている。その日が早く来ることを願う。以上。(2020/03/09)

伊坂幸太郎著『AX アックス』角川文庫、2020.02(2017)

千葉県生まれの作家・伊坂幸太郎による、『グラスホッパー』、『マリアビートル』に続く「殺し屋」シリーズの第3弾。体裁としては割と長期にわたって書かれた連作短編集であり、単行本は2017年刊で本屋大賞ノミネート作となる。カヴァの写真は横山孝一、解説は杉江松恋がそれぞれ担当している。
超一流の腕前を持つ殺し屋「兜」の実体はまっとうなサラリーマンにして極度の恐妻家。そんな兜は、息子・克巳が誕生したころから、そろそろ物騒な稼業から足を洗いたいと思い始めていた。しかし、それには金が必要。背に腹は代えられない。
仕方なく仕事を続ける彼は、ある日のこと、仕事として爆弾魔を始末するが、その直後に意外な人物からの襲撃を受けてしまう。兜に果たして安息の日々は訪れるのか、否か、というお話。
さすがに、エンターテインメント作品としての出来映えは見事なもの。伊坂流とも言うべき伏線の張り方や回収、そしてまた何とも魅力的な人物造形など、読みどころ満載。これまでになく、血が通った感じの、そしてまた「家族」をメイン・テーマに掲げてきたところあたりが、新境地、とも言えると思う。誠に、目の離せない作家である。以上。(2020/03/16)

ジーン・ウルフ著 酒井昭伸訳『書架の探偵』ハヤカワ文庫、2020.02(2015→2017)

ニューヨーク生まれの作家ジーン・ウルフ(Gene Wolfe)による、最後の作品。原題はA Borrowed Man、即ち、『借りられた男』。邦訳は最初に「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」として2017年に出て、今回の文庫化となった。翻訳は定評ある酒井昭伸が担当。カヴァのデザインはM!DOR!、解説は若島正がそれぞれ行なっている。
ミステリ作家であったE.A.スミスのクローンとして生み出されたE.A.スミスは、図書館の書架を住処としていた。クローン・スミスには、オリジナル・スミスの知識が移植されている。
そんなクローン・スミスのもとに、コレットという名の女性が訪れる。父と兄と続けて失った彼女は、兄の死について、オリジナル・スミスが書いた小説が何かの役割を果たしたのではないか、と言う。果たして、その小説には何が書かれているのか?スミスは調査を開始するが、やがて…、というお話。
著者のジーン・ウルフは昨年(2019年)に87歳で死去。作家として非常に個性的かつ稀有な存在であると同時に、SF史、ファンタジィ史に残るような重要な作品を数々生み出してきた同著者の死は、誠に残念なのだが、80歳を超えてなおこのようなとんでもないものを書いていたことを考えると、その思いは更に深まる。心から、ご冥福を祈る。以上。(2020/03/26)

櫻田智也著『サーチライトと誘蛾灯』創元推理文庫、2020.04(2017)

北海道生まれの作家・櫻田智也による〈魞沢泉(えりさわ・せん)〉もの短編集の第1弾である。非常に寡作な作家である櫻田だが、本書収録の表題作「サーチライトと誘蛾灯」が2013年の第10回ミステリーズ新人賞を受賞し、2017年に他4篇を加えて単行本として刊行。この時書き下ろされた「火事と標本」が第71回日本推理作家協会賞の短編部門にノミネートされるなど、非常に高い評価を受けている。
夜間に公園の見回りをしているヴォランティアの吉森は、ある夜のことベタベタするカップル、カブトムシを採りに来たという青年、私立探偵の男を追い払う。翌朝、私立探偵の男が死体で発見されるが、死体には20メートルほど引きずられたあとがあった。一体何が。こうして、虫取り青年=魞沢泉による謎解きが始まる(「サーチライトと誘蛾灯」)。
他に4本を収録。全ての作品で魞沢泉が謎解き役に回っており、基本的に、昆虫の生態その他を話のどこかに組み込んだものになっている。どの作品も、アイディアが素晴らしい。この作家、今のところ発表する作品数を物凄く絞っているように思えるのだが、この密度や品質を体現するものを多作することは困難だろう。第2弾以降にも大いに期待したい。以上。(2020/05/20)

ニール・スティーヴンスン著 日暮雅通訳『七人のイヴ 上・下』ハヤカワ文庫、2020.05(2015→2018)

メリーランド州生まれの作家ニール・スティーヴンスン(Neal Stephenson)による、2015年発表のパニックSF超大作文庫版である。単行本は3分冊だったが、今回は上下2冊という装い。翻訳は日暮雅通、カヴァのイラストは梅野隆児、解説は牧眞司がそれぞれ担当している。
時は現代。それは突然の出来事だった。何らかの原因により、月が7つに分裂したのだ。様々な研究機関がその後に起こることを計算する。それによると、2年後に、地球上に大量の隕石が降り注いで大気が高熱化し、人類はおろか地表全ての生物が死滅する、という。人類その他の滅亡を防ぐべく、既存の国際宇宙ステーションを利用した箱舟計画が立案されるが、滅亡までの時間は余りにも少ない、のだった。
物語は3部に分かれていて、上記はほんのさわりである。まあ、長い長い、色々な意味でホントに長いお話。やや脱線すると、日本語版タイトルの意味は、途中で何のことか分かってしまうのだが、原題はSEVENEVESという結構凝ったもの。実際問題、このままで良かったんじゃないかと思うのだが…。
それは兎も角、本書はこの作家らしいエンジニアリング系SFの真骨頂、というべき作品で、その科学知識の豊富さには舌を巻く他はない。また、上記のように途中で気づいてしまうとは言え、第2部終わりで明確な形で現われる本書の中心アイディアはとても素晴らしい、と思う。
ただ、やや残念なのは第3部。これ、別に無くても良かった、と思う人が多いのではないだろうか。(A.C.クラーク辺りだったら、別の作品にしていただろう。)第2部までの作劇やディテイル構築が余りにも凄まじいために、第3部は何とも薄っぺらく感じてしまう。ちょっと愕然とした。第2部までと同じくらいの時間をかけて、分厚い物語を作って欲しかった、と思う。以上。(2020/05/26)