森博嗣著『ψ(プサイ)の悲劇  THE TRAGEDY OF ψ』講談社文庫、2021.06(2018)

工学博士である森博嗣によるGシリーズ後期3部作第2弾の文庫版である。ノベルス版は2018年に刊行。巻末の解説は今回も豪華に森と同じメフィスト賞作家の辻村深月が担当。カヴァのデザインは前作と同じく映像作家の樋口真嗣によるものである。
科学者である老人・八田洋久が失踪。数日後に発見された上着のポケットには、遺書ともとりうる手紙が残されていた。その1年後、八田博士の知人達が八田家に集まって「パーティ」を開催。実験室を覗くと、ノートには〈真賀田博士への返答〉というメモ、そしてコンピュータには『ψ(プサイ)の悲劇』と題された小説らしきテクストが残されていた。そんな発見もつかの間、八田家では悲劇が幕を開けるが…、というお話。
基本的に、前作に続き島田文子もの、になっている。多分次巻もそうなんだろうけど、もう、時系列とかどうなってるんだか(笑)。
一見破綻した小説にも思われるのだが、元本の『Yの悲劇』が本格ミステリ史上に燦然と輝く作品であることは当然意識しているはずで(正直オールタイムベストとすら思える。)、実のところこれを書くにあたっては綿密かつ周到なプランニングをしたのではないか、と考える。小節として閉じてない、とか、そもそもおこがましい、とか、色々言われているけれど、結論は急がず、まずは最終巻を待つことにしようではないか。以上。(2021/06/25)

三津田信三著『碆霊(はえだま)の如き祀るもの』講談社文庫、2021.06(2018)

三津田信三による刀城言耶シリーズの第7長編文庫版である。元本は原書房から2018年に刊行。このシリーズの他作品同様各種ランキングで上位に入っている。カヴァ装画は村田修、解説は大崎梢がそれぞれ担当している。
海に臨む強羅地方が舞台。ここにある村々では、古くから碆霊様と呼ばれる神霊を祀っていた。そんな強羅地方に伝わる四つの怪談をなぞるかのように起こった連続殺人事件。同地を訪れた刀城言耶とその一行は、殺人事件と並行して起こる村の騒動に巻き込まれていくが…、というお話。
民俗学の知識がこれでもかという位にギッシリ詰まった作品。毎度のことながら、引き出しの多さに驚かされる共に、それらを見事な形でミステリ小説に組み込む力量には圧倒される。安定したペースで刊行が続いている本シリーズ、次作以降も本当に楽しみである。以上。(2021/07/01)

篠田節子著『鏡の背面』集英社文庫、2021.06(2018)

篠田節子による大長編の文庫版である。元々は『小説すばる』に連載され、単行本は2018年刊。極めて高い評価を受け、吉川英治文学賞を受賞している。カヴァの写真はGetty Images、解説は内藤麻里子が担当している。
様々な理由で心的外傷を負った女性たちを受け入れている施設で火災が発生し、同施設の支柱的存在である小野尚子が死亡。先生と呼ばれ慕われた小野だったが、警察は発見された遺体は本人のものではない、という。では、一体誰なのか?施設の代表である中富優紀は、かつて小野の取材をしたことがあるライタの山崎知佳とともに真相を探り始めるが、やがて驚くべきことが明らかになっていき…、というお話。
尊敬してやまない著者の新たな代表作にして、空前絶後の傑作。少し距離をとっていた感のある宮部みゆきにテイスト的には近い、と思う。こんなことを良く思いついたというか、余り書かれてこなかったタイプの小説にも見える。何しろその真相たるや…。まさに空前絶後なのである。以上。(2021/07/10)

米澤穂信著『本と鍵の季節』講談社文庫、2021.06(2018)

岐阜県生まれの作家・米澤穂信(ほのぶ)による、2018年発表の短編集文庫版である。5本が『小説すばる』初出で、1本が単行本刊行時の書き下ろしとなる。カヴァのデザインは坂野公一、解説は朝宮運河がそれぞれ担当している。
堀川次郎は東京の高校2年生。図書委員である彼は、友人の松倉詩門(しもん)とともに、開かない金庫の開示(「913」)、何かが起きている美容院(「ロックオンロッカー」)、友人の兄のアリバイ証明(「金曜に彼は何をしたのか」)、先輩が死の前に読んでいた本の究明(「ない本」)、松川の秘められた過去(「昔話を聞かせておくれよ」)とその謎解き(「友よ知るなかれ」)、といった数々の案件に挑む。
日常の謎系ミステリ作品集、ではあるけれど、どの作品もビターなテイストを湛えているのはいつも通り。著者はデビュウ以来長らくこの趣向の作品(青春ものにして日常の謎もの)を書き続けているが、今回はビブリオ・ミステリの趣向が加わっていよいよ洗練の極み、といったところ。きっと続編も書かれると思うので楽しみにしたい。以上。(2021/07/20)

月村了衛著『悪の五輪』講談社文庫、2021.07(2019)

大阪府生まれの作家・月村了衛による、2019年発表の長編文庫版である。解説は柳下毅一郎が担当している。
1964年、東京五輪の記録映画を撮ることがほぼ決まっていた黒澤明が諸事情により降板。ヤクザである人見稀郎は錦田という中堅どころの監督を後任に据えることで興業界での地位を向上させることを目論み画策する。しかし、五輪組織委員会には政財界の大物たちが、莫大な利権を手にしようと魑魅魍魎のごとくうごめいていた。人見の計画は果たして実を結ぶのか、というお話。
丁度延期になった東京五輪をやっているタイミングで読んだのだが、まあ、今回はこんなことはないのだろう、などと思っている。ああ、でもそれなりにはあるんじゃないかな、などとも…。
それは兎も角、ご存知の通り、最終的には市川崑が監督し、色々な意味で大成功を収めた。そんな裏で起きていたことは、実際のところ何とも世知辛いものだったのだろうな、世の中そんなものだよな、という諦念と共に読了した。以上。(2021/07/30)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 天使の群れの導く処』角川ホラー文庫、2021.07

藤木稟による大ヒット作「バチカン奇跡調査官」シリーズの第22巻で、シリーズ中17作目の長編、となる。参考文献までで373頁と、圧巻のヴォリューム。カヴァのイラストは毎度おなじみのTHORES柴本が担当している。
エンジントラブルを起こしたアエロフロートの旅客機が、キルギスのマナス国際空港に不時着する。機長らは、天使達が空港に導いてくれた、と報告する。同じ頃、キルギスの首都ビシュケクにある教会では、巨大なキリスト像が動き、空港の方角を向いて止まる、という事態が発生していた。平賀・ロベルトの奇跡調査官コンビは現地に赴き、調査を開始するが、やがて驚愕の事実が…、というお話。
誠に充実した内容を持つ、雄編に仕上がっている。キルギスは旧ソ連なのでカソリックは基本的にマイナー。しかも、政治的にはかなりきな臭い地域にあたる。そんなところでの苦労話だとか、現地に伝わる伝承だとか、とんでもない展開だとか、本当に読み応えのある一冊。「マンネリ」などという言葉はこの著者の辞書には載っていないのだろう。いやはや恐るべし。以上。(2021/08/10)

有栖川有栖著『カナダ金貨の謎』講談社文庫、2021.08(2019)

本格ミステリ界を背負って立つ有栖川有栖による、「国名」シリーズの第10弾となる短中篇集である。初出は『メフィスト』などで、計5本。ノベルス版が2019年に出て、この度文庫化となった。カヴァのイラストは藤田新策、解説は越前敏弥がそれぞれ手掛けている。
中篇は、引退した元船長の死を巡る謎を描く「船長が死んだ夜」、殺人現場から消えたカナダ金貨の謎を描く倒叙ものの「カナダ金貨の謎」、トロッコ問題を敷衍した「トロッコの行方」の計3本。短編は漱石の「猫」がキーになる「エア・キャット」、若き日の火村・アリスの出会いを描く「あるトリックの蹉跌」の計2本。
巻数では、本家であるエラリー・クイーンを超えてしまったことになる。加えて、作品の質も十分に高いのは誰しもが認めるところだろう。誠に読み応えのある、脂の乗り切った作家による、充実した内容の作品集、である。以上。(2021/08/31)