誉田哲也著『ノーマンズランド』光文社文庫、2020.11(2017)

東京都生まれの作家・誉田哲也による、「姫川玲子」もの長編。シリーズ内では、9冊目にあたる(厳密に言うと8冊目らしい。解説参照。)。単行本は2017年刊。カヴァのデザインは泉沢光雄、解説は村上貴史がそれぞれ担当している。
葛飾区のマンションで女子大生が殺される、という事件が発生。姫川玲子班などが特捜本部に入って捜査を開始するが、容疑者と思われる男は既に別件で逮捕されていた。しかし、そちらの事件は何かがおかしい。情報は遮断され、何故か知能犯部隊が扱っている模様。不審に思った玲子は、独断専行で背後関係を調べ始めるが、やがて驚くべき事実が明らかになっていく…、というお話。
再出発、という感じで過去作品にも登場していた人物がわらわらと再集結していたり、新キャラクタの武見諒太がかなり面白い人物だったりなどといったように、毎度のことながら実にサーヴィス精神に満ちた作品。テンポも良いし、過去と現在を繋げる縦横無尽な書きっぷりはやはり凄い。さすがに名うてのストーリィ・テラーだと思う。読み始めたら止まらない、という感じで、あっという間に読了した次第。
さて、そんな作品ではあるのだが、幾つか気になったことがあるのでここで書いておくと、まずは回収されない伏線というか、ほぼメインの、あるいはメインに近いプロットが幾つかあること。多くの読者が、「あれってどうなったの?」と思うのではないか。意図的なのか、多忙過ぎて気が付かなかったのか、どちらなのだろう。
もう一つ。誉田さんのとっている政治的なスタンスは分かるし、概ね同意するのだが、ちょっと書き方が具体的になり過ぎているかな、という印象を持った。これはエンターテインメント作品だと思うので、もう少し肩ひじ張らない感じで行けないだろうか。最早価値観の押し付けどころではなくなっている気がする。以上。(2020/12/02)

乾くるみ著『カラット探偵事務所の事件簿3』角川文庫、2020.11

静岡県出身の作家・乾くるみによる「カラット探偵事務所」もの第3弾。元々は『文蔵』2019年3月号から20年10月号に「Season3」となる6本が連載され、これに書下ろしとなる「警告を受けたリーダー」を加えて文庫オリジナルでの登場となった。カヴァのイラストは上条衿、解説は末國善己が担当している。
知らないうちに、第2弾からは8年が経過。とは言え各々の作品では2006年から2007年にかけて探偵事務所が関わった事件を扱っている。全く心当たりがないのに毎月お墓に花を供えていく謎の人物の正体とは?(「秘密は墓場まで」)、遊園地に集客になるような謎解きの企画を考えて欲しいという依頼に所長・古谷はどう応えるか?(「遊園地に謎解きを」)、などなど、日常に潜む謎を巡る本格ミステリ短編計7本を収録。
いつものことながら、アイディアが素晴らしい。個人的には、「次女の名前」が好きなのだが、これなどは典型的に、どうやったら思いつけるのか全く分からない作品。ひょっとすると、普段からパズルとかなぞなぞとかそういったものを自分で考案しまくっているのではないか、などと想像する。まさか、それを仕事にしているとか?
さて、何となく、だけれど、これで一応完結、な感じは漂う。あるいは「Season」は日本では4つだからもう1冊?それはそれとして、まだきちんとは書かれていない大事なことがある。是非、それを小出しではなく長編で出していただきたい、と切に願う。以上。(2020/12/12)

歌野晶午著『誘拐リフレイン 舞田ひとみの推理ノート』角川文庫、2020.11(2012)

千葉県生まれの作家・歌野晶午による、舞田ひとみものミステリ第3弾(で良いのか?)。今回は長編、というか大長編。元々2012年に『コモリと子守』というタイトルで光文社で出ていたものだが、何があったのかは知らないが8年という歳月を経て、多分大幅な加筆の上、角川文庫での刊行となったカヴァのイラストはたえが担当している。
コモリ、つまりは引きこもりの少年・馬場由宇(ゆう)は、窓から見える大久保家で幼児虐待が行なわれているのではないか、と疑いを持つ。その2歳児=真珠(ぱーる)が夏の暑い日にパチンコ屋の駐車場にとめた車に置き去りにされているのを見つけた由宇は、やむを得ず真珠を自宅に連れて帰ってしまう。
子供の扱い方など全く分からない由宇は、ちょっとした知り合いの子守、つまりは子供の世話で忙しい女子高校生・舞田ひとみに相談。しかし、ちょっと目を離した隙に、真珠はどこかに消えてしまう。一体何が?しかし、実にそれは、驚嘆すべき事件の単なる発端に過ぎなかった…、というお話。
ライトな感じのタイトルとは裏腹に、かなりヘヴィな事件を扱っていた舞田ひとみものだけれど、今回も相当ヘヴィ(殆ど誉田哲也。)。ミステリ作品としても、非常に良く出来ている。ただ、個人的には、「かなり長めのエピローグ」は不要、と思ったのだが、いかがだろうか。とても良く出来た長編ミステリに、別の話、しかもミステリではない話が割り込んでいる印象が強い。
ちなみに、帯にはこのシリーズは「角川文庫で始動」(というか再始動では?あるいはこれが新シリーズ第1弾?)、と書かれている。第4弾なのか第2弾なのかが間もなく出ると思うが、そちらも非常に楽しみである。以上。(2020/12/15)

貴志祐介著『ミステリークロック』角川文庫、2020.11(2017)

大阪府生まれの作家・貴志祐介が2017年に発表した防犯探偵・榎本シリーズ第4弾の単行本『ミステリークロック』収録作のうちの2本を収録した作品集。残りの2本は下の『コロッサスの鉤爪』に収められている。カヴァのイラストは鈴木康士、解説は千街晶之がそれぞれ担当している。
1本目。六つの鍵でロックされた密室状態の暴力団事務所で拳銃自殺事件が発生、防犯探偵である榎本径は鍵開けの依頼を受けるが…(「ゆるやかな自殺」)。2本目。山荘で催される晩餐会に参加した榎本と弁護士の青砥純子は、高級時計と女主人殺しを巡る奇妙な推理ゲームに参加することになるが…(「ミステリークロック」)。
大好きなシリーズ、である。防犯探偵という発想が素晴らしすぎる。鍵やら、錠やら、時計やらの知識が増すこと請け合い。トリックはある意味特許みたいなものだが、この作家、一体いくつ所有しているのやら。今のところ尽きることのなさそうなアイディア創出力には脱帽せざるを得ない。以上。(2020/12/17)

貴志祐介著『コロッサスの鉤爪』角川文庫、2020.11(2017)

大阪府生まれの作家・貴志祐介が2017年に発表した防犯探偵・榎本シリーズ第4弾の単行本『ミステリークロック』収録作のうちの2本を収録した作品集。残りの2本は上の『ミステリークロック』に収められている。カヴァのイラストは鈴木康士、解説は杉江松恋がそれぞれ担当している。
1本目。深夜、ある美術館に侵入した榎本径は、そこで館長の他殺死体を発見する。そもそも、美術館への侵入自体が死んだ館長の依頼によるもので…(「鏡の国の殺人」)。2本目。元ダイバーである布袋悠一は突如海から現われた何かに襲われて無残な死を遂げる。現場は、ソナーによって監視されており、誰も近づいていないはずだったが…(「コロッサスの鉤爪」)。
こちらも素晴らしい。特に表題作は、上の文章でも概ね分かると思うけれど、読者の意表を突く大がかりな密室トリック、になっている。舞台は何しろ海。しかも船とかではなく、海そのもの。これを防犯探偵がどう解決するのか、というところが読みどころ。是非ともご堪能いただきたい。以上。(2020/12/18)

宮内悠介著『あとは野となれ大和撫子』角川文庫、2020.11(2017)

今日最も注目すべき作家・宮内悠介による長編。第49回星雲賞を受賞し、第157回直木賞の候補にもなった作品である。どう考えてもSFではないと思うのだが、それはともかく、「これで直木賞とれなかったら一体どうやってとるんだ?」位な、とんでもない傑作。カヴァのイラストはmieze、解説は辻村深月が担当している。
時は現代。中央アジアの架空新興国アラルスタンが物語の舞台。イスラム国である同国には、後宮と呼ばれる、未来のアラルスタンを担うべき女子たちを育てる、特別な研修機関があった。
紛争で両親を失い、後宮に引き取られた日本人少女ナツキは、共に学ぶ仲間たちと共に充実した日々を送っていたが、大統領が暗殺され、状況は一変する。逃亡した議員たちに代わって、ナツキら後宮の少女たちは自分たちで国家を運営することを決意。暗殺を機に国内外の政情が一気に不安定になる中、彼女らの行く手には一体何が待ち受けているのか、というお話。
恐らくは、「そもそも読んでもらわないことにはどうしようもない」、という自覚の上に立って、これまでのやや晦渋だった作風からは一歩引き、まずは「面白い」読物にすることに全力を注ぎつつ、その上で、「ためになり」、そしてまた「考えさせられる」、という三拍子を揃えるところまでを達成した作品、だと思う。
私見では、これこそがエンターテインメント。一皮も二皮も剥けたように思う、新たな宮内悠介を、是非体験して欲しい。以上。(2020/12/20)

麻耶雄嵩著『友達以上探偵未満』角川文庫、2020.11(2018)

三重県出身の作家・麻耶雄嵩(まや・ゆたか)によるミステリ中編3本からなる作品集。元本は2018年刊。カヴァのイラストは問七、解説は本格ミステリの巨匠・有栖川有栖が担当している。
2014年にNHKで放送された『謎解きLIVE』という番組のために書かれた「忍びの里殺人事件」を原型とする、「伊賀の里殺人事件」が冒頭に置かれる。これは作者の出身地でもある上野市(現・伊賀市)を舞台とする、芭蕉や忍者をモティーフとして扱った作品、ということになる。
そして、単行本刊行時に付け加えられた2本は、上記「伊賀の里殺人事件」で探偵役をしていた伊賀ももと上野あおのコンビが遭遇する別の事件を扱った、「夢うつつ殺人事件」、「夏の合宿殺人事件」となる。
基本的に全て「犯人当て」の趣向となっていて、所謂「読者への挑戦状」付き。麻耶雄嵩と言えば、かなり大胆にミステリにおける既成のルールみたいなものからの逸脱、あるいは乗り越えを指向してきた作家だと思うのだが(勿論例外はある。)、この作品集などはかなり「普通」の本格ミステリになっていると思う。
そうなのだけれど、そこはさすがにこの作家。犯人当ても面白いのだけれど、それだけではないところに、この作品集が魅力的この上ない理由があるのだと思う。まことに、何とも愛すべき作品である。以上。(2020/12/26)

月村了衛著『機龍警察 暗黒市場 上・下』ハヤカワ文庫、2020.12(2012)

月村了衛による人気シリーズ第3弾の文庫版である。実に、第34回吉川英治文学新人賞受賞作、となる。第2弾『自爆条項』に続き、上下2分冊での刊行。何と、文庫化に8年を要している。第4弾『未亡旅団』、第5弾『狼眼殺手』が次々に文庫化されることは、多分ないだろう。それは兎も角、カヴァのデザインはk2、解説は宇田川拓也がそれぞれ担当している。
機龍兵搭乗員の一人であるユーリ・オズノフは、警視庁との契約を解除され、ロシアン・マフィアとの関係を強めていく。実は、ロシアン・マフィアのボスであるアルセーニー・ゾロトフとユーリは、幼馴染という関係だったのだ。
そんな中、機龍兵と性能的に同等とも言われる新型機がロシアン・マフィアが関わる密輸マーケットに存在する、という噂が流れ、警視庁特捜部は捜査及びその壊滅を目指す作戦を開始するが、やがて…、というお話。
大変な傑作。アイルランド紛争をモティーフとした第2弾も素晴らしかったが、本書はそれを凌ぐ。ロシアの闇をつぶさに描きつつ、元刑事である男の生きざまを硬質かつスピーディな文体で活写している。誠に見事。ラスト近くは身震いするほどだった。この興奮を、是非味わって頂きたいと思う。以上。(2021/01/10)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 三つの謎のフーガ』角川ホラー文庫、2020.12

藤木稟による大ヒット作「バチカン奇跡調査官」シリーズの第21巻にして5本目の短編集、となる。『カクヨム』掲載の2本と、書下ろし1本を収録。カヴァのイラストは毎度おなじみのTHORES柴本が担当している。
著名な政治家がインタビュウ中に射殺されるという事件が発生。銃声も無く、着ていた上着にも貫通痕が無いという謎の死に、フィオナとアメディオのコンビが挑む(「透明人間殺人事件」)。
シン博士の親族が遺した奇妙な暗号。遺言によると、期限内に解読できなければ遺産は渡さない、という。文献解読の天才であるロベルトはこの暗号を解くべくインドに向かうが(「ダジャ・ナヤーラの遺言」)。
イタリアの小さな村で起こった蜘蛛男騒動。人間とは思われない壁登りなどの目撃情報と、ごみ処理場建設に反対するかのような看板への落書き。そんな不可思議な事態を調査すべく、ロベルトと平賀は現地に赴くが(「スパイダーマンの謎」)。
3本、とは言え、新ネタ、と言って良いだろうアイディアが惜しげもなくつぎ込まれた、非常に質の高い短編集になっている、と思う。個人的には、いつもながらではあるのだけれど、料理についての記述が非常に楽しかった。自分でピッツァを捏(こ)ねてみたくなる、そんな作品集である。以上。(2021/01/17)

奥泉光著『雪の階(きざはし) 上・下』中公文庫、2020.12(2018)

山形県生まれの作家・奥泉光による大長編の文庫版である。初出は『中央公論』。2018年に単行本化され、第31回柴田錬三郎賞、第72回毎日出版文化賞を受賞。各ミステリランキングでも上位に挙げられるなど非常に高い評価を受けた作品となる。カヴァのイラストはミヤマケイ、解説は加藤陽子がそれぞれ担当している。
時は二・二六事件前夜の昭和10年。家族の娘である笹宮惟佐子の親友である宇田川寿子が、富士の樹海で陸軍士官の久慈中尉と共に遺体で発見される、という事件が起こる。心中、という報道も出たが死と前後して寿子は仙台から惟佐子宛てに手紙を書いていた。なぜ仙台?不審を感じた惟佐子は、寿子の足取りをたどり始めるが…、というお話。
昭和の混乱期を丁寧な筆致で描いた、そしてまた三島由紀夫の文体模倣が余りにも素晴らしい、何とも絢爛たる傑作。三島の模倣なんて、とんでもない量の知識と至高レヴェルの文章力が必要なのは自明なのだけれど、まさかそれに挑むとは…。奥泉光恐るべし。
この時期を書いている以上、この作家がずっと書き続けているオカルトネタとかその辺がふんだんに扱われるのは当然になる。その辺の洗練ぶりも、いよいよ極まった、といったところ。二度読み、三度読み、あるいはそれ以上でも楽しめそうな、近年まれとも言い得るような快作である。以上。(2021/01/25)

ピエール・ルメートル著 橘明美訳『監禁面接』文春文庫、2021.01(2010→2018)

「カミーユ警部」シリーズなどで知られるフランスの作家ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)が、2010年に発表した長編。原題はCadres Noirs。邦訳単行本は2018年刊。Netflixでドラマが配信されている模様。カヴァのデザインは石崎健太郎が、解説は諸田玲子がそれぞれ担当している。
57歳のアランは失業4年目。アルバイトで何とか暮らしている彼はある日のこと、とある一流企業の最終試験に残った、という知らせを貰う。しかし、その試験とは、「このために雇った偽テロリストに重役会議を襲撃させ、重役たちを監禁するので、尋問せよ。」というとんでもない内容だった。アランは果たして、この試験にどう対処するのか、あるいは…、というお話。
「そりゃドラマ化されるわけだ。」、と思う、誠に波乱万丈で、先読み不能かつまた隅々まで計算された物語。リーマン・ショックを念頭に書かれているのだと思うけれど、このタイミングでの文庫化は非常に重い意味を持つのかも知れない。エンタテインメント作品として優れていると同時に、現代社会への非常に深い洞察を含んだ、傑作である。以上。(2021/02/03)

道尾秀介著『風神の手』朝日文庫、2021.01(2018)

東京都生まれの作家・道尾秀介による長編の文庫版である。一部が2014年から2015年にかけて朝日新聞に連載され、その後雑誌に掲載された互いに関連する3篇の作品と合わせて2018年に単行本刊。カヴァの装幀はbookwallが、解説は千街晶之がそれぞれ担当している。
西取川の北側に位置する上上町(かみあげちょう)にある、遺影専門の写真館である鏡影館を訪れた、余命いくばくもない母と、その娘。そこで母は、意外な人物の遺影を目にする。それはかつて、自分が高校生だった時に知り合った若い漁師の父親だった。母は娘に、懐かしさと後悔が同居する昔語りを始めるのだった(第1話「心中花」)。
そして物語は、「口笛鳥」、「無常風」、「待宵月」と続く。時間は過去と現在を行ったり来たりし、ある出来事は語られるたびにその様相を一変させていく。まさに道尾マジック。
背表紙や解説にある通りこの作家の集大成と言える作品だと思う。動植物や自然現象の卓抜した使い方、いつもながらの目くるめく展開、子供の視点で書かれたパートの見事さなどなど、読みごたえは十分。いずれ代表作の一つと目されることになるであろう傑作、と述べておきたい。以上。(2021/02/12)

円城塔著『文字渦』新潮文庫、2021.02(2018)

北海道生まれの作家・円城塔(えんじょう・とう)による連作短編集の文庫版である。元々は『新潮』に連載。2018年に単行本化。川端康成文学賞と日本SF大賞という、何となく別ジャンルに見える二つの賞を受賞している。解説は木原善彦が担当している。
要約不可能な作品なので無駄な作業はやめておくが、タイトルからちょっとだけ読み取れるように本書では「文字」というものがほぼ主人公となってその記述が進んでいく。「物語」、とかそんな風には呼べない。それらしきものもあるにはあるのだが…。書かれていることは中国の歴史や文化、宗教から分子生物学、はたまた情報工学までと誠に縦横無尽。そんな書物、である。
まあ、端的に言って「難解」、である。ちょっと腰を据えて、どころではなく、山にこもらないと理解できないかも知れない。いや、それでも無理かもしれない…。色々な意味で、文学的営み、というか言語そのものの限界にさえ挑戦している感じの、途方もなく野心的な作品、と言っておきたい。以上。(2021/02/25)