佐藤賢一著『ナポレオン 3 転落篇』集英社文庫、2022.08(2019)

佐藤賢一による、ナポレオンを主人公とする大長編の3巻目。この巻の解説は松嶌明夫が担当している。
1804年、遂にフランス皇帝となったナポレオン。オーストリア皇女と再婚し、後継ぎも得た彼だったが、栄光は長くは続かない。チャイコフスキーによる著名な楽曲のタイトルにもなっている1812年、ロシア遠征が大失敗に終わったことで、ナポレオンの人生行路は凋落へと向かい始める。ワーテルローの戦い、そしてセント・ヘレナへの幽閉と孤独な死。人類史上最後の「英雄」が送った波乱万丈の生涯は、こうして幕を閉じる。
2巻のところでも書いたのだが、本当に、ちょっとした行き違いや手違いの積み重ねで、全てが瓦解していったのだな、と改めて思う。何かが少し違っていたら、全く別の歴史になっていたのかも知れない。そんなことを考えながら、読了した。以上。(2022/09/09)

米澤穂信著『Iの悲劇』文春文庫、2022.09(2019)

岐阜県生まれの直木賞作家・米澤穂信による連作ミステリ文庫版である。短編が7本入っているが、初出は『オール推理』が1本、『オール讀物』が3本、単行本刊行時の書下ろしが3本とバラバラで、2010年から2019年まで、というかなり長い期間にわたって書かれたものになっている。解説は篠田節子が担当している。
人が住まなくなって6年。そんな典型的限界集落の一つである蓑石の再生プロジェクトが開始。市役所職員の万願寺邦和は「甦り課」と名付けられた部署で、移住者たちの支援を担当することに。新人の観山遊香も、課長の西野秀嗣もまるでやる気を見せない中、度重なるトラブルにより移住者は次々に蓑石を去っていく…、というお話。
タイトルが『Iの悲劇』で、冒頭部に「そして誰もいなくなった。」なんて書かれているのだが、そういうミステリではない。結構、ホントに起こってそうな話ばかりで、非常に面白かった。
どのへんで連作にしようと思ったのかは分からないのだけれど、これが非常に素晴らしい趣向で、ニヤリとさせられた。この作家の特徴とも言える、後味の悪さは保証できる。以上。(2022/09/25)

阿津川辰海著『透明人間は密室に潜む』光文社文庫、2022.09(2020)

東京都生まれの作家・阿津川辰海による、4篇からなる短編集文庫版である。初出は全て『ジャーロ』で、2020年に単行本として刊行。カヴァのイラストは青依青、解説は千街晶之がそれぞれ担当している。
表題作「透明人間は密室に潜む」では透明人間による犯罪計画とその顛末が、「六人の熱狂する日本人」では女性アイドルが起こした事件の裁判員による裁判が、「盗聴された殺人」では耳が良すぎる女性探偵の活躍が、「第13号船室からの脱出」ではミステリ・イヴェントの中で起きた拉致監禁事件の一部始終が、それぞれ描かれる。
2020年の主なミステリ・ランキングで上位入りを果たした傑作。この若き俊才、語り口やらそもそもの舞台設定やらが本当に巧み。割と本歌取り的な趣向も入っているので、その辺も楽しめると思う。
私見では、今日のミステリ界について語る場合、最早この作家を無視することはできないと考えている。それが端的に分かるはずの、創意あふれる見事な作品集である。以上。(2022/10/05)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 秘密の花園』角川ホラー文庫、2022.09

大阪府出身の作家・藤木稟(りん)による、「バチカン奇跡調査官」シリーズ23弾である。前作から1年ちょっとを経ての刊行。今回は短編集で、『カクヨム』連載の2本と、書下ろし1本が収録されている。カヴァのイラストはいつものようにTHORES柴本が担当している。
悪名高い現役の保健大臣が惨殺体で発見される。アメデオ大佐らが捜査に入るが、獄中にいた殺人鬼が犯行を自供する。獄中からは出ておらず、完璧なアリバイを持つことになるが、一体どうやって?(「生霊殺人事件」)。
ルジェッリの秘書エレーンは、ジュリアの身辺を洗って弱みを握れ、との使命を与えられ、フランスへと赴く。運よくジュリアに近づいたエレーンは、執事見習いの男アダンから情報を得ようとするが…(「エレイン・シーモアの秘密の花園」)。
その他、平賀とロベルトが猫捜しに奔走する「迷い猫」を収録する。本格ミステリあり、ややコミカルなサスペンスありの1冊。作品の質は、いつものように非常に高い。コンパクトながら、様々な蘊蓄と謎がぎっしり詰まった、極めて充実した短編集になっている。以上。(2022/10/08)

宮内悠介著『遠い他国でひょんと死ぬるや』祥伝社文庫、2022.09(2019)

東京都生まれの作家・宮内悠介によるサスペンス長編の文庫版である。元々は『小説NON』に掲載され、2019年に単行本刊。第70回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞したことからも分かるように、各方面からの評価はかなり高い。カヴァのデザインは芦澤泰偉が、解説は末國善己がそれぞれ担当している。
ルソン島で戦死した三重県出身の詩人・竹内浩三が遺したという幻のノートを求めて、TVディレクタの職を辞した須藤は単身現地へと赴く。謎の西洋系男女2名に襲われた須藤は、山岳民族の娘ナイマに救われる。反日意識の強い彼女は、須藤をミンダナオ島独立運動家ハサンの家へと連れていくのだが、そこにはどういう事情か日本人3人が軟禁されていた。須藤、そしてナイマやハサン達の運命はいかに、というお話。
何かで歌ったことがあったので竹内浩三は良く知っていたのだが、そこからこんな壮大な物語が紡がれるとは。末國氏も述べている通り、結構コミックやアニメーションから色々なものを持ってきているのだけれど、そのリミックス的な手法が本当に見事、である。極上のエンターテインメントにして、歴史や民族問題についての深い洞察に満ちた、傑作である。以上。(2022/10/10)

我孫子武丸著『監禁探偵』実業之日本社文庫、2022.10(2019)

兵庫県生まれの作家・我孫子武丸による連作長編ミステリ作品文庫版である。元々は『漫画サンデー』に連載されていたコミックの原作として書かれたものだったのだが、これがその後『Webジェイ・ノベル』に小説版として連載され、2019年に単行本としてまとめられる、という流れになる。巻末には、単行本刊行時のおまけ的な短編が収録されている。
山根亮太はいつも覗いていた向かいに住む女性の部屋に下着を盗みに入り込み、同女性の他殺死体を発見する。しかし、亮太は警察に通報できない。自宅にはアカネと名乗る少女を監禁しており、下手をするとそれがばれるからだ。善後策に悩む亮太に、ベッドに手錠で繋がれたアカネは助言をし始めるのだったが…、というお話。
と書くと、かなり無茶苦茶な話に見えるかも知れないのだが、そこはこの作者。読む者は、どんでん返しに続くどんでん返しに圧倒されるだろう。アカネの造形が、その主人公二人と被るという意味で『羊たちの沈黙』へのオマージュとしても読める怪作にして快作である。以上。(2022/10/20)

阿部智里著『楽園の烏』文春文庫、2022.10(2020)

阿部智里による、「八咫烏(やたがらす)」シリーズの第7冊目にして、新章突入篇となる長編。単行本は2020年刊。カヴァの装画は名司生、解説は瀧井朝世がそれぞれ担当している。
しがないたばこ屋店主である安原はじめは、7年前に失踪した父から「山」を相続。これを機に、彼の人生は一転する。次々にやってくる買取希望者達を振り払う日々を送る中、やがて安原は「幽霊」と名乗る女に連れられ、「山」へと踏み込むことになるのだが、そこには…、というお話。
この作者の作品なので、アッと驚く展開には最早慣れたところもあって余り驚かないかも、と思っていてもやはり驚く。誠にこのシリーズに込められている作者のサーヴィス精神には毎度毎度圧倒される。
おなじみの人物が多々登場するのだが、結構肝心要のところがぼかされていて、第一部とどうつながっているのかがまだ良く分からない。きっとそういうことが明らかにされていくのだろう次巻以降が、本当に気になる。こういう趣向も本当に素晴らしい。以上。(2022/10/25)

西尾維新著『悲鳴伝』講談社文庫、2022.10(2012)

西尾維新による〈伝説シリーズ〉第1弾の文庫版である。オリジナルは2012年に講談社ノベルス版として刊行。なので、丁度10年。最終的には10巻からなるシリーズで、2018年に完結している。同じく10冊出るはずの文庫版で、何か仕掛けてくるのかな、と今から期待してしまうがどうだろう。デビュウ20年だし。カヴァのイラストはMONによる。
「大いなる悲鳴」という謎の現象により地球人類の三分の一が死滅。生き残りの一人である中学生にして野球少年である空々空(そらから・くう)は、ある日近づいてきた剣道少女からある命令を受ける。「地球撲滅軍」に加わり、人類の敵である地球と戦うことに協力せよ、と。こうして、「感情がない」という特殊体質を持つ空々の運命は、大きく動き始めるのだった。
ノベルス版が500頁超えだったので700頁超えはまあ当然。とは言え、リーダビリティが極めて高いこともあり、全く長さは感じさせない。ジョジョ好きを公言する著者による、色々な意味で影響大な超人バトル大作、遂に再開幕、といったところ。次巻に続く。以上。(2022/10/28)

誉田哲也著『蜘蛛の背中』双葉文庫、2022.10(2019)

東京都出身の作家・誉田哲也による2019年発表の長編警察小説文庫版である。第162回直木賞候補作、ということからも分かる通り、高い評価を受けた作品。カヴァのデザインはbookwallが、解説は瀬木広哉が担当している。
池袋での刺殺事件を捜査中の池袋署刑事課長・本宮夏生は、防犯カメラから割り出された黒いスーツの男を追うが、捜査一課長からは別の人物を調査せよとの密命が下る。本宮は不信感と罪悪感を抱く。
半年後、新木場のイヴェント施設で爆殺事件が発生し、容疑者も絞られるが、この事件でけがを負った組織犯罪対策部の植木範和はその捜査経緯に違和感を持つ。
並行して、捜査一課の管理官に異動となった本宮もまた、新木場の事件とその捜査の在り方には違和感を覚え始めるのだったが、事件の背後には驚くべき事実が…、というお話。
エンターテインメントに徹することで高い評価を得てきた誉田哲也が、やや社会派路線に舵を切った画期的な作品となる。この人の書くものは本当に面白くて、多分今の日本で一番面白いものを書ける一人なのだが、そんな作家が情報化社会の深い闇に物凄く踏み込んだ話を書いてしまった。何とチャレンジングな。これはある意味、事件とも言える。
そんな風に、いつものように物凄く面白い、と同時に、今回は深く考えさせられる、という、誠に見事と言う他はない作品になっているのだが、直木賞受賞に至らなかったのは、一体なぜなのだろうか。強いて言えば、カタルシスや「救い」がない、とかその辺り?わざと排していると思うのだが…。
一応技術者なので言うと、確かに、一人でここまでできるか、というのはちょっとある。そこまで警察のシステムは脆弱かな、と。でも、過渡期という設定だと思うので、そこまで大きな問題ではないはず。
私見ではこれは、警察小説史上に燦然と輝く偉大な作品なのであり、圧倒的に支持させていただきたいと思う。この作品の真価が、理解される日がいつか来ることを願う。なお、もしかしたら、続編もありうるのかな、と思っている。
最後になるが、登場人物の一人が、子どもに携帯電話を持たせない理由として独白する、「自分が警察官だから。」というのには思わず吹いた。本書のテーマが凝縮され、かつまた時代を活写する名言である。以上。(2022/10/30)

伊坂幸太郎著『シーソーモンスター』中公文庫、2022.10(2019)

千葉県生まれの作家・伊坂幸太郎による2本の中編からなる作品集の文庫版である。本作品は、8作家が共作するという〈螺旋〉プロジェクトの1冊、になっている。カヴァのイラストはRob Browningが担当、巻末には文庫オリジナルである「あとがきにかえて」が収録されている。
時はバブル期。北山家では、実は元情報員という過去を持つ嫁・宮子が、姑であるセツと戦いを繰り広げていた(「シーソーモンスター」)。時代は進んで近未来。アナログに回帰した世界で配達員をする水戸直正は、暴走した人工知能を巡って、少年時からの宿敵である檜山景虎に追われることになる(「スピンモンスター」)。
これでは殆ど内容は分からないと思うのだが、要するに、山族と海族という対立するグループがあって、これが世界の歴史の中でどんな意味を持っていて、というような話が基調としてある。上の登場人物たちもどっちかの陣営に属している寸法。なのだけれど、これは普通に伊坂幸太郎の作品なので、そういった大きな話は措いておいて、構えずに読めば良いと思う。いつものように普通に面白いので。以上。(2022/11/05)

法月綸太郎著『法月綸太郎の消息』講談社文庫、2022.10(2019)

島根県出身の作家・法月綸太郎による、法月綸太郎もの短編集文庫版である。2017年以降に書かれたものが集められていて、初出は『メフィスト』など。2019年に単行本として刊行された。カヴァの装画はyoco、解説は琳がそれぞれ担当している。
計4作。「白面のたてがみ」ではコナン・ドイルとG.K.チェスタトンを巡る謎に、「あべこべの遺書」では二つの死体発見現場で見つかった遺書が相互に入れ替わっていたという奇妙な出来事に、「殺さぬ先の自首」では殺人が起こる前に犯人が自首、というおかしな事態に、「カーテンコール」ではアガサ・クリスティーが生み出したエルキュール・ポアロ最後の事件に仕組まれた企てに、名探偵・法月綸太郎が挑む。
大御所ドイル、クリスティー論とも言える内容の2作に、コンパクトながら絶妙な論理構成が楽しめる2作が挟まれたものになっている。いやはや見事なバランス。かれこれシリーズ開始から30年以上経っているのだけれど、ここらでデカいのが読みたい、と思うのは私だけではないだろう。期待したい。以上。(2022/11/10)

瀬名秀明著『ポロック生命体』新潮文庫、2022.11(2020)

静岡県生まれの作家・瀬名秀明による、2020年発表の短編集文庫版である。4篇からなるが、初出は『ランティエ』、『SFマガジン』などバラバラ。とは言え、基本的にAIがテーマのSFで統一されている。解説はドミニク・チェンが担当している。
「負ける」ではAI将棋対局で良い負け方を表現するロボット・アームの開発を任された技術者の葛藤が、「144C」ではAIが小説を書くようになった時代における出版業界での小さなエピソードが、「きみに読む物語」では共感能力などが数値化されたことで到来する殺伐とした未来が、「ポロック生命体」では著名な画家の新作を生み出せるというAIを巡って起こる悲喜劇が、それぞれ描かれる。
もう、本当に色々なことができるようになってきたこの時代。個人的には「今のところどこまでできて、どこからできないのか」、といったあたりに興味があるのだが、それは措く。本書において著者は、基本的に、もう少しでできそうなあたりを狙いつつ、そこにかなり深い思考を巡らしている。知らないこともたくさん書かれていて非常に参考になったと同時に、これが大事なのだが小説として大いに楽しめた。
ちなみに、J.ポロックの生涯について、全く知らなかった、というか興味さえ感じていなかったことに今さらながら驚いた次第。かなり重要な人物なのに…。実は、ここが一番勉強になった。以上。(2022/11/15)

中村文則著『逃亡者』幻冬舎文庫、2022.11(2020)

愛知県生まれの作家・中村文則による大長編の文庫版である。カヴァのイラストは宮島亜希が担当している。解説は特になく、代わりに文庫版オリジナルの本人あとがきが付されている。
とある事件で恋人を失ったジャーナリストの山峰は、”悪魔の楽器”とも言われる伝説のトランペットを携え、逃亡生活を続けていた。どうやらこの楽器は、第二次世界大戦中のある作戦で奇跡を起こしたのだといい、そのことから、これを狙って、様々な勢力が山峰に接近してくるのだったが…、というお話。
帯にある通りで、これはこの作家の現時点での到達点、ということになるはず。個人的には最高傑作だと思う。これまでの作品にみられたような、ややエンターテインメント系に寄ったサーヴィスはほぼ皆無で、この理不尽極まりない世界のありよう、それに対する静かな怒りを、透徹した文体で丁寧に綴っている。誠に見事な作品という他はない。以上。(2022/11/22)

貴志祐介著『罪人の選択』文春文庫、2022.11(2020)

大阪府生まれの作家・貴志祐介による4本からなる作品集文庫版である。初出は『別冊文藝春秋』など。初出年は、1987年から2017までと幅広い。ちなみに、1987年のもの(「夜の記憶」)は本格的なデビュウからかなり前の作品になる。カヴァのデザインは征矢武が、解説は山田宗樹がそれぞれ担当している。
「夜の記憶」は、見知らぬ世界、しかも海の中で目覚めた主人公の探索パートと、この地球上の海辺らしいところで暮らしているらしい男女の物語が交錯する不思議なテイストのSF作品。続く「呪文」は遠い未来の植民惑星的な場所を舞台にしたシニカルなハードSF。
次の「罪人の選択」は毒入りか毒入りで無いものどちらか摂取を強要された罪人の葛藤を描くミステリ。ラストの「赤い雨」は、〈チミドロ〉と呼ばれる微生物によって汚染された地球において、状況を打開しようとする人々の活動を描くパンデミックSF、となっている。
SF3本、ミステリ1本。上に要約したようにテーマや語り口において非常に多岐にわたっているのだが、どの作品も、極めてクオリティが高い。エンターテインメント文学の第一人者による、堂々たる傑作、である。以上。(2022/11/25)