今野敏著『清明 隠蔽捜査8』新潮文庫、2022.06(2020)

北海道生まれの作家・今野敏による、「隠蔽捜査」シリーズの第8弾にして新章開幕篇となる長編文庫版である。カヴァの写真は広瀬達郎による神奈川県警庁舎。解説は吉田大助が担当している。
大森署での功績が認められた竜崎伸也は、神奈川県警の刑事部長に就任する。そんな矢先、東京都との丁度境界線あたりで他殺体が発見され、警視庁との合同調査が始まる。死体がややいわくの有る中国人であることが判明し、更には公安までもが出向いてきて、事態は混沌化。更には妻の冴子が交通事故を起こし、竜崎は難局に立たされるが…、というお話。
基本的に正論の人・竜崎が、新たな立場を得て、警察官として、そして人間としてもスケールアップした姿を見せる、といった巻。今の日本、というか今の世界に求められているのは、こういう人材なのかも知れない、などとちょっと思ってみたりもする。でも、なかなか、現われないだろうな、とも思う。以上。(2022/06/15)

三津田信三著『魔偶の如き齎(もたら)すもの』講談社文庫、2022.06(2019)

奈良県生まれの作家・三津田信三による刀城言耶シリーズ第3短編集の文庫版である。単行本は2019年刊。今回はこれに『ついてくるもの』に入っていた1本を追加しての刊行になる。表紙の絵は村田修が、解説は末國善己が担当している。
それを着た者を操るとされる「妖服」、死後の復活を意味するらしい「巫死」、見る者によって形が変わっているとしか考えられない「獣家」、それを手にした者に災いを齎すとされる「魔偶」、人間が椅子に座った形をそのまま椅子にした「椅人」といった、奇妙な「もの」や「こと」を扱った本格ミステリ作品集になっている。
このシリーズ、長編も素晴らしいが、短編もこれまた同様に素晴らしい。次から次へと繰り出されるアイディアにはただただ圧倒されるばかり。この、日々進化を遂げているような気がする作家がここから先、一体どんな地点にまで突き進むのか、見届けたいと思う。以上。(2022/06/30)

佐藤賢一著『ナポレオン 1 台頭篇』集英社文庫、2022.06(2019)

フランスを舞台にした歴史小説を多々生み出してきた佐藤賢一による、ナポレオンを主人公とする大長編の1巻目。元々集英社のWEB文芸RENZABUROに連載されたもので、単行本は2019年刊。第24回司馬遼太郎賞を受賞した雄編、となる。この巻の解説は井上章一が担当している。
この巻では、1769年にコルシカ島の弱小貴族ボナパルト家の次男として生を受けたナポレオンの幼少期から、陸軍士官学校での生活、フランス革命からの混乱期における大活躍を経て、やがて部隊を率いイタリア遠征を成功させるまでを丹念に描く。
誠に素晴らしい作品。各地の風物や歴史上の出来事、あるいは人物描写に至るまで、非常に細かいところまで緻密に書き込んだ、考証が非常にしっかりした伝記でもありながら、さりとて血沸き肉躍るエンターテインメント作品としても読めてしまうという、何とも見事なバランスを持つ作品で、ここまで作り込むのは並大抵のことではなかったろうと想像する。
歴史上の人物も、我々と同じ人間なのだ。本書の魅力は、そのことを執筆上の基本コンセプトとして貫いたことから生じているのだと思う。以上。(2022/07/07)

伊坂幸太郎著『クジラアタマの王様』新潮文庫、2022.07(2019)

千葉県生まれの作家・伊坂幸太郎による2019年発表の長編文庫版である。カヴァの彫像作成と撮影は三谷龍二によるもの。解説は『ソードアートオンライン』で知られる川原礫が行なっているが、そこには、重大な意味がある。
製薬会社の広報部に勤める岸は、異物混入に関する対応を引き継いだあたりから様々なトラブルに見舞われ始める。そんなところへ、都議会議員の池野内からメールが届く。池野内は、自分の夢に岸と思われる人物が現われるのだが、という。一体、何が起きているのか、そして、彼らの住む世界はどこへ向かおうとしているのか、というお話。
夢の世界が王道RPGっぽい作りになっている、という設定で、まあ川原礫が解説するのは当然かも、という話。といって、どちらかというと村上春樹に近い、というかかなりそのまま。
夢パートとして川口澄子の漫画が挟み込まれるのだが、これが何とも味わい深い。そんな珍しい趣向も楽しめる、非常に密度の濃い、遊び心に満ちた極上のエンターテインメント作品だと思う。以上。(2022/07/15)

小川哲著『嘘と正典』ハヤカワ文庫、2022.07(2019)

今日における最重要作家になりつつある小川哲(さとし)による、2019年刊行の短編集文庫版である。第162回の直木賞候補作となった作品で、計6本を収録。各話の初出は主に『SFマガジン』で、表題作は書き下ろし。カヴァのイラストは旭ハジメ、解説は鷲羽巧がそれぞれ担当している。
「魔術師」では究極とも言える大魔術を追求した父娘二代のマジシャンの物語が、「ひとすじの光」では名馬スペシャルウィークの血統を巡っての探求譚が、「時の扉」では王に向かって語られる時間についての三つの寓話が、「ムジカ・ムンダーナ」では音楽が通貨として扱われる島での出来事が、「最後の不良」では流行というものが無くなった世界で起こる何とも切ない喜劇が、表題作「嘘と正典」では時を遡ってマルクスとエンゲルスの邂逅を阻止しようとするCIAの活動が、それぞれ描かれる。
誠に素晴らしい作品。まだ作品数は少ないながら、早くも巨匠の域に達しているようにさえ思える。扱っているモティーフが、マルクスからスペシャルウィークって、一体何なんだろう。とんでもない才能が描き出す、極めて濃密でヴァラエティに富んだ傑作群、是非ご堪能いただきたいと思う。以上。(2022/07/30)

佐藤賢一著『ナポレオン 2 野望篇』集英社文庫、2022.07(2019)

佐藤賢一による、ナポレオンを主人公とする大長編の2巻目。この巻の解説は宇野重規が担当している。
イタリア遠征で大成功をおさめたナポレオンは、1797年、パリへと凱旋する。英国との関係が悪化する中、ナポレオン軍はエジプト遠征を決行し、地中海における軍事的優位を手に入れようとする。やがて周辺国の対仏同盟が組まれる中、再びパリに戻った彼はクー・デタにより遂に皇帝の座に上り詰める。
その天才的な能力により、破竹の勢いで版図を広げ、遂には途方もない権力を手中に収めることになったナポレオンだけれど、途中のプロセスでは本当にギリギリというか、綱渡り的なことを多々やっていて、一歩間違えば全然違う歴史になっていたのかも、と改めて思う。そして、物語は最終巻である転落篇へと続く。以上。(2022/08/08)

今村昌弘著『魔眼の匣の殺人』創元推理文庫、2022.08(2019)

長崎県生まれの作家・今村昌弘による、〈剣崎比留子〉シリーズ第2弾となる長編の文庫版である。デビュウ作にしてシリーズ第1弾の『屍人荘の殺人』と同様に、各種ミステリ・ランキングで上位にランクインした作品、となる。カヴァのイラストは遠田志帆、解説は大山誠一郎がそれぞれ担当している。
剣崎比留子、葉村譲ら神紅大学ミステリ愛好会の面々が、人里離れた場所にある班目機関の元研究施設”魔眼の匣”を訪れるところから物語は始まる。この施設の住人である老女サキミは、同所に集った者たちに告げる、「これから二日のうちに、ここで四人死ぬ」、と。やがてこの地への唯一のルートである橋が燃え落ち、脱出不能な状況になる中、1名が命を落とす。果たして、予言は成就してしまうのか、あるいは、というお話。
前回のゾンビに続いて今回は、予知能力が話の前提とされています。そこから組み上げられたロジックは、それはそれは見事なもの。今日、阿津川辰海と並んで本格ミステリの新たな可能性を探求し続けている感じの作家による、誠に巧緻に長けた一篇、である。以上。(2022/08/28)