横山秀夫著『ノースライト』新潮文庫、2021.12(2019)

横山秀夫による長編ミステリの文庫版である。2004年から2006年にかけ『旅』に連載され、大幅な加筆修正を施して2019年に単行本化。『週刊文春』の「ミステリーベスト10 2019」国内部門第1位という高い評価を受け、西島秀俊主演その他超豪華キャストでTVドラマ化もされた作品、となる。カヴァの装画はagoeraによる。
建築士である青瀬稔は、自らの最高傑作とみなし雑誌で紹介までされた「Y邸」に、引き渡しから4カ月を経た現在だれも住んでいない、ということを知らされる。現地を訪れた青瀬は、一度も人が住んだ形跡がないことに衝撃を受ける。一体何が起きたのか、そして、施主の吉野淘汰はどこにいるのか?所属する事務所が重要なコンペティションで忙しくなる中、青瀬は少しずつ情報を集め始めるが…、というお話。
大傑作。長い時間をかけて熟成された芳醇な逸品、という感じ。建築業界とか、戦中戦後の日本とか、ブルーノ・タウトとか、群馬県あたりの風物とか、色々なものを適切に配置して作り上げた見事な人間ドラマ、である。世界がどん底から再生へと向かう今こそ、広く読まれるべき作品だと思う。以上。(2021/12/20)

城平京著『虚構推理 逆襲と敗北の日々』講談社タイガ、2021.12

前作からわずか2か月で刊行された城平京(しろだいら・きょう)による「虚構推理」シリーズ第5弾のほぼ長編とも言える中短編集。コミック原作として書き下ろされた5本が収録されている。カヴァのイラストはいつものように片瀬茶柴が担当。
警察に呼び出された岩永琴子と桜川九郎は、とある奇妙な事件で因縁の相手である桜川六花(りっか)が容疑者となっていることを知る。六花によると、キリンの霊が登山者4人を崖から転落させ、3人の命を奪った、という。警察にその事実を話せない彼らは、より合理的でもっともらしい解決に導くべく調査を開始するが…、というお話。
今回は事件自体の謎というよりは、琴子と六花の駆け引きに主眼が置かれている。第5弾ということもあり、何となくシリーズの真ん中で、ある種転換点とも言うべき巻になっているのではないか、と推測する。
エンターテインメント性と高度なロジックを見事な形で共存させるという誠にアクロバティックなこのシリーズ、ますます目が離せない。以上。(2021/12/30)

古川日出男著『平家物語 犬王の巻』河出文庫、2021.12(2017)

ジャンルを超越した作家・古川日出男による、もはや完全にぶっ飛んだ感のある長編文学作品の文庫版である。どうやら今年の夏に長編アニメーションが公開されるようで、カヴァの絵はそこから引用され、解説は池澤夏樹が担当している。
時は室町期。猿楽一座で生まれた犬王(いぬおう)は、父の宿願成就のために呪いにかかった異形の身体を持つ少年。方や、壇ノ浦の漁村で生まれた友魚(ともな)は、三種の神器の一つを手にしたために視力を失った琵琶法師の少年。犬王は、友魚と出会い、その舞踊の才能に目覚めていくが、その先には、というお話。
『平家物語』の池澤夏樹編全集版を古川が現代語訳した関係でこの本を書いたようなのだが、何とも魅力的なモティーフに、まんまと引き寄せられて、というかなんというかそういうことなんだろう。そりゃ書きたくなるでしょ、と思う誠に魅力的な物語、である。
どうやらミュージカルらしいアニメーションは、ウォルトや治虫へのオマージュにもなっているのだろうな、と今から心を躍らせる。実に楽しみである。以上。(2022/01/20)

高田大介著『まほり 上・下』角川文庫、2022.1(2019)

『図書館の魔女』で知られる高田大介による長編。2019年に単行本で出て、文庫版は上下2分冊での刊行になった。カヴァのイラストはミルキィ・イソベが、解説は杉江松恋が担当している。
時は現代。都会出身の少年・長谷川淳は、妹の転地療養のため父の出自である上州に移り住んでいた。ある日、冒険心から入り込んだ山奥で、不思議な少女に出会う。着物を着たその美しい少女は、どうやらあまり良くない境遇にあるらしい。一方、母が上州出身である大学生・勝山裕は、とある都市伝説について調べるうちに、自分のルーツに関わるのではないかと思い始める。現地入りした裕は、とある村に纏わる伝承を調べ始めるのだが、やがて…、というお話。
良いところもあるのだが、全体としては失敗作だと思う。物語の基本構造は古典的ではあるけれど良く出来ていて楽しめるし、とりわけ史料批判に関する話は興味深く読んだのだが(この辺、普通の読者にとっては退屈だろうけど。)、小説としては色々足りてなくて、非常にもったいないな、と感じた次第。
一番良くないというか致命的なところを書くと、本人は自覚しているはずなのに、高田大介は作家としてやってはいけないことをやっている。そうそう、アカデミックな文章でもフィクションでも同じように、こんなことを書いたら差別を助長することになる、ってどっかに書いているのに、そんな話を書いてしまっている。差別を助長、どころかなかったところに新しく生み出している気さえする。しかも、フィクションである、と断っていないのは最悪。実のところ、フィクションです、と明記していても、そう思わない読者もいるのですごく気を遣わないといけないんだけど。この作家にはそういう神経が欠如しているんじゃないか、と。
さて、どうすれば良かったのかは割と簡単で、要するにそんな刑法その他上の犯罪行為が長きにわたって続けられてきた、あるいは続けるしかなかった原因とか理由とかについて、きちんと書いておけば良かった。あるいは、主人公に少しでも、なんでこんなことが、と考えていることを示すべきだった。例えば、良くあるパターンだけど、「狂信に陥った教団に乗っ取られた集落」みたいな設定だとやや説得力はあるし(話は陳腐化するが…。)、政治的にもそれほど問題はない。無くはないが。いやいや、どう考えても、普通のどこにでもある限界集落にこんなことをさせてははさすがにダメだろう。
群馬県のどこか、という現実に存在する場所を、そして柳田國男をはじめとする現実に存在する人物を登場させてしまった以上、半分フィクションではないのだからこそ(先にも書いたがこういうのは下手をすると事実ととられてしまう恐れさえある。)、そういう手続きは必須なのだ。
まあ、本当にこんなことがあるのなら何も問題ないのだが、実際はないわけだし。わざわざ各方面から反感を買うようなことを書くのはどうなんだろう、と思った次第。なお、どう考えても、本書の記述に反感を持つのはとても正当である。別に群馬県民じゃなくてもちょっとひどいと思うよ、これは。前著の評判がすこぶる良かった作家による期待の新作だったっぽいのにあまり評価が芳しくなかった事情は多分その辺にある。
他にも色々ある。会話の部分で、誰の言葉なのかがとても分かり難く読みずらい、子どもの頃の回想なのにやけに高度な概念や事物名称が混ざっている、地図を付けるだけで文章量を相当減らせる及びリーダビリティを上げられるはずなのにそういう努力をしていない、引用・参照文献が書いてない、上下巻に分ける意味が余りない等々。そうだな、こんなもんなので、正直出版レヴェルにない気がするのだが。
図書館にこもっていて現実が良く分からなくなってしまった人の書いた小説、みたいなメタ設定ならまあ分かる。でもこれはそうじゃない。あるいは自ら進んで反面教師になる気なのか?勉強しかしてないとこうなっちゃうぞ、とか。同人誌なら何でもありだが(何でも、ではないな。表現は全面的に自由というわけではない。常に、配慮が必要なものだ。)、さすがに角川書店からこういうものが出てくるのはどうなんだろう、と考えた。以上。(2022/02/02)

ジェイムズ・P・ホーガン著 内田昌之訳『未踏の蒼穹』創元SF文庫、2022.01(2007)

2010年に亡くなった偉大なSF作家であるジェイムズ・P・ホーガン(James P. Hogan)が、晩年近くに刊行した長編である。原題はEchos of an Alien Sky。ちょっと直訳しにくいけど、上手いこと意図をくみ取ったセンスの良い邦訳だと思う。解説は大野万紀が担当している。
要約を。金星人たちは、かつてその文明が大変なレヴェルまで到達したが、何らかの理由で滅亡したらしい地球の探査を進めていた。各地に残る遺跡、そしてまた月の裏側で発見された異様なまでに高度な技術の痕跡は何を物語るのか。謎に挑む科学者たちは、一体そこで何を見出すことになるのか、というお話。
「超科学」であるヴェリコフスキー理論がベースになっているけれど、そこはそれ。別にパラレルワールドの話だと思えば、こんなヘンテコ設定もありだと思う。まあ、最初から結末は殆ど読めてしまうのだけれど、割とありきたりな感じのロマンスとか、政治がらみの話とかが案外面白くて、へえ、こんな作家だったっけ、と思うところも多かった。
そうそう、ホーガンの薫陶を受けてさらにそれを発展させた感のある、所謂エンジニアリング系SFとその派生形が普通になってしまった関係で、この作品などは最早古典的なスペースオペラにすら見えてしまうのだ(笑)。科学技術的な話も色々書き込んでいるけれど、今時のはこんなものではないので。今『星を継ぐもの』を読み返したら、驚くかもしれないな、などと考えた。以上。(2022/02/12)

辻真先著『夜明け前の殺人』実業之日本社文庫、2022.02(1999)

1932年生まれの現役バリバリ作家・辻真先が1999年に出した本格ミステリ作品の文庫版である。何故か、初の文庫化ということで、ちょっと驚いた。その実、作品のクオリティはかなり高い。辻真先が小説家として本格的にブレイクしたのは最近なので、致し方ないところなのかも知れない。再評価の機運は正しい方向と考える。
時は1990年、島崎藤村が書いた『夜明け前』の舞台版上演中に、まるで作品をなぞるかのように主演女優・浜島香苗が毒死する。彼女の死は、警察の捜査により自殺、と認定された。それから9年、フランスに移り住んでいた香苗の弟である祐介が帰国し、姉と同じ劇団に入団。姉の死は他殺ではないかと疑う祐介は、劇団周辺の人々から当時の様子を探り始めるが…、というお話。
藤村が独自の「いろは歌留多」を実業之日本社から出していた、という事実自体がとんでもなく新鮮だったのだが(しかもその文言が…)、それはさておき。魅力的な登場人物たちといい、スピーディな展開といい、意外な結末といい、そこはさすがにレジェンドの手によるもの。ちょっと古臭い感じも、悪くない。バブルとその崩壊後、という激動の時代を、軽妙洒脱な筆致で見事に活写した傑作だと思う。以上。(2022/02/22)