冲方丁著『マルドゥック・アノニマス 8』ハヤカワ文庫、2023.05

岐阜県生まれの作家・冲方丁によるマルドゥック・アノニマス・シリーズ第8弾である。『SFマガジン』連載のものを単行本化等を経ずに文庫化したものになる。実に、マルドゥック・シリーズは開始から20周年とのこと。カヴァのイラストは毎度おなじみ寺田克也による。
〈クインテット〉から離脱した神速のガンマンであるマクスウェルは、マルセル島を拠点に暗躍を開始。これを知ったハンターは勢力を結集させ、マルセル島でのエンハンサー狩りを開始する。そんな中、バロットら〈イースターズ・オフィス〉は、薬害訴訟を進めるのに必要なデータ収集のため〈楽園〉と協力関係を結ぶが、ハンターが市議会議員選挙に出馬するとの報を受け、対応を迫られることになり…、というお話。
マルセル島での激闘に殆どのページが費やされるバトル巻になっている。もう、主役はハンター(笑)。まあ、割と情が移り始めているので、こういうのもありかな、と思う。超能力者バトルの見事かつ手慣れた描きっぷりは、流石に冲方丁ならではのものである。本当に読みごたえがあった。
それは良いのだが、何せ登場人物が多くなり過ぎていて(頭の方にあるリストだけでも見て欲しい…)、誰がどっちの陣営なのかを思い出したり考えたりしながら読んでいくのは結構辛かった。それに加えて、時系列を一つの線にしていないのが何とも…。ほぼこの作家のライフワークと化している作品であり、なるべくたくさんの人に楽しんで欲しいので、リーダビリティはもう少し高めに保って欲しいかな、と思った次第。以上。(2023/06/06)

長沢樹著『アンリバーシブル』幻冬舎文庫、2023.05

新潟県生まれの作家・長沢樹(いつき)による文庫書き下ろしの長編サスペンス。タイトルは「アンリヴァーシブル」が正しい。'unrebirthible'なんて言葉はないので。そういえばカヴァにも'unreversible'って書いてある。vとbは英語だと違う音だよ。ちなみに副題は長くて「警視庁監察特捜班 堂安誠人」となっている。
国交省などが進める自動運転実験の責任者である役人がビルから転落死する。つい前日にやはり左記の実験に関わっていた女性がこちらは明確に殺される、という事案が発生しており、関連性が取りざたされることになったが、転落死の方は自殺という結論に落ち着きかける。背後に何かあることを見て取った警視庁監察係赤坂分室は、所属員の堂安誠人(せいと)と双子の弟・賢人を調査に送り出すが…、というお話。
移民の多い街、という舞台設定や、役割が明確に分かれた双子の捜査官(片っぽは民間人だが)という人物造形辺りには面白さを感じた。東野圭吾が描きそうな題材を扱ったメインのプロットも、話としてとても面白いと思った。
しかし、いかんせんリーダビリティが低い。これ、冒頭10頁位で投げ出す人が殆どでは?というか、序は良いとして、第1章の本文2行目からもう読みにくい。音読しないと状況とか情景が頭に入ってこないのだ。登場人物や関わる団体や組織等をもっと整理して、それらに付随する無駄な描写を減らすことで、かなりの傑作に生まれ変わるような気がする。エンターテイメントなんだから、こっちとしてはサラっと読み終わりたいのだ。以上。(2023/06/10)

朝井リョウ著『正欲』新潮文庫、2023.06(2021)

学部は違うけれど大学の後輩である直木賞作家・朝井リョウによる第34回柴田錬三郎賞受賞作にして大ベストセラーの文庫版である。基本的には一組の核家族と二組の男女を主役に配した群像劇になっている。表紙の写真は菱沼勇夫、解説は東畑開人がそれぞれ担当している。
検事である寺井啓喜(ひろき)の息子である小学生・泰希(たいき)は登校拒否。あるきっかけでできた友だちと共同で行うYoutubeへの投稿が泰希を少しずつ活動的にする。しかし、何かが気に入らない啓喜と、泰希に寄り添おうとする妻・由美の間はギクシャクし始める。
寝具販売員である桐生夏月(なつき)には、人には言えない秘密があった。同じ秘密を共有する食品会社勤務の佐々木佳道(よしみち)との高校の同窓会での再会が、息が詰まるような二人の生活を少しずつ変えていく。
容姿に自信がない大学生・神戸八重子は、多様性をテーマとした学祭のイヴェントをきっかけに知り合ったイケメン男子・諸橋大也が何らかの悩みを抱えていることに気付き、彼のことを気にし始める。
基本的には、そんな3組の運命は、というお話。なるほど。フェティシズムか。日本文学においては、谷崎潤一郎や田山花袋をはじめとして、多くの作家が扱ってきた事柄だけれど、平成と令和が切り替わった時期において改めて深く掘り下げることには重要な意味がある、と思った。とても勉強になったし、少々啓発もされた。ここに感謝したい。
さて、結構しんどい話なので(奥田英朗だとギャグにしちゃうんだけど…)、読んでいてだんだん気が滅入ったり、腹がたったりする読み手もそれなりにいると思うのだが、是非とも最後まで読み通して欲しい。本書の読後感は非常に爽快なものだ。個人的には、「真の愛」とはもしかしたらこういうものなのかも、と思った。ちなみに家父長制はもうその役目を終えてるしね。
ちなみに、表紙がカモの写真なんだけれど、私がカモ好き(カモ・フェチまではいかないが…)なことは秘密でも何でもないので(笑)。以上。(2023/06/20)

月村了衛著『機龍警察 未亡旅団』ハヤカワ文庫、2023.06(2014)

学部は違うけれど大学の先輩である月村了衛による〈機龍警察〉シリーズ第4長編の文庫版である。単行本刊行から実に9年。ここから先は第5弾が2017年、第6弾が2021年と、そもそもの刊行ペース自体が落ちていく。文庫化まで待たないで読んでしまった方が良い気がしてきた。
主として、チェチェン紛争の際に夫や子供などを失った女性たちによって構成されたテロ集団『黒い未亡人』が日本に潜入し、活動を開始。警視庁の公安部と特捜部は合同捜査に入るが、龍機兵装を複数所有し、自爆という厄介な最終手段を持つこの集団にはことのほか手を焼くのだった。
そんな中、特捜部の由起谷志郎警部補らは、とある手がかりを頼りにやっとのことで身柄を拘束した同組織の少女カティア・イヴレワの取り調べを始めるが、同組織の構成や目的などについて、彼女はかたくなに口を閉ざすのだった…、というお話。
まさに圧巻。本当に読み易く、そしてまたグイグイ引き込まれる。とは言え、扱っている内容は誠にヘヴィ。国際情勢や国内政治のヤバいところにまっすぐに、そしてとても深く踏み込んでいる、と思う。警察小説史あるいは日本SF史に名を残すことになるはずの大変な傑作シリーズ中の、白眉とも言うべき作品である。以上。(2023/06/25)

伊坂幸太郎著『逆ソクラテス』集英社文庫、2023.06(2020)

私と同じ千葉県出身の作家・伊坂幸太郎による、5篇からなる短編集文庫版である。非常に高い評価を受け、第33回柴田錬三郎賞を受賞。誠に素晴らしいカヴァのイラストはjunaidaによる。
小学6年生の僕は、転校生である安斎からカンニング作戦を実行する、と告げられる。それは、担任教師の持つ「先入観」という厄介なものを打ち破る、という意図によるものだったが、その結果は…(「逆ソクラテス」)。『あの日、君とBoys』(2012、集英社)というアンソロジに掲載された表題作に、同じく少年時代を主舞台とした4篇を加えた作品集になっている。
各篇は短編とは言え、巧みな伏線とその回収、正義や倫理を巡る独特な感覚、といったこの作家らしいテイストは充満している。5篇が少しずつ関連性を持っている辺りもいかにもこの作家で、総じてとても面白く読ませて頂いた。
なお、伊坂さんには『きかんしゃトーマス』をモティーフとする傑作があるが、本書には『トランスフォーマー』を大々的に扱っている作品がある。それと同じく、「これ、分からんのではない?」とも思ったが、まあこれらは確かに一般教養ではある(笑)。そして、そういうのを後付けで勉強するのは悪くないと思う、というか良いことだ。みんな、そうやって大人になるのだから。以上。(2023/07/08)

深緑野分著『この本を盗むものは』角川文庫、2023.06(2020)

神奈川県生まれの作家・深緑野分(ふかみどり・のわき)によるファンタジィ長編の文庫版である。この寡作作家の作品がいつもそうであるように広く高い評価を受け、本屋大賞にノミネートされた。カヴァのイラストはNaffy、解説は三辺律子がそれぞれ担当している。
読長町は本の町。主人公の高校生・御倉深冬(みふゆ)の父は、書物蒐集家である深冬の曾祖父・嘉市(かいち)が建てた巨大書庫=御倉館の管理人だが入院中。本が好きでないため出入りするのに余り気が進まない深冬だが、叔母であるひるねの世話のためやむを得ず足を運ぶ日々。
そんなある日、御倉館から本が盗まれたことにより、深冬の祖母・たまきがかけた警報装置=「本の呪い(ブック・カース)」が発動し、読長町は物語の世界へと変貌してしまう。そこへ現れた何となく犬っぽい少女・真白から、泥棒を捉まえることで町は元に戻る、と聞いた深冬は、真白とともに泥棒を捜しに出るのだが、果たして…、というお話。
良く出来た、極上のファンタジィにして、恐らくとんでもない読書家であるはずの著者だから書けた「本好きの、本好きによる、本好きのための」小説。まあ、本好きのみならずみんなに読んで欲しいところではあるが。で、本好きになって欲しい。余談ながら、A.リンカーンは"All I have learned, I learned from books"なんてことも言っている、らしい。
それは兎も角、個人的には、フィクションを作成する行為が呪いとほぼ同義、というヴィジョンが凄いかな、と思った。そうだよ。作家って存在は言葉によって世界を紡ぎだす。呪いもまた、人と人との関係性とか人が持っている認識のかたち、もっと言えば世界の在りようを変え得るものなのだ。こういう話が面白いな、と感じた方は迷わず手に取るべし。以上。(2023/07/15)

誉田哲也著『オムニバス』光文社文庫、2023.07(2021)

東京都生まれの作家・誉田哲也による、〈姫川玲子〉シリーズの丁度10冊目となった短編集である。『小説宝石』などに掲載された計7本を収録。カヴァのデザインは泉沢光雄が、解説は宇田川拓也がそれぞれ担当している。
葛飾区青戸で女子大生が殺害され、被疑者となった男は既に別件逮捕されていた。2件の捜査が並行して進められていくが、そこには、司法取引のにおいが…(「それが嫌なら無人島」)。ストーカーが対象を、ではなくストーカー自身が対象に殺される、という事案が発生。被疑者の女性を取り調べる姫川は、その素性を洗ううちに単純な事案ではないことに気付き始めるが…、(「正しいストーカー殺人」)。他に、「赤い靴」「青い腕」連作や、検事・武見諒太の過去が明らかになる「それって読唇術?」など計7本。
どれもコンパクトながら、きちんと起伏があるエンターテインメント小品に仕上げられてるところはさすがにこの作家の手によるもの。いつものように起こる事件の内容はどれも陰惨だが、語り口は軽妙で、その辺も楽しめる。
さて、本作には日野利美が語り手になる作品が入っているが、さりげなく姫川班を支えてきたこの人もついに異動。代わりに入るのが、結構びっくりな人、なのだが伏せよう。まあ、調べればすぐに分かるのだが。以上。(2023/07/25)

森博嗣著『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』講談社文庫、2023.07(2020)

工学博士である森博嗣によるXXシリーズ第1弾長編の文庫版である。カヴァの写真は羽田誠、解説は斜線堂有紀がそれぞれ担当している。
小川令子、加部谷恵美の2名からなる探偵事務所に、ネット経由で匿名の依頼がなされる。それは、あるホームレスの青年・柚原典之について調べてくれ、という真にあいまいで意図がつかみにくいものだった。青年を見つけ、本人と接触後、青年の近くにいた老ホームレスが死亡。その遺品には青年の写真があり、それは依頼主から渡されたものと同一で…、というお話。
森さんにはGシリーズというものがあって、まだ完結していないのだが、これの途中位から1冊の中で起承転結が無くなったというか、作品とか小説として閉じていないものが現れ始めた。個人的にはとても好きなWシリーズでその辺は普通に戻った気がするのだが(SFに行ったわけだが。)、これはまた閉じていない作品、に見える。
アンチ・ミステリ、とかミステリではないものをやりたいのであれば、それはそれで所謂ミステリとは別のロジックなりなんなりがないといけないはずなのだが、本書には何もない。非常にがっかり。更には、全篇に溢れる社会学とかその周辺のアカデミズムに対する軽視というかほとんど揶揄に近い記述群はどうかと思った。
柚原の精神構造は言ってみれば「中二病」にしか見えないのだけれど、それがあたかも「凄いこと」とか「価値のあること」みたいになっているのはどうなんだろう。この辺、ラノベなどの方が上手く処理している気がする。まあ、そっちでは基本的にバッサリ切ってる。
そうそう、レッテル貼りはダメ、みたいなことを言ってるのにも関わらず、ステレオタイプ以外の何物でもない人物を造形してるのはいかがなものか、と。結局のところ、本書が小説として閉じてなくて、その先、とか、その前、が示されていないのが問題、ということになるかな、とも思う。以上。(2023/08/03)

カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳『クララとお日さま』ハヤカワepi文庫、2023.07(2021)

長崎生まれの作家であるカズオ・イシグロが、ノーベル賞受賞後第1作として世に出した長編文庫版である。原題はKlara and the Sun。翻訳は土屋政雄が、カヴァのイラストは福田利之が、解説は鴻巣友季子がそれぞれ担当している。
語り手はクララという第二世代の人工知能を搭載したAF(=人工親友)。店頭に並び買ってくれる人を待つうちに、やがてジョジーという病弱な少女の家庭が購入する運びに。やや気難しいところもあるジョジー。その病気の完治を願い、リックという幼馴染の少年との関係を気遣うクララは、やがてある決心をするのだった、が…、というお話。
タイトルにある「お日さま」が物語の鍵を握る。何度目かのかなり大規模なAIブームとも言うべき昨今だけれど、そんなややベタな感じのテーマにある意味真っ向から取り組みつつ、完全にカズオ・イシグロの世界に溶け込ませている辺りが何とも素晴らしく、その文学性の高さは誠に筆舌に尽くしがたいものがある。
映画化されるようだが、陳腐なエンターテインメントに堕することなく、是非とも本書が体現しているレヴェルに匹敵するような、あらゆる場面から文学の香りが立ちのぼる格調高い作品にしていただきたいものだ、と思う。以上。(2023/08/07)

首藤瓜於著『ブックキーパー 脳男 上・下』講談社文庫、2023.08(2021)

栃木県生まれの作家・首藤瓜於(しゅどう・うりお)による、〈脳男〉シリーズ第3弾の大長編文庫版である。単行本は2021年刊で、『指し手の顔 脳男II』からは14年振りのシリーズ再開となった。文庫化にあたっては、上下2分冊化されている。
警察庁のエリート警視である鵜飼縣(うかい・あがた)の部下・桜端道(さくらばな・とおる)はネット版の地方紙を検索中にあることに気付く。北海道、千葉、長崎という離れた地で計3件、わずかひと月の間に相次いで良く似た手口の拷問死事件が起きている、のだ。
縣とともに各々の被害者について調べ始めると、どうやら3人は愛宕(おたぎ)市と何らかの関わりがあることが判明する。そんな折、当の愛宕市では氷室財閥の当主・賢一郎が殺害され、縣はこれの捜査に当たるべく現地に赴くことになるのだが…、というお話。
脳男=鈴木一郎といい、道や縣といい、その超人っぷりは余りにも現実離れしているし、更にはいかにもな感じの財閥やら裏フィクサ一族やら傭兵上がりやらが暗躍するお話の流れなどといったところにかなり荒唐無稽な感じを抱かざるを得ないのではあるが、まあそこはファンタジィなので。
さりとてキャラクタや色んな建物などといった細部の作り込みとか、きちんと回収される伏線たちのバラマキかたとか、本当に良く出来ていて、大いに楽しめた次第。まさに手に汗握る疾風怒涛のエンターテインメント、という感じ。
さて、そんな素晴らしい作品にも実は一つだけ注文があって、タイトルは絶対に『脳男III』にして頂きたかった。そうなのだ、肝心要のアイディアが、タイトルだけで分かってしまうではないか…。以上。(2023/08/18)

西尾維新著『悲業伝』講談社文庫、2023.08(2014)

西尾維新による〈伝説シリーズ〉第5弾の文庫版である。オリジナルは2014年に講談社ノベルス版として刊行。今回も700頁超の大著になっている。カヴァのイラストはMONによる。(毎回同じ文章で済みません…。)
「地球撲滅軍・不明室」長である左右左危(ひだり・うさぎ)と、我らが英雄・空々空(そらから・くう)の秘書である氷上竝生(ひがみ・なみうみ)の2名は、空々や新兵器=悲恋を見つけ出し、更には魔法や魔法少女、ひいては魔女を回収すべく四国の地へと足を踏み入れる。
彼らは見事な洞察力と行動力を発揮して魔法少女コスチューム計3着を入手し、続いて魔法少女『ストローク』こと手袋鵬喜(てぶくろ・ほうき)との接触を果たすが…、というお話。
これでようやく半分。今回はバトル少な目で、今までの復習も兼ねつつ四国ゲームの本質に迫るという、やや落ち着いた感じの巻になっている。まあ、ここまでで人は余りにもたくさん死に過ぎたので…。次巻『悲録伝』は11月刊行とのこと。ワクワクしつつ待ちたいと思う。以上。(2023/08/25)