David Fincher監督作品 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
デイヴィッド・フィンチャー(David Fincher)監督とブラッド・ピット(Brad Pitt)が『ファイト・クラブ』(1999)以来久々にタッグを組んだ大作。共演はこの十数年来出ずっぱりな感のあるケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)。元になっているのはアイルランド系の作家フランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald)による同タイトルの短編(1921)である。
アカデミー賞でも主要部門を含む13部門にノミネートされていたが、とれたのは結局美術、メイクアップ、特殊視覚効果という技術系の3部門。実際に観てみて、アカデミー賞の選考をした人たちは非常に正しい、という思いを強くした次第。
物語はごく単純なもので、要するに80歳位の老人の肉体をもって生まれ、そして何故だか分からないけれど段々若くなっていく、という体質を持った男=ベンジャミン・バトン(ブラッド・ピットが演じる。)が辿る普通ではない人生を描いていく。
予告編などを見ていたので、「そういう設定で起こりそうなことが色々起こるんだなぁ、きっと。でもフィンチャーだしなぁ、なんか思いも寄らんことをやってくれるんだろうなぁ。」などと思っていたのだけれど、全く「えええーーーっ。」であった。詳しくは本編をご覧下さい(笑)。(以下ネタバレへと。)
さてさて、この作品が上記のアカデミー賞受賞部門からも分かるように映画としてさほど評価されなかった原因は、というか私も評価しないんだけれど、多分脚本や脚色にあるんだと思う。脚本はあの素晴らしい映画『フォレスト・ガンプ』(1994)と同じエリック・ロス(Eric Roth)が中心になって書いたものだと思われるのだが、実のところその片鱗すらない。
多分あの傑作と同じく「こうやったら人は感動するんじゃないかな。」と思われることをぎっちり詰め込めるだけ詰め込もうとしたんだと思うのだけれど、どうも脚本を書いた人たちというかエリック・ロスは、時代が『フォレスト・ガンプ』から既に10数年たっていることに気付いていない節があるのだ。いやいや、古臭い、というかむしろ退化しているようにさえ感じた。
更に言うと、この映画では「若返る」という初期設定から予想されることしか起こらないわけで、「フォレストの人生の方がよっぽど数奇じゃない?」と思ったのは私だけではないだろう。確かに「フィンチャーにしては意外」、なのだけれど、個人的にはそんなものは観たくないのである。プログラムを走らせたみたいな映画に思えたのだけれど、いわゆるプログラム・ピクチャでももっと意外なことが起こってしかるべきなのだしね。
蛇足ながら、全く意味不明だったのは、この映画、ベンジャミンの恋人デイジィ(ケイト・ブランシェット)がその死の床である病院で彼との出会いと別れを回想する、というか彼が書いた手記らしきものを娘が読む、というスタイルをとっているのだけれど、その地域にハリケーンが近づいていて、という話が覆い被さってくる。これって、どういう意図なんだろうか。誰か教えて下さい(笑)。ああ、そうそう、あの鳥って、北米というかニュー・オリンズ周辺にはいないのかな?でも、それがオチってのはないですよね?以上。(2009/04/28)