Gene Wolfe著 柳下毅一郎訳『ケルベロス第五の首』国書刊行会、2004.07(1972)

色々なところで重要な作品として言及されてきたにも関わらず長い間日本語に訳する試みがなされてこなかった超絶技巧SF作品が、原書出版から30年の歳月を経てようやく翻訳されたもの。この作者の作品は全く読んだことがなかったのだが、この書のみでもその力量のすさまじさは十分にうかがい知ることが出来るわけで、これを機に一気に翻訳作業が進むことを期待してしまう。まあ、英語で読めば良いのだが、日本語に比べて時間がかかるのが問題なのである。
それを言い出すとこれも言っておかないといけないのだが、例えば本書の成立に多大な影響を及ぼしている故スタニスワフ・レム(Stanislaw Lem)の、そもそもポーランド語で書かれた、それは措いても実際問題難解極まりない作品のほとんどが日本語で読める、といった事情を考えると、訳者が解説文で述べているジーン・ウルフという作家に対する日本国内における余りの「過小評価」という見方にも一理あるのである。まあ、20世紀を代表する作家の一人であるレムと比べればこういう扱いも致し方ない気もするところではある。
さて、本書は三つのパートからなる。第1部はマルセル・プルースト(Marcel Proust)風の文体で書かれた、「名前を持たない私」による記憶と自己についての哲学的洞察を含む散文、第2部は人類学者の聴き取り報告書の体裁を持つ、とある惑星の原住民に伝わる伝説めいた物語、第3部はレム風でありかつまたカート・ヴォネガットJr(Kurt Vonnegut Jr.)風の、囚人による手記の断片集、という具合になっている。それぞれは独立したパートになっているのだが、これらは作者の超絶技巧的文章構成下のもとで相互に反響し合いながら、双子惑星である「サント・アンヌ」と「サント・クロア」を舞台とする、人類の入植、先住民の絶滅、両惑星の政治的対立、サント・クロアでのとあるテクノロジの発達(作者の名前 gene の持つ意味内容と深く関わる。)、といった事象を浮かび上がらせることになる。
極めて高度な知的所産である本書は、少なからず存在する一部の優れたSF的意匠を持つ作品群と同じく、現代文学の中に一つの地位を占めるものと言っても良いものである。それはそれとして、第2部の構成といい、第1部・第3部の主要登場人物で第2部の記述者が「人類学者」であるという設定に、帯にも献辞が載せられているその父親が著名な人類学者であるSF作家アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin)の作品群と同じく、アメリカSF、あるいはアメリカ文学への人類学が持つ影響力の濃さを改めて感じ取った次第。日本では相変わらずマイナな学問である人類学が、アメリカなどではそうでもないのではないかと思い始めたのだが(逆に、日本では古くから主流だった外国文学部・学科のようなものが英語圏では昔から弱小学部・学科であったはず。)、この辺りのことは今後検証してみたいと考えている。やや話がそれたがこの辺で。(2006/09/13)