大場つぐみ原作・小畑健作画『DEATH NOTE 1-12』集英社ジャンプ・コミックス、2004.04-2006.07
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2003年暮れから今年(2006)5月まで『週刊少年ジャンプ』に連載されていたコミック作品。先月その第1部が封切られた金子修介監督による映画化、どこが作るのか現時点では不明なTVアニメ化(この秋から日本テレビ系列で放送らしい。となると、現在放映されている『桜蘭高校…』の枠か?個人的にはこれまた「ボンズ」による制作を希望している。)、近日中になされる西尾維新によるトリビュート小説の刊行など、今年はこの作品に関する話題が持ちきり、という感じになっている。その辺りのことは例えば今後も内容が更に充実するだろうWikipediaの方を見ていただければ良いのだが、そちらは基本的にネタバレなのでコミック全巻を読み終わってからの方が望ましいだろうと思う。
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さてさて、この作品の基本的なストーリィというのは、「ある天才青年=夜神月(やがみ・ライト)が、そこに名前を記すことでその人物が死ぬことになるノート=DEATH NOTEを手に入れたことから、この世界に存在する全ての犯罪者を抹殺して犯罪や暴力のない世界を創ろうとする。」というもの。やがて日本国の警察やらFBIやらが「犯罪者の大量死」について捜査を開始し、物語は“L”と呼ばれる探偵とライトの頭脳戦を軸に展開されることとなる。
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タイトルにもなっている、ある意味究極兵器としても使い得る「DEATH NOTE」の基本スペックというのは、「名前を書くとその人が死ぬ」という、実際問題極めて単純明快なものなのだけれど、その使用法に関する余りにも細かすぎる規定(まさに細則)が各章の末尾に付けられていて、これがさすがに12冊分ともなると膨大な量になってしまっており、実は良く読めば矛盾や齟齬もありそうな気もしている。時間がないのでそこまでじっくり読んでいられないのも事実なのだけれど、この辺を検証したサイトもどこかにあるはずなので探してみて欲しい。
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話を戻すと、「破天荒」系コミックを中核に据えた、いわば「何でもアリ」な作品群を世に送り出し続けてきた『少年ジャンプ』らしからぬ、「DEATH NOTE」の基本機能及び「死神」と彼らの住む世界の存在以外は全面的に通常の物理・化学法則が適用されているという、ある意味で「異色」な世界設定を持つこの作品だけれど、その中心は何と言ってもライトとLのあたかも囲碁や将棋のような頭脳戦なのであり、これが緻密この上ないプロット構成と、完全無欠の画面構成で描かれることとなる。ついでに言えば、キャラクタ・デザインや各種小道具群の使い方も実に見事なものである。そうしたいわばテクニカルな面に限って言えば、ここまで完成度の高いコミックというのはこれまでに作られたことが無かったようにさえ思われるわけで、この点について私はこの作品をして「一つの金字塔の樹立がなされた」、と述べることを厭わない。
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勿論、全編を通じてなされてきた「正義」を巡る議論に対してこの作品が最終的に与えた結論の「甘さ」についてはやや残念なところもあるのだけれど、それは掲載されていたのが「少年誌」であるということや、それと相俟って日本という国では「少年少女」に「不健全」なものを読ませてはいけないという不文律めいたものがある、という制約上致し方ないところでもある。ただ、そういう暗黙の制約が存在する中、ここまで「ヤバイ」(=「啓発的」、という位に考えて頂きたい。)作品を創造した作者二人(なのだろうか?)、そして大胆にも『ヤング・ジャンプ』や『ビジネス・ジャンプ』ではなく『少年ジャンプ』への全編の掲載を断行した集英社には拍手を贈りたいと思う。
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以下蛇足だけれど、原作担当の覆面作家「大場つぐみ」については、私自身はと言えば当初は「実はこの人、宮部みゆきなのではないか?」、と思っていた。理由は、ストーリィ・テリングの見事さ故である。この件に関しては諸説あるらしいのだけれど、あくまでもその作風を考慮してこの作品の連載終了後に私が考える候補を何人か挙げておくと、大塚英志、清涼院流水、そして意表を突いて貴志祐介と井上夢人、となる。どうやら「ガモウひろし」説が最有力視されているそうなのだが、それは無いんじゃないか、と思う。所謂「有害コミック問題」に関してなかなか至言を述べていた大塚はやはり第一候補に挙げられると思うのだが、いかがなものだろうか。以上。(2006/07/08)