Clint Eastwood監督作品 Million Dollar Baby 2005.10(2004)

第77回米国アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞を受賞するという偉業を成し遂げた作品。クリント・イーストウッドの映画らしく、抑制された演出、丁寧な造り、そして途方もない暗さと重さが際立つ作品で、これは確かに優れた作品であると思った。
兎に角、同じく主演女優賞を受けた Boys Don't Cry (1999)がそのキャリアの頂点ではないか、と思われていた主演女優のヒラリー・スワンク( Hilary Swank )が、この度肉体改造して取り組んだ女性ボクサー役というのはまさに「鬼」の一言に尽きる。イーストウッド演じる老トレイナに文句を付けられながら黙々と練習を積み重ねて成長していく様の描写はまことに素晴らしい。それだけでも観る価値がある。
実は、私自身としてはこの映画は主人公がチャンピオンに挑戦するエピソードが描かれる辺りまで、つまりは1時間半位で終わってしまって良かったんじゃないかと思っている。その後というのはまるで別の映画になってしまっていて、そこから先は要するに「寝たきり・介護・安楽死」ものということになる。それはそれで大事なテーマだと思うのだが、1時間半位までの「イーストウッドなかなかやるなぁ…」と心の中でつぶやきながら観る他はない「イーストウッド監督的テイストを失っていないそれなりに心躍るスポ魂路線」で最後まで突っ走って欲しかった、と思うのは私だけだろうか?
まあ、そう思う背景には、私を含めた日本人にとって、高森朝雄・ちばてつやが創り出した『あしたのジョー』(現在は講談社漫画文庫)なんていう途方もない金字塔的ボクシング漫画が存在していることが関係しているのも事実。この映画の基本的図式はこの漫画にとても似ているのだが、その辺りのことも含めて、上に示したような途中で起こる映画スタイルの急転換も一応は納得しながら鑑賞した次第。
やや蛇足だけれど、イーストウッド演じる老トレイナがノーベル賞詩人であるW.B.イエイツ( William Butler Yeats 。実はこの人が昔すんでいた家には行ったことがある。)の詩集らしきものをゲール語で読んでいたり、女性ボクサーの苗字がフィッツジェラルドだったり、という辺りに面白みを感じてしまったのだが、要するにこの映画の原作者である F.X.Toole という、本名が Jerold Hayden Boyd というアメリカ人がアイルランド系移民の流れを汲んでいるから、ということになるらしい。以上、ご参考までに。(2006/01/30)