井筒和幸監督作品 『パッチギ!』
2005年1月には公開されていてDVDも出ている作品だけれど、今年度の映画賞で各賞を総なめであるために凱旋ロードショーされていたので映画館で鑑賞。実は、レンタル屋ではこの映画のDVDは現在ほとんど借りられっぱなし状態にある。大変難しいテーマを扱っている映画なのだけれど、重すぎず、さりとて軽すぎずという、何とも絶妙なバランスを持った作品で、これなら「各賞総なめ」も当たり前かな、と思った次第。
タイトルは朝鮮語の「突き破る、乗り越える」、あるいはより映画の中身に即して言えば端的に「頭突き」を意味する言葉らしい。1968年という「熱い年」の京都を舞台に、川を挟んで暮らす日本人と在日朝鮮人の微妙な関係を背景に、とある朝鮮籍の女子高校生・キョンジャ(沢尻エリカ:この人、実は日本人とアルジェリア系フランス人のハーフとのこと。面白いですね。どうでも良いんですが、チマ・チョゴリの女子高校生はもう首都圏では見ることがなくなりました。悲しいことです。)と日本国籍の男子高校生・康介(塩谷瞬)の二人が所謂「ボーイ・ミーツ・ガール」もの青春恋愛ドラマを繰り広げる中、女子高生の兄・アンソン(高岡蒼佑)等朝鮮籍不良高校生グループと日本籍不良高校生グループとの間で起きた抗争が激化し、それと並行する形でアンソンの恋人・桃子(楊原京子)は妊娠・出産という経過をたどり、という大まかに言うと三つの話が交錯するいわば群像劇となっている。
結構複雑なプロットだし、登場人物についてもそれぞれの背負っているものなどを考えるとその実数以上に個々人をきっちり描き分けるのは大変だったと思うのだが、その辺は井筒監督の見事な力量でうまい具合に処理されている。山本英夫(漫画家ではありません。『ホムンクルス』もそれなりに面白いけれどそれは別の機会に。)による撮影、京都府出身の加藤和彦による音楽もこの映画のテイストとか主題にうまくはまっていて、実に良い人選というかプロダクション・デザインだったと思う。
さてさて、ここでこの映画のテーマ曲「イムジン川」についてはちょっと詳しく述べたいのだが、元々北朝鮮で作られたこの楽曲は、本作品の音楽担当である加藤が所属していたザ・フォーク・クルセイダーズが200万枚売れたとも言われる驚異の自主製作盤『ハレンチ』(1967)において「ソーラン節」に続く第2曲目として収録していたりするのだけれど、この映画の中でも大変効果的な形で使われている。当時は「南北統一」なんてことは声高に言える状況ではなかったわけで、このアルバムの発売禁止(だから自主製作なんだと思うのだが)から同曲の放送禁止などなどといった事の次第は、今日から見ても実に興味深い事柄なのである。
音楽絡みで言えば、この映画の基本プロットというのは結局『ウェスト・サイド物語』と同じ「対立するエスニック集団同士の抗争下での、それぞれの集団に属するもの同士の禁じられた恋の行方」なのだけれど、あの作品とは違って本作品の主人公は抗争には直接参加することはない。「イムジン川」という歌を唄うことでそこにほんの少しの融和作用を及ぼしはするのだが、そこには明確な政治的意志があるわけでもない。この辺ににじみ出ている、主人公の「政治的・歴史的事柄についてもっと学びたいし、とても大事なことだと考えるのだが、だからと言って自ら抗争なり闘争なりに巻き込まれるのはやっぱりいやだ。でも、何にもしないのもなんだから唄う。」というようなスタンスというのがそのままこの映画のスタンスであると思うのだが、いかがなものだろうか。ちなみに、そういうスタンスは決して間違っていないし、私自身がそういうスタンスをとっているのも事実である。
もう一つ音楽絡み、というかこの映画は私から見ると基本的に音楽についての映画なのだからそうなってしまうのは致し方ないところなのだけれど、それは措くとして、と。最後に蛇足めいたことを述べておく。映画の中で主人公にギターの手ほどきをするオダギリ・ジョー演じるヒッピー青年が「坂崎」という苗字なのだが、「ギターを弾く坂崎」といったらジ・アルフィーの坂崎幸之助しか思いつかないので調べたところ、リアル坂崎は1954年東京生まれなので1968年には14歳。ということは、これは脚色というやつなのだろうな、と思う。この映画、実は他にもこういった細かいところに様々な仕掛けが凝らされていたりするのだけれど、メインのプロットをしっかりと描きつつ、同時にこういう一見瑣末とも思えるところにも力を注いでいるところが、この作品が持つ最大の魅力なのかも知れない。(2006/01/27)