奥田瑛二監督作品 『るにん』
2006年初頭に封切られる、基本的には俳優として有名な奥田瑛二が監督第二作として作り上げた長編映画である。八丈島に賭博の罪で流された佐原喜三郎(「さわらのきさぶろう」、と読むのだろう。西島千博が演じる。)が、350年余りに及ぶ同島の流刑史の中で唯一成功した「島抜け」を中心に、「火付け」の罪により同じく八丈島に流された豊菊(とよぎく。松坂慶子が演じる。)、花鳥(かちょう。新人の麻里也が演じる。)という、流刑前は吉原の遊女であった二人の女性との間に起こる愛憎劇を描く。
膨大な時間に及ぶ八丈島での現地ロケを敢行して製作された2時間半に及ぶ大作で、絶望の淵に立たされた人々の悲喜こもごもな様相を、じっくりと時間をかけた丁寧な演出で表現していく。そのしっかりとしたつくりが高い評価を受け、第7回"the Method fest"映画祭では最優秀作品賞などを受賞した、重厚な作品である。ちなみに、作品の主要登場人物が上記の如く元々遊女であり、流刑地においても恐らくは身を鬻(ひさ)いで生計を立てていたのだろうという推測のもとに話が組み立てられているため、物語の展開上性描写は必要不可欠ということもあって、R15指定となっていることも念のために付け加えておこう。
さてさて、喜三郎役の西島よりもどちらかと言えば主演ということになる押しも押されぬ大女優・松坂慶子が実に〈大変な〉演技を見せているのには驚かされるのだが、その他のキャストとして、八丈島を語る上で欠くことの出来ない大変な人物である近藤富蔵役に端正な顔立ちをした最早日本を代表する作家となった島田雅彦、やや類型的な悪役2名に演技の達者な根津甚八・奥田瑛二両名を起用するなどといったところに、製作者の手堅い手腕を感じることも一応可能だろう。そういうことも含めて、全体としてこの映画からは、余り冒険しない手堅さ、という印象を受けた次第である。
ちなみに、佐原喜三郎、豊菊、花鳥はそれぞれ実在した人物であって、喜三郎に至っては八丈研究に手を染めている私は当然そのコピーを持っている「朝日逆島記」という文書を残してさえいる。所収は宮本常一他編『日本庶民生活史料集成 第一巻』(三一書房、1968、pp.701-708)なので確認して欲しいのだが、それは兎も角として、問題はこの映画の物語展開が実は史実に全く忠実ではないところにある。さよう、喜三郎が島抜けを一緒に行なったのは年下の花鳥となのであって、決して年上の豊菊とではなく、そもそも豊菊と面識があったのかどうかさえ分からない、というのが文書などから推し量れる「史実」なのである。
この辺に、私などは手堅さの裏にそれと寄り添うように同居する映画製作上の都合によるのであろう作為性を見て取ってしまうのだが、いかがなものだろうか。明らかに、大女優である松坂慶子の出演が決まってしまったがためのストーリー改変だとしか思えないのだが…。
最後にこの映画が抱えるもう一つの、上記の史実改変などより大きいかも知れない問題点を記しておこう。それは要するに、私個人としてはこの長大な映画から、これまでに作られた優れた映画が例外なく持っている「詩」とでも云うようなものが殆ど感じられなかった、ということなのである。どこかしら緊迫感の欠如した各場面の画面構成の問題、三枝成彰によるどうにも画面と合わない音楽の問題、といった言ってみれば技術的な事柄、あるいはその全てが余りにも現代語でありかつまたそこで語られることも大部分が現代人の価値観である登場人物の台詞、更には、島民の生活や肝心要な島抜けの一部始終が恐ろしくあっさりとしか描かれていないことなども問題ではあるのだが、そういうことには敢えて目をつぶろう。要するに、たいていの場合ほとばしる「叙情性」や「詩情性」を少しは期待して映画を観ている私には、この何とも「散文」的な「文体」を持つ映画におけるそういうものの希薄さがとても残念なのであった。(2005/12/13)