張芸謀・降旗康男監督作品 『単騎、千里を走る。』
数々の名作を撮ってきた巨匠といって良いだろう張芸謀(チャン・イーモウ)監督が、高倉健を主演にして作り上げた取り敢えずの話題作。高倉演じる漁業に従事する父親とは断絶状態にあるどうやら人類学者という設定の息子が末期癌で死の床にある中、その息子が自分の調査地である雲南省で撮影しようとしていた仮面劇「単騎、千里を走る」を、息子の代わりに撮影しようと高倉が単身で現地に赴く、という話。
さて、この監督のいつもの作品だと、どんな些細な場面でも「これはいいな。」と思うのだが、なぜかこの作品では、今までの作品とやっていること自体はあまり変わらないのに「うーん、なんかなぁ。」と突っ込みたくなることしきり。要するに、高倉が現地で周囲に多大な迷惑をかけながらも(これはさすがにまずいだろう、と)撮影にこぎつけてしまう、という全体的な物語構造自体がかなり「不快」なもので、いくら現地の人が物凄く親切でも(実際、世界中どこへ行っても人々は基本的に親切なのだが…)、こういう「甘え」はいかんだろう、という思いを抱きながら鑑賞していた次第。
主演を「思わず助けたくなってしまう」、という人物を演じられる俳優にするとか(高倉はかっこよすぎるし、渋すぎるし、どうにも存在感がありすぎる。)、あくまでも高倉でいくのなら演出や脚色にもう一工夫するとか、色々と出来ることはあったのではないか、と思う。この(株)東宝資本の映画、やや企画倒れ、という感が否めない。
まあ、見所というか、面白いところも全くないわけではない。高倉が現地で携帯電話を駆使し(バッテリが良く切れないものだ。手回し充電器を持っている、という設定なんだろう。)、ディジタル・キャメラを見事に使いこなし、ディジタル・ヴィデオ・キャメラの操作にもかなり習熟している、というあたりの脚色は大変印象的なものであった。これは、高倉主演の映画を山ほど観てきた日本人にとっても、結構衝撃的なものなのではないか、とさえ思ったのだが、しかし、である。実は高倉はかつて富士通製パーソナル・コンピュータのCMに出ていたわけで、恐らく「ディジタル・ヴィデオ?簡単じゃねえか。」と言う筈なのである。以上。(2006/02/16)