Gloria Flaherty著 野村美紀子訳『シャーマニズムと想像力 ディドロ、モーツァルト、ゲーテへの衝撃』工作社、2005.09(1992)
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既に亡くなっているグローリア・フラハーティ(Gloria Flaherty)が1992年に刊行したShamanism and the Eighteenth Centuryの邦訳版である。原題から見ても、更には副題に18-19世紀の文筆家・音楽家の名前が並んでいることからも分かる通り、本書の目的は18世紀のヨーロッパにおける「シャマン像」とでも言うべきものを再構成することに置かれている。
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全体では第1部と第2部に分かれており、本書の白眉は前半部にあたる第1部と、第2部におけるヨハン・ゴットフリート・ヘルダーを扱った部分にある。正直な話、私自身もシャマニズム研究者の端くれなわけだけれど、読んでいるものと言えばせいぜい20世紀初頭に書かれたものに引用された19世紀の文献程度まで、というのが実情で、それ以前にヨーロッパでシャマニズムがどういう扱いをされていたのか、という問いに対してはさすがに返答に困る、というよりも考えたことも問われたこともなかったのである。
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本書の第1部と第2部の何章か、そしてまた膨大な資料を掲載している文献リストを通じて、ルネサンス期以降のシャマンに類する呪術・宗教文化に関してのヨーロッパにおける認識、というものは新たな光を投げかけられたのではないかと考えている。そういう意味で、本書はとても貴重なものなのである。
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さて、本書が抱えている最大の問題点は、後半の第2部が大きくなりすぎていることと、その中に憶測による論述や曲解とさえ言える部分が多々ある点で、確かにその当時のシャマニズム観とでもいうべきものが18-19世紀の著述家や音楽家に与えた影響はそれなりにあるとは思うものの、それだけで彼らの思想的な、あるいはまた発想上の淵源のようなものを説明しようというようなどうみても牽強付会な記述にはやや辟易した次第。その辺りのことは訳者自身もそれとなくあとがきで仄(ほの)めかしているのだが、その通りだと思う。まあ、簡単に言えば、「当時のシャマニズム観がある思想家の言述やある芸術家の作品に影を落としている」、などということを、それらしきモティーフを何カ所か発見しただけで言ってしまって良いものか、ということである。そういうことを言い出すと、これまで人類によって作り出された全ての言述や作品がシャマニズムの刻印を押されたものとさえ言い得てしまうことになりかねない、とさえ思う。
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そうであるとは言え、もしもここに示されたように、17-18世紀を代表する著述家・音楽家にこれほどまでに当時のシャマニズム観の刻印が強く押されているのが事実であるとしたら、超重要人物である彼らの同時代や後世への影響の大きさを考えるとそれは大変なことなのであり、このことは更なる検討や傍証発掘作業をする意味のある事柄なのかも知れない、とは考えたのだった。勿論、そういう作業には本書で行なわれている以上の精査が不可欠で、つまりは誰のどの作品のどの部分が、明確にその当時広く流布していたシャマニズム関連文献のどの箇所に依拠したものかということをきっちり吟味・論証していかなければならない。そういう作業は確かに大変なものではあるのだけれど、行なう価値や意味は十分にあると考えたのだった。以上。(2006/10/25)