杉浦由美子著『腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』中公新書ラクレ、2006.10

「腐女子」というのは、狭義には「BL」(ボーイズ・ラブの略語)あるいは「やおい」といったものを嗜好する女性のこと。それだと何だか分からない方も多いと思うので説明すると、要するに男性同性愛をテーマにした作品や、元々は全然そうでない作品に男性同性愛的要素を附与した二次創作等々をこよなく愛する、あるいは自分で造ってしまったりする女性達を指す。と、一応書いてはみたものの余りにも説明不足だと思うのでその辺りはWikipediaやはてなダイアリーなどで探っていただくとして、と。
ともすると一過性、あるいは些末で泡沫的な社会現象と捉えられがちではないかと思われるこの「腐女子」、実はその言葉自体もかなり古いもなのであり、更に言えば概念的には1970年代から存在していた、と言っても良いもの。それが1980年代の「やおい」勃興期を経て、2000年代にはいよいよBL全盛の時代を迎え、その語はそうした女性達の必ずしも自嘲的ではない自称として、あるいはより広くオタク女性全般を指すようにもなったわけだ。本書はこの辺りの流れに関し、「バブル」から「格差社会」へという大きな社会変化を振り返りつつ、何で腐女子化とでもいうものがここまで大きなムーヴメントとなったのかを検証しようとした論考で、秀逸なサブカルチャー論として、はたまた後述する通り優れた女性論として大変興味深く読んだ次第。
全9章のうち前半4章にしか章末インタヴュウが載っていなかったり(ネタ切れなのでしょう。)、あるいは三浦展著『下流社会』(光文社新書、2005)からの引用がいたずらに多過ぎることや、もっと重要な点として腐女子達の主な嗜好対象であるBL系の作品についての記述が余りにも少ないことなどが問題点として挙げられるとは思う。そうなのではあるが、やや際物っぽいタイトルとは裏腹に、主として女性の地位やライフスタイルに関連する社会の動きを色々な資料に基づいてまとめつつ、そこから言わば現代女性の処世術としての腐女子化という現象についての説明をつけているところが本書のミソなのであり、これはこれとして一つの現代女性論として一読する価値のあるものである、と述べておきたい。以上。(2007/12/04)

三浦展著『下流社会 新たな階層集団の出現』光文社新書、2005.09

著者の名前は「みうら・あつし」と読む。やや古い本なのだが、上で紹介した本でもさんざん引用されている誰もが知っている大ベストセラー。日に日に主として経済的な格差が広がるように感じられるこの日本の現状とそのことが意味する問題点を、主として自ら立ち上げたシンクタンク「カルチャー・スタディーズ研究所」による意識及び行動調査の結果を元にして浮き彫りにし、著者なりの対処法も示した好著である。
冒頭から「下流度チェック」を促され(取り敢えず立ち読みでも良いのでやってみてください。私は4ポイント。)、第2章における現代日本の女性・男性の見事なカテゴリ区分(女:お嫁系/ミリオネーゼ系/かまやつ女系/ギャル系/普通のOL系 男:ヤングエグゼクティブ系/ロハス系/SPA!系/フリーター系)が示された後、意識及び行動調査の面目躍如という感じで「下流」という新たな階層のライフスタイルの有り様が極めて具体的な形で示されている。
ここで恐らくは意図的にやや軽口にしていると思われるこの本の筆致について述べておくと、それはこの著者の専門領域であるマーケティング戦術としても正しいし広く読まれることこそ啓蒙という目的にも合致しているはずなのだから良いではないかとも考えたのだが、実のところこの問題、個人的にもアカデミシャンとしても大変深刻だと感じていて、もう少し堅めの著述を読みたくなったので下記の本を手に取った次第。この2冊は格差社会について考える場合の両輪のようなものかも知れないので、以下に続く。以上。(2008/01/11)

橘木俊詔著『格差社会 何が問題なのか』岩波新書、2006.09

「たちばなき・としあき」と読むのだがそれはさておき。本書は京都大学で経済学を教えている著者が、上に紹介した本とはかなり差のある堅めのスタンスで、今日の日本において着実に進行している主として経済的な格差の広がりについて論じたもの。
データは「所得再分配調査」などのような、政府機関が行なっている調査に基づくもので、この点も上の本とは対照的である。ただ、さすがに国家のお墨付きを得たデータにより、国家が行なってきた様々な政策(税制、保険制度、雇用制度、教育制度等々)がその主たる原因となって生じてしまった、既に問題の多いレヴェルにまで達しているように私自身も思う格差社会について論じる、というのはとても戦略的というか、ある意味見事と言っても良いだろう。
政府刊行物のような資料提示の仕方と文体が一貫しており、生活レヴェルでの実感のある話が出てこないのがやや難点だと思ったのだが、反対に、だからこそ力を持つ書であるとも言い得る。その辺りのところは上の三浦展によるものなどで補えば良いのである。
なお、第5章に列挙されている、雇用制度や税制、あるいは保険制度や教育制度の抜本的改革ないし改善といった格差社会対策について述べておくと、勿論その細部については厳密な議論をして詰めていかないといけないし、それは確かに大変かつ困難なことではあるのだけれど、このまま放置したら取り返しの付かないことになるはずのこの国の未来を少しでも良くするために、私もまたそうした議論の一角に加わろうという決意をした次第なのである。以上。(2008/01/11)

森博嗣著『クレイドゥ・ザ・スカイ Cradle the Sky』中央公論社C★NOVELS、2007.10(2007)

森博嗣による、今夏映画公開となる刊行順でいうところの第1作『スカイ・クロラ』で始まる「スカイ・クロラ」シリーズの刊行順で言えばその掉尾を飾る作品。「完結作」である『スカイ・クロラ』の前日談が刊行順上の第2作以降続いてきたわけなのだけれど、話はこれでようやくそこに繋がって一巡する。こうして、概ね『スカイ・クロラ』で投げ出された謎についてはその大部分が語られたような気がするのだが、それでもなお何となくもやもやしたものが残るのも事実である。
要するに、このシリーズ、全5冊を順番に読むことにより例えば最初あるいは途中に提示された様々な謎その他が大部分解決する、といったようなカタルシスを味わえるものでは到底無くて、その時系列的構成に加え基本的に歳をとらない飛行機乗りが主人公であったり、終わらない戦争が続く世界設定によるものが大きいと思うのだけれど、一通り読み終えることで読者はむしろ円環的あるいは閉塞的な時空間の中に投げ込まれたような気分にさせられるのではないかと思うのである。
まあ、それでもなお別の意味でのカタルシスは用意されていて、それは私見だとこの時系列上の第4作における主人公が「空で踊ること」にこそ意味がある、というよりはそれだけで良い、という境地に到達するという辺りにある。ここへ来てようやく評者は、このシリーズを一貫する何とも重苦しい世界設定は全て、軽やかな飛翔や浮遊感という実は文章によって表現することがとても難しい動きや感覚を、よりくっきりと浮き彫りにするべく仕組まれたものなのかも知れない、ということに思い至ったのだった。以上。(2008/02/01)

福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007.05

ご存じ空前のベストセラー。タイトルの通り生物と無生物の境界はどこにあるのか、言い換えれば生命とは結局何なのか、という本質的な問題に関し、「自己複製を行なうシステム」という広く認められている見解とは対照的な、ルドルフ・シェーンハイマーという人がかなり早い時期に行なっていた研究をもとにした「生命とは動的平衡にある流れである」という定義付けを提示し、これについてのとても分かり易い説明を加えた書、と要約できる。
本書に書かれていることの中心的部分を手っ取り早く言えば鴨長明が記した『方丈記』の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」ということなのだな、と思ったのだが、これで正しいはず。生命体においてはその構成物質は物凄いペースで更新されているらしいのだけれど、それをある一定の形に保つために働くのが著者の言う「動的平衡」という仕組みなのだ、ということになるわけだ。ちなみに、本書には『方丈記』からの引用はない。
とても本質的なことを大変具体的に、かつまた大変平易に述べているところが何と言っても素晴らしく、この点が高い評価を受けているのだと思う。正直、この著者は文章の達人である。個人的には博士号取得後の研究者がいかに苦労しているのかを述べた下りがとても興味深いというよりはむしろそれに身をつまされたのだが、その辺りもとくとお読みいただきたいと思う。以上。(2008/02/02)