Michael Moore監督作品 SiCKO
多分アイルランド系移民の末裔だと思う気鋭のドキュメンタリ映画作家マイケル・ムーア(Michael Moore)が手がけたアメリカの暗部を暴く劇場用長編映画である。今回対象となっているのは先進国(これの基準もそろそろ見直さないと、なのだが…)の中で唯一「国民皆保険制度」が行なわれていないアメリカの医療システム。まあ、実際問題それはそれはひどいものなのである。
アメリカには公的な健康保険制度というものが存在しないのは周知の通りで、人々は民間企業に保険料を支払ってケガや疾病に備えることになる。こういう仕組みだと保険会社は少しでも保険料の支払いを少なくするためにごねたりイチャモンを付けたりするのは当たり前のこと。「申請の時に既往歴をきちんと書いていませんね。」だの、「あなたの支払ってきた保険料では今回の手術には対応できません。追加するか、あきらめるかどちらにします?」等々。映画ではこういう事例がウンザリするほど挙げられていくのだが、呆れたというよりは悲しくなる位のものである。
何でこんなことになったのか、ということについてムーアは共和党のニクソン(Richard Milhous Nixon)が大統領をやっていた1970年前後に作られた国民皆保険制度とは対照的な制度であるHMO(Health Maintenance Organization)というシステム(ちなみにHMO法の施行は1973年)を問題視する。要するにこれは、政府からの医療に対する財源の振り分けを最小限とし、医療機関や保険会社の自由な競争や市場原理の活用によって医療の質を高めようとするものであるのだが、確かに市場原理がうまく機能すれば良い方向に向かいそうなのだが実情を見る限りそこには[政府]-[医療機関及び医療機器や薬品メーカ]間の癒着があるとしか思われず、アメリカ市民は全くまともなサーヴィスを享受できていないとしか言いようがないのである。この辺の事情については、例えばと金山千江子いう人が書いている「アメリカの医療保険の行方 〜メディケアとマネジドケア〜」という論文をお読みになると良いだろう。
そもそも国民皆保険制度を提唱していたのがこれまたアイルランド系移民の末裔で民主党のエドワード・ケネディ(Edward Moore Kennedy)上院議員であり、これは1990年代において後に上院議員となり来年の大統領選挙に出馬する可能性が高いヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)が議長に就任した健康保険制度改革作業委員会に引き継がれることとなる。映画でも描かれるように彼女が主導した医療制度改革は反対勢力の攻勢で失敗し、これが今日の悲惨な状況に繋がっていくのだが、この辺りのことについては例えば赤城千絵という人が書いている「クリントン政権におけるヒラリー・クリントンの役割 健康保険制度改革を中心に」という論文をお読みになると良いだろう。
ところで、こういう展開を見るとどうも民主党支持のマイケル・ムーアが来年の大統領選挙向けのキャンペーンとしてこの映画を作ったんじゃないかという勘ぐりも出来るのだが、それは確かにそうである、というよりそんなのは当たり前のこと。良く考えてみると大統領選挙等の代表者選びというのは例えばこういう映画とそれに対する批判及びそれへの反論なども含めた政策論争に基づいて行なわれるべきものなのであって、その一翼を担うことに極めて自覚的なムーア監督はある意味全くまっとう至極なことをしているのである。
さてさて、アメリカの医療制度のひどさは分かったとして、その改革を求める声に対し保守派が常套的に使う、「では社会主義的な医療制度で良いのか?」というドグマティックな物言いに対し、ムーア監督はキャナダ(カナダじゃないですよ。)、英国、フランスという、誰もが知るように、しかし日本人的にはイマイチ信じられないのだけれど本当に「医療が基本的にタダ」な、別に社会主義的ではない政治経済システムを持つ国々の人々が享受している豊かな生活を描くことで応える。確かにこうした国々では税金はとても高いのだけれど、それに見合うサーヴィスが提供されているのは紛れもない事実なのである。
極めつきは映画のラスト近くで、「じゃあ社会主義国の医療制度はどうなのか?」、ということをムーア監督はアメリカのお隣にある「仮想敵国」キューバに赴いて検証を試みる。もう目から鱗な感じなのだが、ここから先は映画をご覧になって確認していただきたいと思う。以上。(2007/08/26)