Florian Henckel von Donnersmarck監督作品 Das Leben der Anderen
20周年を迎えた渋谷シネマライズで絶賛公開中のドイツ映画である。邦題は『善き人のためのソナタ』というとても洒落たものなのだけれど原題は何とも味気ない『向こう側の人々の生活』というような感じに訳せるもの。監督名はとても長くてフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(Florian Henckel von Donnersmarck)。つい先頃行なわれた第79回アカデミー賞で、外国語映画賞に輝いている。
主な舞台は東西冷戦下にあった1984年の東ベルリン。国家保安省(シュタージ=Stasi)の役人であるヴィースラー(ウルリッヒ・ミューヘ=Ulrich Mühe)は、反体制的傾向があるのではないかという疑いを持たれて当局に目を付けられた劇作家ドライマン(セバスティアン・コッホ=Sebastian Koch)とその恋人の舞台女優クリスタ(マルティナ・ゲデック=Martina Gedeck)の監視を命じられる。ドライマンとその仲間達の会話その他を聞く内に、次第に自分のしていることが正しいのかどうかを疑い始め…、というようなお話である。
確かに良く出来た映画で、中でも、劇中で使われる「善き人のためのソナタ」というこの映画のキーとなる楽曲をさほど多用しない辺りに端的に見られる「さりげなさ」が、この作品を良作と言わしめているのではないかと考えた。そうそう、この作品、全体的にとても「さりげない」作り方をしていて、例えば感情表現のようなものはどう見ても必要以上に抑制されている。相互監視社会における抑圧にしても、シュテージの持つ本質的な暴力性にしても、更にはそれらに対する「抵抗」にしても、基本的に極めて抑制された、「淡々とした」と言っても良いような筆致で描かれているのだ。それらを表出させ過ぎることによるテーマの拡散や「逸れ」を周到に避けつつ、権力への「静か」で「ささやか」な抵抗をあくまでも「静か」で「ささやか」に描こうという制作上の方向性は一応正解であったと思う。
ただし、上に述べたことはこの映画の欠点でもあって、実際のところアクのなさというか薄味さは否めないところではある。これは好みの問題なのかも知れない、と断った上で述べるならば、この映画はちょっとばかり「あっさりし過ぎ」なのだ。更にこちらは必ずしも個人的なものではない苦言を二つばかり呈しておくと、長い割にはほとんど伏線や枝プロットのない冒頭30分でほとんど終わりまで読めてしまう単純かつどう考えても凡庸なストーリィ展開や、あるいは女優役であるのだからもうちょっと何とかして欲しかったマルティナ・ゲデックの「下手さ」といったものはさすがに頂けないと考えた次第である。
まあ、この映画にはそれらの欠点や弱点を補って余りあるものも多々存在するのであり、トータルではやはり上出来の部類に入る作品であることを最後に述べておきたい。以上。(2007/03/10)