Tim Burton監督作品 『スウィーニー・トッド:フリート街の悪魔の理髪師』
原題はSweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street。何だか安易なタイトルだと思ったのだが、有名なトニー賞受賞ブロードウェイ・ミュージカルの映画化である(実は同じくスウィーニー・トッドを扱った映画は類似の別プロットでもう一本存在する。)。プロットやキャストなどの概要をどこかで目にしたとき以来私の中では『シザーハンズ2』として認識されていたのだが、あの名高い名作とは主役が理髪師であるところとそのどちらもをジョニー・デップ(Johnny Depp)が演じているところ、も一つ付け加えると監督が同じティム・バートン(Tim Burton)にしか共通点のない作品。え、やはり『シザーハンズ2』じゃないかって?。まあ、そういう意見が私の周りでも多いのだが…。ちなみにこの作品は今年度の第65回ゴールデン・グローブ賞で作品賞を、主演のジョニー・デップは同じく主演男優賞を受賞している(どちらもミュージカル・コメディ部門)。
話はとても単純明快。時は18世紀末、場所はロンドン。とある悪徳判事により妻と娘を奪われそれに加えて無罪の罪で15年服役させられた天才理髪師であるスウィーニー・トッドが、その理髪店の階下でパイを売る店を営む女性ラヴェット夫人(ヘレナ・ボナム・カーター Helena Bonham Carter。この人、バートン監督の妻です。)の協力のもと復讐に向けて動き出し、色々なことが起こり、やがて…という内容。
実話なのか都市伝説なのか良く分からないのだけれど、人間の業のようなものが浮き彫りにされる寓話性の強いお話である。復讐の鬼と化したスウィーニー・トッドが、文字通り鬼になっていくところを主演のジョニー・デップはバンド活動で培ったその見事な歌唱を駆使しながら良く表現していると思う。取り敢えずはこの天才俳優の新たな一面を見ることが出来る作品なのであり、これだけでも観る価値がある。
とは言え、問題が全く無いわけではない。最たるものだけを書き記しておくと、それは脚色ないしはプロット構成、引いては人物設定の甘さ、ということに尽きる。例えば、判事と行政官という悪役二人の悪徳ぶりの描写がもう一つ物足りないし、あるいはまたトッドが服役中などにどれほどの苦渋を味わってきたのかが一切描かれないため、「苛烈な復讐心が人を闇に堕とす」、ということを描きたいのだろう物語の展開に必然性とでも言うべきものが生じず、そんな中でトッドの残虐ぶりだけが妙に強調されてしまい、何だかもやもやとした展開に終始するという結果になっている。更に言えば、トッドが鬼畜道に墜ちるきっかけの一つを作るラヴェット夫人の人物設定も何だか普通すぎるというか説明不足すぎる。もう少しこの人の人生遍歴みたいなことが描かれても良かったのではないかと思う。
要するにこの作品、話の中で強調すべきところがもう一つ強調され切っていないのである。私見では基本的に復讐劇という体裁なのだから悪役は悪役らしくいかにも殺されて当然なように描かれなければならないし、元々は善側ないしはノーマルであるはずの復讐者が何故人としての道を踏み外すところまで追い詰められたのかを説明出来るような描写をしっかり入れていないと収まりがつかないわけだし実際ついていない。そういった描かれるべきことが描かれていないことが、例えば鬼畜道に墜ちていく理髪師が、復讐など放棄し彼を慕うラヴェット夫人との甘美な生活を送ることも可能なのに、そういう誘惑を一切顧みることなく何故そこまで復讐にこだわるのかという点などについてもうまく説明できていないという結果を生んでしまっているのがとても残念なのである。
まあ、お話自体に問題はあるとは言え、オープニングからエンディングまで、美術から音楽に至るまでが一貫して見事なまでのバートン映画であることは確かで、更にはバートンと共に映画界を歩み始め、今では押しも押されれぬ大スターとなったジョニー・デップが初めて挑んだミュージカル作品であるところも重要な作品である。以上。(2008/02/10)