篠田節子著『仮想儀礼』新潮社、2008.12

直木賞作家、というよりは日本を代表するエンターテインメント作家・篠田節子が、『小説新潮』に3年にわたって連載していたものを単行本化した大長編である。扱われているのは宗教。背景にあるのは家族の問題、といったように、デビュウ以来この作家が最も力を注いできたテーマを更に深く掘り下げた内容で、またも新たな代表作を作り上げてしまった感さえある。
その中身はと言えば、副業でライタをしていた男性公務員・鈴木正彦が、請負編集者・矢口誠にのせられて5,000枚のゲーム・ブック原稿を書き、いよいよ本格的にライタに転身、という思惑でいたものの企画が没となり、二人は路頭に迷うことに。そんな中、一か八かの賭で始めたティベット密教系の新宗教が思いの外軌道に乗り、様々な人びとがやってくることに。当初の目論見から大きく外れ異様に巨大化していく教団、しかしそこに巣くい始めた小さな綻びは次第に大きくなっていき、やがて、というお話。
教団運営というのが実のところとても大変、ということはそういうことを調べて回っている私としては当たり前なことなのだけれど、篠田節子は藤田庄市氏らの協力を得て(実はどう見ても藤田氏をモデルにしている人物も作中に登場するのだけれど。)、そのあたりのところを実に見事に活写していると思う。
戦略的に、新宗教とはまがい物で虚業の最たるもの、という位置づけで書き始め、やや揶揄的にその迷走ぶりを書いていくのだけれど、篠田は当然そんなことを述べたい訳ではない。実のところ真の信仰というものがあるとすればそれは何であるのか、という点を徹底的に考え抜き、そうして得られた、それはスタートによって規定されるものでは決してなく、むしろ幾多の苦難を経て到達した地点こそに意味がある、というテーゼは、基本的に正しいと思う。どんなに確固たる基盤を築き上げた宗教も最初はそんなものなのかも知れないのだから。
ところで、篠田はこの本において新宗教という切り口から今日の家族が抱える問題にメスを入れているが、やはり家族問題がその背景にあったことが指摘されている「イエスの方舟」が世間を賑わしてから今年でちょうど30年。日本の家族はどう変わったのか、宗教はそれにどう応えてきたのか、という問題は研究上も非常に重要なのであり、そうしたことを考える上でのヒントとして読まれるべき作品でもあると考える。以上。(2009/08/08)