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去る12/16(金)、17(土)、18(日)の三日間にわたり、新日フィルによる『第九』特別演奏会 2011に出演して参りました。以下、簡単に報告などを。

今年のソリストは以下のような布陣です。

ソプラノ:秦茂子
アルト:井坂惠
テノール:吉田浩之
バリトン:大沼徹

そして、指揮者ははるばるロシアから来日したニコライ・アレクセーエフ氏。14日からオケ合わせがあったのですが、その指揮っぷりは非常に丁寧な印象。

ああ、ちなみに演奏曲はL.V.ベートーヴェンの『交響曲第9番 ニ短調 合唱付き』op.125、ですよ。当たり前ですが。

会場は16日と18日がすみだトリフォニーホール。17日がサントリーホール、でした。で、16日はある銀行による貸し切りコンサートでしたので、一般にはチケット販売無し、となりました。なお、一般公開が2回だったためか、チケットは両日とも完売だったそうです。素晴らしい!

さてさて、16日は仕事がはけてからになりましたので、ギリギリセーフ。この日は上のような事情で17、18日の前座であるJ.S.バッハの管弦楽組曲が演奏されないため、19時開演で即第九、だったのですよ。うーん、こういうパターンもありなのか、と反省しきり。

それでも何とか一番後ろの席まで声を飛ばすことを心がけつつ全日程終了。

18日には演奏終了後コーロ・カロスの練習と忘年会も入りました。何ともハードなスケジュールでしたね。まあ、常にこんな感じですが。いつになったら暇になるのやら、とか考える暇も無くなりそうです(笑)。

と、云う事で。

去る12月9日(金)、勝鬨の第一生命ホールで行なわれていた合唱団るふらんのコンサートに行って参りました。簡単にご報告などを。

この日は2回公演。昼夜なのですがさすがに昼は行けず。夜も19時15分開演だから最初からいられましたが、19時だったら正直厳しかったです。

演目は『女声のための合唱オペラ コエ・カラダI たびたびオトメ そして旅 ―Yに―』というもの。タイトル長いですね、と思ったのですが、要するに『たびたびオトメそして旅』、の部分が本題です。最初の方は説明で、後ろのは献辞、となるわけですね。

台本と演出は『アシタ ノ キョウカ』でお世話になった加藤直さん、そして曲は港大尋(みなと・おおひろ)さんという方です。当然のことながら委嘱初演。

合唱オペラなので、台詞はかなり多いです。台詞の合間にソロ歌唱含む歌が入るような具合。振り付けなどの動きもかなり凝ってます。で、演奏はピアノとコントラバスとパーカッションというトリオ。この3人が演奏しているのは全面的にジャズ。そして合唱パートはというとゴスペルとかロック・オペラに限りない近いものに思われました。テイストとしては全面的にクラシカルではなくポピュラーです。

事前にというかかなり早い段階に楽譜をチラ見させて貰っていたのですが、合唱譜にもコード進行が書かれてました。なるほどな~、です。そういうものに結構慣れ親しんできた人間なのであんまり違和感なかったですけどね。元々ロック・バンドとかやってましたし。

中身は『アシタ ノ キョウカ』のようなメタ文学っぽい難解系かつ変化球系ではなく(まあ、あれも言ってることはその実かなりの部分フェミニズムなんですけどね。)、結構ストレートな世のあり方に対する批判、なのだと解釈しました。世のあり方、というのは要するにこの世界におけるジェンダー構成のありようです。それを批評・批判している、ということはこの作品の根底にあるのは要するにフェミニズムなんですね。

それはそれとしまして、オトメと言えば川村邦光です。川村邦光はM.フーコーを下敷きにして日本近代における「オトメの歴史」を再構成し直しましたが、加藤直さんの批評スタイルは基本的に唯物史観=K.マルクスです。で、マルクス主義フェミニストの代表は何と言っても上野千鶴子さんです。つまりは、川村的な題材を、上野的な視座で切ってみた、というのがこの作品なのだと勝手に解釈しました。

ホントに勝手な解釈で済みません(笑)。まあ、職業柄なので許して下さいね。

そういう感想は感想として、この台本と曲を、直前まで物凄くバタバタしながらも、結局のところ、何とかこなした、というレヴェルじゃない凄い舞台にしてしまった、るふらんの皆さん、音楽監督で指揮者の栗山文昭先生、あるいは楽器奏者や演出家に振り付け師、そして照明や美術といった裏方さんたちの計り知れない力量には感銘を受けた次第です。ありがとうございました。

と、云う事で。

驚異の定期演奏会から一日おいた12/5(月)、再び東京シンフォニエッタの出演するコンサートを聴きに、明治学院大学白金キャンパスまで出向いて参りました。題して、ジャン-ルイ・アゴベ 東京シンフォニエッタ ポートレートコンサート、です。

入場無料、でした。授業の一環みたいな感じですね。ちなみに作曲家であるアゴベさん、金曜日の四人組コンサートにも、土曜日のシンフォニエッタ定演にも来ておられました。私と行動パターンが近いですね(笑)。

今回の企画は、ゲストであるアゴベさんと、ホスト役で明学大芸術学科助教授だと思われる岡部真一郎氏とのトーク・セッションを前半に置き、後半はアゴベさんの曲を4曲演奏する、というものです。演奏が東京シンフォニエッタ、ということになります。

トーク・セッションでは、作曲家としての半生を語りつつ、曲を作るということがどういう作業であるのか、はたまたどういう発想で曲は出来ていくのか、といったことが語られました。

「現在は電子音楽から距離を置いている、そして身体行為としての音楽というものを追求しているんだ。でもコンピュータが音楽を作る上で今日ではある意味必要不可欠で、そこに様々な可能性があることも分かっているから、いずれはそこに戻るかも知れないけどね。」、なんていう話が面白かったです。

曲は3曲目を除いて日本初演です。1曲目は《レーベン(生命) チェロとピアノのための》(2009)。生命です。音楽技法における身体性を取り戻す、っていう戦略はこの曲辺りに顕著に出ているように思いました。2曲目は《スペクトル(幽霊) フルートと打楽器のための》(2008)。打楽器が凄まじかったです。レジ袋(笑)。

3曲目で我らが東京シンフォニエッタ指揮者・板倉康明氏がクラリネット奏者として登場。曲は《レゾンブル・ダンス(踊る影) 2本のクラリネットと残響ピアノのための》(2006)。板倉氏と、西澤春代氏に献呈された曲ですね。二人とも大変な奏者であることが良く分かりました。

4曲目は《エクリス(副木) 五重奏》(2007-2008)。これがこの日最大の編成。編成はヴァイオリン、チェロ、フルート、クラリネット、ピアノ、そして指揮者、です。ガッシリとした感じの曲ですね。小編成なのだけれど規模感は大きなものに感じられました。暗算の天才を主人公とするオペラを構想しているんだ、なんていう話をしていましたが、きっとこういう規模感を出すんじゃないかな~、などと想像しながら聴いていました。

さほど取っつきにくいタイプの作曲家ではなく、柔らかい手触りをした曲を書く人だな、と思いました。4曲しか聴いていないので何とも言えないのですが。いずれにしましても、非常に有意義な時間を過ごさせて頂きました。アゴベさんを始めとする関係者の皆様、ありがとうございました。

と、云う事で。

去る12/3(土)、東京文化会館小ホールで行なわれておりました、東京シンフォニエッタによる記念すべき第30回定期演奏会を聴いて参りました。以下、報告などを。

1年前の第28回定演=湯浅譲二特集が佐治敬三賞を受賞、そして今回は一柳慧特集です。何だか凄いですね。まあ、それはそれは凄かったんですが。

1曲目は一柳の提案により、彼が最も重要だと考えているらしい作曲家K.シュトックハウゼンの曲を取り上げていました。『ツァイトマッセ 5人の木管奏者のための』(1955-1956)です。うーん、複雑極まりない曲ですね。各パートのテンポ指示が物凄いことになっているらしく(そもそも一律じゃないっぽい)、5人のアンサンブルなのだけれど指揮者必須のようでした。五声部でどこまで複雑に出来るか、なんていう実験性も感じましたね。

2曲目からは全て一柳慧作品です。まずは『弦楽四重奏曲』(1956-1957)。上の曲とほぼ同時期ということになります。ベルクやシェーンベルク、あるいはヴェーベルン、更にはバルトークの弦楽四重奏曲をちょっと想起しました。4楽章構成で、比較的明瞭な音像を持った曲です。古典的な様式も踏まえつつ、その若き日において既に相当高度な飛躍も成し遂げていたことが良く分かる作品だと思います。

3曲目は一気に最近の曲に飛びます。『ビトウィーン・スペース・アンド・タイム 室内オーケストラのための』(2001)。空間と時間の間、です。間だらけですね(笑)。ここでようやく東京シンフォニエッタが勢揃い。50年間積み上げてきたもの、ということになりますね。随所に効果的な形で用いられているトランペットとホルンが私の中に非常に強烈な印象を残しました。

4曲目は再び小編成ものへと。『トリオ・インターリンク ヴァイオリン、ピアノ、打楽器のための』(1990)です。ピアノは一柳自身によっています。何とも感動的な光景でした。「インターリンク・フェスティヴァル」という一柳が立ち上げた音楽祭のために書かれた曲なのだそうですが、非常に良い曲だと思いました。

休憩を挟んでの5曲目は再び一柳自身のピアノを。『レゾナント・スペース クラリネットとピアノのための』(2007)です。ここでも「スペース」という語が用いられていることには注目すべきでしょう。非常にシンプルな小品ですが、随所に作曲家のセンスが光ります。演奏は比較的しやすいのではないか、と思いましたがどうなのでしょう。

そしてラスト。今回の目玉と言って良いでしょう委嘱作品。『交響曲第8番 ―リヴェレーション2011 室内オーケストラ版』(2011)です。一応4つのセクションからなっておりまして、それぞれ予兆、無常、祈り、再生、と題されています。一柳自身がプログラムに寄せた文章の中で語っていますが、2011年頭の、あの災害、そして事故が念頭にあったのだそうです。ここまで5曲聴いてきて、ある意味「一柳大回顧」、をしてきたことになるわけですが、恐らくはそれによって、この曲が、一柳の作曲家としての集大成的なものであることが強く感じられました。大変な作品であり、かつまた演奏も本当に見事なものでした。

以上です。

毎度のことながら、斬新なサウンドにびっくりさせられもし、そしてまた新鮮な感動を味わわせて頂いております。これからも、これはもう「孤高」と言って良いのかも知れない凄い演奏会をお願いします。まずは、フランス公演の成功を心より祈念しております。

と、云う事で。

去る12月2日(金)、津田ホールで行なわれていた全音現代音楽シリーズ・その18『四人組とその仲間たち 室内楽コンサート 現代日本の作曲家《木管と樹齢》』を聴いて参りました。以下、簡単に報告などを。

四人組とは、池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、金子仁美のことを指します。今回はこの方たちに若手作曲家である鶴見幸代さんの曲を加えての全5曲からなる演奏会となりました。ちなみに、全ての曲が初演、でした。

全曲、非常に編成の小さな楽曲群です。最初の鶴見作品《デプスレス》は音高の違うサキソフォン3名によるアンサンブル。ミニマリズム、ということになるのでしょう。3人が奏でる単純な音型が少しずつずれていって、ぶつかり合ったり離れていったりを繰り返します。面白いですね。

2曲目は金子さんの《時の層 IV ~透過・合成~》。今度はオーボエとクラリネットによるデュエット。この日の作品の中では最も難解、ではなかったでしょうか。短かく、たかだか2声部の曲ですが、中身は非常に濃いように思いました。

3曲目は新実さんの《サクソフォン・スパイラル》。2本のアルト・サックスのために書かれた曲で、2部構成。IがImpulse、IIがagonyと題されています。ここで著名なサックス奏者須川展也さんが登場。もう一人のサックス奏者新井靖志さんとともに、見事な演奏を繰り広げていました。

4曲目は西村さんの《水の影》。須川さんのアルト・サックス・ソロです。非常に素晴らしい。ちょっと背筋がゾクゾクしましたね。きっと技術的にはとんでもなく大変なんだろうけれど、すっと懐に落ちる演奏でした。取り敢えず個人的にはこの日のベスト・ステージです。

5曲目は池辺さんの《バイヴァランス VII》。これもサックス2名によるデュエット曲。再び須川さんと新井さんです。ここまでがここまでですので、非常に分かりやすい曲調に感じられてしまいました。良い曲、という印象でした。

そんなところです。この日から数日にわたって現代音楽を聴きまくるわけですが、以上、その第1夜の報告でした。

と、云う事で。

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