舞台の最近のブログ記事

去る3月17日(土)、小雨がぱらつく中を八王子まで出向きまして、絹の道合唱団コンサート2012を聴いて参りました。指揮は同じ合唱団に所属しております横山琢哉氏です。以下簡単に感想などを。

八王子遠いです...。

というのは冗談ではなくホントのことで、いやー、遠いですね。家から3時間くらいかかりました。ケガしてるんで、乗り換えとか徒歩とかに時間がかかるせいもあるんですけどね。

遠いせいもあるんですが、この日は法事(お彼岸です。)があった関係で家を出るのが遅くなりまして、第1部はロビーで鑑賞。第2部からの鑑賞となりました。

第1部は芥川也寸志による『砂川』。この合唱団、要はうたごえ運動ですからね。外から聴いていても闘争の歴史を垣間見た気がするような、熱い演奏でした。日本の戦後、それは全ての人が何かしらの理念を持って生きていた、そんな時代だったのです、きっと。

第2部は加藤直+青島広志による合唱劇『星からとどいた歌』。こちらも政治的な作品ですが、基本はエコロジーです。エコロジーも大なり小なり政治的ですが。それは措きまして、この作品が世に出てから25年の歳月を経ても、人の世は代わり映えしてない、ですね。

こういうのを観て、「1980年代の人たちって、こんなこと考えてたんだ。」、と笑い飛ばせるような時代には、きっとならないのでしょうね。なって欲しいけど。

ある意味、きっとそこを目指していなかったんじゃ無いかと思うにもかかわらず普遍性を獲得してしまった感のある名作だと思いますが、兎にも角にもその稽古は途方もなく大変だったんじゃないか、と思いました。曲も高度に作られているし、動きまくりますからね。お疲れ様でした。とてもとても、感動的なステージでした。

と、云う事で。

去る3月11日(日)、市原市の五井というところで行なわれておりました、制作舎 翔が企画している東北関東大震災復興支援チャリティコンサート第6弾に出向いて参りました。以下、簡単に報告などを。

あの震災からちょうど1年。私にとっても大変な1年ではありましたが、被災地・被災者にとってはそれはもちろんのこと。何かアクションを、と思ったのですが演出家の原島義治さんからのお誘いを受けまして、このようなイヴェントに参加することに致した次第です。

コンサートというよりはイヴェントは2部構成。前半では梅花講の皆さんによる御詠歌、舞踏、朗読、メッセージ紹介、対談などが行なわれ、黙祷を挟んで第2部でも再び朗読、そして最後に歌とピアノのミニ・コンサートが入る、という構成をとっていました。

あの震災とどう向き合うか、というのはまだ日が浅い今日ではなかなか整理の付かないことだと思います。今回のイヴェントでは、犠牲となった方々への鎮魂、一日も早い復興への祈り、が主たる目的となっていましたが、そこにやや客観的な視座からの振り返りとして、青山学院大で公共政策論を教えている宮原勝一さんと、骨のある論客としても知られるフリーアナウンサーの山川建夫さんの対談を挟んだのは非常に効果的だったと思います。

会場は超満員。これは、あの出来事への関心の高さを物語っていると思います。決して風化させることなく、語り継いでいきたいものです。

と、云う事で。

去る1月7日(土)、宇都宮の栃木県総合文化センターで行なわれておりました、宇都宮大学混声合唱団第45回定演を観て参りました。以下、簡単にご報告などを。

宇都宮寒いですね。お昼に、というか遅いお昼に餃子などを食べ、二荒山神社にお参りしてから会場入りしました。

第1ステージはK.ニステットの『ミサ・ブレヴィス』より。ご存じの通り、かなり難しい曲です。合唱団のパフォーマンス的に、ちょっと厳しいかな、と思いました。もう少し声があれば、音程の悪さもカヴァ出来たかも知れません。現状そこが一番の課題でしょうか。

第2ステージも大変な曲。寺嶋陸也による『アポリネールの三つのシャンソン』。指揮は学生指揮者のK君でした。そうですねぇ。ニステットもそうなのですが、これなどは更に、もう少し様々な意味合いで「大人びて」から歌うべき曲なのでしょう。やっぱり表現がちょっと薄い。まあ、学生には背伸びさせる、という方向性は良く分かります。確かに、どこの大学合唱団も、明らかに大変と思える曲に挑んでます。まあ、それを言ったら高校生も、ですが。でも、敢えて挑むからにはもう少し何とかならなかったかな、とは思いました。言葉の捉え方、フレーズの作り方など、基本的なことからしっかりと、一つ一つ学んでいって欲しいと思います。

第3ステージは1/5に物故された林光作曲の合唱劇『なめとこ山の熊』。楽団として、フルート、パーカッション、ヴィオラ、ファゴットが入ります。これまたかなり難しい曲です。音楽的にはもう一歩の踏み込みが欲しかったですが、それでも舞台作品としての仕上がりについてはまずまずだと思いました。

原作は宮澤賢治。彼らしくとても仏教的な、まあ法華思想なんですけど、その辺が良く出ているお話だと思うのですが、何とも切ないですね。切ないだけではなくて、今日的な課題であるエコロジーにも繋がっています。そういう原作を元に、今となっては最早晩年に至っていた林光が(2010年初演です。)、精魂込めて作ったことが良く分かった次第。色々な意味で非常に重要な作品だと思います。

次にこの人たちの演奏を聴くのはいつになるのかな、と。謎ですね。マリスステラには近所ですけど行けません。となると一体?それは兎も角、日々の努力を怠らず、これからも精進して欲しいと思います。がんばって下さい。

と、云う事で。

去る12月10日(土)、千葉県文化会館小ホールで行なわれておりました、制作舎 翔 設立15周年記念公演第二弾、加藤道夫作『思い出を売る男』を観て参りました。簡単に報告などを。

金曜日から二日間にわたっての計3回公演でしたが、私が観たのは二日目の1回目、でした。開演13:30。

取り敢えず、私の母校からほど近いホールですので、ちょっと懐かしさに浸りながらの鑑賞となりました。良く考えてみたら話の中身も中身ですね。

さてさて、『なよたけ』などで知られる原作者の加藤道夫という人は1953年に亡くなっておりますので(自殺)、作品はそれ以前のもの。調べたところ1946年に『三田文学』に発表されてます。

舞台は終戦直後の東京。軍服にサキソフォンを持った男が「思い出を売ります」という看板を掲げた路地裏。そこには様々な人がやってきては去っていく。サキソフォンの音色が呼び覚ます様々な形を持った思い出たち。人々はそこで何を見つけ、あるいは何を失ったことに気付くのか。そんなお話。

この作品、書かれてから45年後に、ある意味加藤道夫が育てたと言っても過言ではない劇団四季によって初演され、その後は同劇団のレパートリィとして定着しています。今回の演出や美術、あるいは音楽もかなりそれによっているそうです。ちなみに、音楽は加藤道夫とも関係の深い林光が担当していました。この辺の事情は下記の劇団四季公式サイトに詳しく出ていますので一度ご訪問下さい。

劇団四季版『思い出を売る男』

毎度のことながらこの人たち、アマチュア劇団、ではあるとは言え、良く鍛えられているな、と思いました。演出・台詞などなどが非常に丁寧に練り込まれていて、実に感動的な舞台に仕上がっていました。

もう一つ、前にも述べましたが、この劇団の、古典を地道に、しっかりとやっていらっしゃるその活動ポリシィにはいたく敬服しています。これは何度でも繰り返し言いたいことなんです。そして、若い人がそういうことに積極果敢に参加していることが本当に素晴らしい。これからも宝探しを続けていって頂きたいです。心から応援しています。

と、云う事で。

去る12月9日(金)、勝鬨の第一生命ホールで行なわれていた合唱団るふらんのコンサートに行って参りました。簡単にご報告などを。

この日は2回公演。昼夜なのですがさすがに昼は行けず。夜も19時15分開演だから最初からいられましたが、19時だったら正直厳しかったです。

演目は『女声のための合唱オペラ コエ・カラダI たびたびオトメ そして旅 ―Yに―』というもの。タイトル長いですね、と思ったのですが、要するに『たびたびオトメそして旅』、の部分が本題です。最初の方は説明で、後ろのは献辞、となるわけですね。

台本と演出は『アシタ ノ キョウカ』でお世話になった加藤直さん、そして曲は港大尋(みなと・おおひろ)さんという方です。当然のことながら委嘱初演。

合唱オペラなので、台詞はかなり多いです。台詞の合間にソロ歌唱含む歌が入るような具合。振り付けなどの動きもかなり凝ってます。で、演奏はピアノとコントラバスとパーカッションというトリオ。この3人が演奏しているのは全面的にジャズ。そして合唱パートはというとゴスペルとかロック・オペラに限りない近いものに思われました。テイストとしては全面的にクラシカルではなくポピュラーです。

事前にというかかなり早い段階に楽譜をチラ見させて貰っていたのですが、合唱譜にもコード進行が書かれてました。なるほどな~、です。そういうものに結構慣れ親しんできた人間なのであんまり違和感なかったですけどね。元々ロック・バンドとかやってましたし。

中身は『アシタ ノ キョウカ』のようなメタ文学っぽい難解系かつ変化球系ではなく(まあ、あれも言ってることはその実かなりの部分フェミニズムなんですけどね。)、結構ストレートな世のあり方に対する批判、なのだと解釈しました。世のあり方、というのは要するにこの世界におけるジェンダー構成のありようです。それを批評・批判している、ということはこの作品の根底にあるのは要するにフェミニズムなんですね。

それはそれとしまして、オトメと言えば川村邦光です。川村邦光はM.フーコーを下敷きにして日本近代における「オトメの歴史」を再構成し直しましたが、加藤直さんの批評スタイルは基本的に唯物史観=K.マルクスです。で、マルクス主義フェミニストの代表は何と言っても上野千鶴子さんです。つまりは、川村的な題材を、上野的な視座で切ってみた、というのがこの作品なのだと勝手に解釈しました。

ホントに勝手な解釈で済みません(笑)。まあ、職業柄なので許して下さいね。

そういう感想は感想として、この台本と曲を、直前まで物凄くバタバタしながらも、結局のところ、何とかこなした、というレヴェルじゃない凄い舞台にしてしまった、るふらんの皆さん、音楽監督で指揮者の栗山文昭先生、あるいは楽器奏者や演出家に振り付け師、そして照明や美術といった裏方さんたちの計り知れない力量には感銘を受けた次第です。ありがとうございました。

と、云う事で。

1-5 6-10 11-15 16-20 21